文学の世界「鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」
講師 浅見 和彦(成蹊大学名誉教授)
161208⑩「鴨長明の旅、恋」
日野の山に方丈の庵を構えた60歳の長明は、山番の10歳ほどの男の子を連れて近辺の山歩きを
楽しむ。長明の足は止まらない。健脚の彼は、琵琶湖の湖岸まで歩き回り、更には伊勢、熊野までの旅を楽しむ。その伊勢には、若い時には恋人がいたというのだが、果たしてその実態は?。
「現代語訳」 山中の景気
また麓に一つの柴の庵がある。そこは、この山の番人が住んでいる所である。そこに小さな男の子がいる。時々、訪ねてくる。もし暇な時はこの子を友としてぶらぶら歩く。向こうは十歳、こっちは六十。年齢差は大変なものだが、心を慰める事には何の問題もない。或いはチガヤを抜き、コケモモを
取り、むかごを盛り、芹をつむ。或いは山の麓近くの田に至って落穂を拾って、組んで穂組を作る。
もし麗らかに天気のいい時は峰に登って、遠く故郷の空を望み、木幡山、伏見の里、羽束師を見る。
この絶景の場所は持ち主がいる訳でもないので、いくら心を慰めていても邪魔が入ることはない。
雨が降って山道が大変だったりせず、心が遠く山の向こうに惹かれる時は、ここより峰つづきに炭山を越え、笠取を過ぎて、或は岩間寺に参詣して、或は石山寺を拝む。もしくはまた、粟津の松原を
分けつつ、蝉丸の翁の跡を訪ね、田上河をわたって猿丸太夫の墓をたずねる。帰り道には、季節によって春なら桜を狩り、秋なら紅葉を求め、わらびを折り、木の実を拾って、或いは仏さまに
差し上げ、或いは家へ持って帰る土産とする。
もし夜が静かなら、窓から差し込む月を見て旧友を偲び、猿の声に袖をうるおす。くさむらの蛍は、
遠く槇の島の篝火と見まがうほどで、明け方の雨は木の葉吹く嵐と間違えそうになる。山鳥がほろと鳴くのを聞いても、あの世にいる父か母かと疑い、峰の鹿が近づいてきて馴れているのを見ても、
世間から遠ざかったことを実感する。或はまた長らく起こさなかった火をかきおこして老いの寝覚めの友とする。深い山ではないので、梟の声をあわれむにつけても、山の中の風情は、季節ごとに尽きる事のない味わいがある。
まして私のような無風流な者でなく、物のあわれを知った人ならば、格別なものがあるだろう。
「解説」
長明は驚異的な体力があり、日野から琵琶湖まで、戻りには逢坂の関を越えて京都まで行く。途中で野宿をしながら一日30~40km歩くのである。
歩くことを苦にしない健脚の老人であった。又当時も今と同じく裕福な人は旅行ブ-ム。
グル-プで各地を訪れた記録がある。長明が行った所の例。
・平安京の名所・旧跡巡り
紀貫之、在原業平、周防の内侍の屋敷跡・・・・
・大和、河内の名所旧跡
・伊勢、熊野
「伊勢への旅」 長明の恋
30代の頃に伊勢への旅がある。この時に歌があり、恋人を訪ねての旅であった事が窺われる。
将来を約束しようと伊勢まで行くが、結局は成就せず失意で帰京することになる。
その時の歌
「鈴鹿山伊勢路に通うみせ川の見せばや人に深き心を」
→鈴鹿を越えて伊勢に行き、貴女を思う私の深い心を見せたいものだ
「忍ばんと思ひしものを夕暮の風のけしきにつひに負けぬる」
→我慢しようと思っていたが、夕暮に風が吹くと恋心が募り、こうしてあなたに便りを送ってしまう。
若い時の長明は、こんな情熱的な歌を作っていた。
結局は、失恋し栄達の道も断たれて失意のままに隠遁生活に入ってしまうのである。
「コメント」
多感な人故に、揺れ動く心を歌に託していた。それにしても、どうやって生活の糧を得ていたのか。
隠遁生活にもそれなりの、経済的裏付けがなくては出来ないだろうに。
また、山中での生活、各地への旅行にはそれなりの体力も必要。とても丈夫な人だったのだ。