170504秋桜子の「ホトトギス」批判と新たな試み 戦前期

 

「虚子と水原秋桜子」

 

二人の違いと、昭和初期に「ホトトギス」と違う俳壇の流れが出てきたことを話す。現在の俳壇でこの2人の違いを当てはめてみよう。

 

●虚子風 

 

  (触れ合わんとせり観覧車と虹と) 春山もね

 

  (ポテトチップの空袋凍り泥の中)

 

  (春の泥カモノハシよりタラタラと)

 

 現実には有るけどとても美しいとは言えないし、美しく詠もうとはしない。その侭を詠んで読者がどう受け取るかは

 

分からないような曰く言い難い句を写生であるとした。俳句を詠むのに美意識などは要らないし、人に押し付けるもので

 

はない。ただこういうことがあったという、驚きを、発見を詠めばいい。それをどうとるかは読者に委ねるのだ。そういう

 

読者を意識した句は弱い。強い句は何だか意味は分からないけれど、目の前に存在し体験したことを、不定形でも

 

いいから現実をただしめす作品には迫力があるとした。それが写生である。例えば虚子の次の句がある。

 

(大空に伸び傾ける冬木かな)

 

確かに写生しているのは分かるが、わざわざ詠んだ意図は分からない。

 

 

 

虚子は無意味であることをわざわざいう面白さ、ここに俳句らしい諧謔性、ズレ、ユ-モアがあるとした。

 

気取りは敵とした。

 

(両膝と火鉢の間の闇の濃さ)

 

(皮を見るバナナの皮は手より落ち)    この句は、オヤジギャグとしか思えない。意味不明。

 

 

 

 

 

●水原秋桜子風

 

  (春来たり甍は鳩を吸い寄せり)  四谷りゅう

 

  Poemがある。ファンダジ-の様である。

 

  (打ち向かう寒に藤咲く湯あみかな)

 

 上の様な作風に水原秋桜子は段々に耐えられなくなってくる。秋桜子は非常な趣味人で美術大好きのハイカラ・

 

モダン・洗練された都会人であった。カモノハシより泥が出てくるとかは見たくなかったはずである。

 

美しいものは美しいと示すべき。虚子の写生や虚子の絶賛する作品は、これが一体文学なのか、単なる観察記録で

 

あり報告ではないか。そのような例を挙げる。

 

 (カネタタキ左の耳に聞こえおり) 高野 素十

 

右でもいいのではないか。いみが全く分からないが、虚子は絶賛した。秋桜子から見ると、美しさも理念も無い、詠む

 

べき必然性も無い駄作。

 

「秋桜子のホトトギス脱退→「馬酔木」の創立

 

虚子のこういう状況に耐えられなくなり、ホトトギスを脱退する。そして「馬酔木」主宰する。虚子の主張する花鳥諷詠俳句を批判し理念と知識に基づく文芸俳句を目指す。共鳴した全国の若者が参加。「ホトトギス」は虚子一人が撰者があり、作品の評価は一方的。「馬酔木」は自薦コ-ナ-を設け、それぞれ自分が良しとする作品を掲載した。「ホトトギス」の

 

虚子流の意味の分からない作品の羅列に満足できない人々の集団となった。連作刀伊形式で傑作が生まれて行く。

 

表題 桜の風景 4句の連作 死をテ-マとしている

 

(今 人は死に行く家の花の影)  高屋 窓秋

 

(晴れし日は桜の空も遠く澄む)

 

(静まれる桜も墓も空の下)

 

(散る桜海青ければ海に散る)

 

現代詩の一節の様な句を俳句で示したことに当時の人々は驚いた。「ホトトギス」の感覚と全く番う「馬酔木」に新しい潮流を感じた青年たちが作りあげたのが新興俳句という形になった。現代詩の言葉の世界となった。

 

「新興俳句運動」

 

日野草城らの兄弟俳句会、水原秋桜子、山口誓子らの東大俳句会などが起こした俳句新運動。連作俳句・無季俳句などのじっせんにより、反伝統、反「ホトトギス」の運動。「俳句研究」「京大俳句」「馬酔木」・・・・などの句誌が参加して

 

大勢力になる。しかし戦時色の強まりと共に反戦思想を強め、戦時下の俳句弾圧で壊滅する。

 

この中で美意識に彩られた秋桜子とは少し違う、迫力のある句を読んだのが四Sの一人、山口誓子。

 

表題 大阪駅構内 連作

 

(夏草に機関車の車輪来て止まる)

 

(機関車の煙するべき夏は来ぬ)

 

(機関車の車輪カラカラと陽の日照り

 

花鳥風月を詠むのが俳句と信じられていた時代(今もそうだが)人々は大いに驚いた。

 

「俳句研究」 俳句の総合雑誌

 

1934年に創刊され、その後何度も休刊・復刊を繰り返し2011年に廃刊。この特徴は短歌俳句の結社方式を排除し、編集者の自由に判断で問題提起をし、魅力ある作品を選出した。戦後最も有名な俳句評論家山本健吉はここに拠る。彼は過去の俳人の作品を復活し、人々に伝えた。

 

(夏帽やあらゆる顔に濃き影す)   原石鼎

 

映画ののシ-ンを見るように優雅で静かな雰囲気が伝わってくる。

 

(冬空を今青く塗る画家羨し)    中村 草田男

 

(白露に阿吽の旭射しにけり)   川端 茅舎 

 

 

 

「コメント」

 

段々よくなる法華の太鼓。「ホトトギス」の何とも分からない作品には、専門家と言えども閉口したのだ。そんなのが何故一世を風靡したのか。江戸時代以来の旧態依然として進歩のない宗匠たちに幻滅していた人々へのまずは逃げ込むところだったのだろう。時は急速な文明開化、近代化の時代。そして次には現代人にも理解できる形が現れてきたのだ。

虚子と言う名は知っていたが、こんな人とは。