170608⑩「豊かさがもたらした地方再発見 70年代」

戦後の俳句史で一番大きな分岐点であった1970年代を話す。1945年から1970年は、若々しい主義主張を叩きつける難解な作品が多い。例えば

(身のなかのまつ暗がりの螢狩り)   河原 枇杷男  

(或る闇は蟲の形をして哭けり)     河原 枇杷男 

1970年代の特徴」

・白けた無気力

これが1970年代になると急速に、古典回帰する。美しく端麗な作品がもてはやされるようになる。

(白昼を能見て過す蓬かな)           宇佐美 魚目

(二つほど海月流れて波暮れし)     宇佐美 魚目

(香をきく姿重なり春氷)          宇佐美 魚目

全共闘時代が終わって、結局何も変わらなかった。先述した摂津 義彦(関学)、高柳 重信(早大)、坪内 稔典(立命)など、「俳句研究」に拠って、前衛的でラジカルな作品を発表した人々の時代であった。あれは一体なんだったのだろうとの思いが横溢した、どこか白けた時代と連動していた。

全共闘時代のスロ-ガンも熱気も意味をなさなくなっていく。

この時代を象徴するのが、ハッピ-エンドの「夏なんです」である。

  (田舎の白い畦道で 埃っぽい風が立ち止まる 地べたにペタンとしゃがみこみ 

           奴らがビ-玉はじいてる   ギンギンギラギラの太陽なんです)

何かの主張も、人生あるべき論も仲間との連帯感もなくて、自分だけぽつんと虚ろな目で道の子供を見ている情景。白けた無気力。1980年代の先駆けの歌である。

主張すべきものは何もなく、経済的繁栄にただただ埋没していく若者たちの姿である。

・この時代の俳句の一つを表すのが、種田 山頭火である。 

     ディスカバ-ジャパンと相俟ってブ-ムとなる。

 まつすぐな道でさみしい)

(分け入つても分け入つても青い山)

(うしろすがたのしぐれてゆくか)

・ディスカバ-ジャパンブーム 

 全共闘時代の後、国鉄の旅のコマ-シャル(ディスカバ-ジャパン)のブ-ムに乗って、若い女性が

  自分探しの旅となっていく。TV番組「遠くへ行きたい」→遠い町 遠い海 夢遥か 一人旅

一人・孤独

全共闘時代は、岡林 信康に象徴される「私達」「友」への呼びかけで代表される連帯であるが、

この時代は「私」「一人」である。そして都会ではなくて、遠い地方がその対象となっていく。

ノスタルジ-と自分が、この時代の人々の特徴。

そしてしめくくりが「いい日旅立ち」であり、雑誌が俳句旅行という特集を出してブ-ムを煽った。

・金子 兜太

 社会性俳句、前衛俳句の中心であったが、この時期には一転して地方と土の匂い、郷土と言った

   ものに自分を重ねる作品になっていく。山頭火の研究家としても知られる。

(湾曲し火傷し爆心地のマラソン)(人体冷えて東北白い花盛り)

 時代に沿った作風の変化を、金子兜太の変節との批判もあるが、むしろ時代の変化を嗅ぎ分ける

  彼の動物的感覚と言うべきであろう。

森 澄雄

 人間探求派と言われた加藤 楸邨に師事。1960年代後半から俳壇全体が伝統回帰の傾向を

  強める中で、「俳句とは何か」と「人生とは何か」の二つを噛み合わせて句を作ることが身上。

  悲惨な戦争体験者。後年は仏教思想に傾いた。

俳句と言うより、俳壇に近い句を作るようになる。芭蕉作品に親しむ。

(秋の近江霞誰にも便りせず)   季またがり 

妻亡くて道に出てをり春の暮) 

(向日葵や起きて妻すぐ母の声)

われもまたむかしもののふ西行忌)

・雑誌「俳句」 角川書店

全共闘時代、俳句は社会性を主張した「俳句研究」が中心であったが、この時代は商業誌

「俳句研究」が中心となっていく。

・都会人の感覚

この時代の作品の特徴は、都会人が2/3日電車に乗って地方に行き、小奇麗なホテルで名所を

楽しんで句会を催すというのが流行った時代。要するにデスカバ-ジャパンの俳句版。

この事は日本が豊かになり、地方の歴史と風土を楽しむ都会人が増えたことを表している。

森 澄雄は、この時代を象徴する俳人で、飯田 龍太と並び称された。

・俳句人口の増加

いわゆる京大俳句事件に連座した、平畑 静塔(京大俳句)がその時代を次のように言っている。

「経済繁栄が中産階級のレジャ-ブ-ムを促し、余暇の増加は女性俳句人口を急増させた。

その時に実力のある俳人たちには、急増した女性愛好者を教えるために俳人と言うよりレッスンプロ

としての技量が求められるようになる。そしてそれによって経済的利益を得るようになった。」

・この時代の好まれる作風

主義主張が消えて、残ったのは美しい世界、古典的な俳諧の世界、そして女性の好む荒々しくない

もの・ザラザラしていないもの・整っている、端麗な物が喜ばれるようになる。高柳の「俳句研究」で

はなく、角川の商業誌「俳句」が中心に位置づけられるようになる。

・飯田 龍太 

飯田 蛇笏の四男。この時代の伝統俳句の雄として、森 澄雄と並び称される。具象的な作品に

止まらず、時に抽象的・象徴的表現に傾くことにも特徴があり難解となる。

(かたつむり甲斐も信濃も雨の中)

(白梅のあと紅梅の深空あり)

(春すでに高嶺未婚のつばくらめ)

(父母の亡き裏口開いて枯木山)

「まとめ」 

1960年代は酒飲みの無頼派の男たちの破綻を恐れない主義主張の時代、1970年代は経済

繁栄を反映した俳句人口の急増により整ったもの、品のいいもの、美しいものが良いとされる時代となり、そしてこれが今も続いている。

 

「コメント」

文藝も時代背景無しでは有り得ないし、携わる人々にも生活がある。江戸時代までの和歌、俳句は富裕層の遊芸であったが、次第に大衆化して変化は免れない。今後はどう変わっていくのか。

私は漂泊の気分の芭蕉が好きである。

まず和歌との繋がり(歌枕、歴史、西行への思い)、分かり易さ。今の所、俳句にはさしたる興味はないが、俳句の歴史を見るのは面白い。講義に出てくる俳人も殆ど知らない。