170622⑫「日本人は死をどう描いてきたか 戦後と現代

 

1980年代は主義理念を主張する野暮が消えて、品格を基準とする。女性を中心とする大衆化が

進んで行く。

「1980年代の俳人」

全体的に技巧的に洗練されて、俳句と言うより俳諧と言った様な言葉の世界でのユ-モア・見立て・古典的表現などを中心にしている。貧乏くさい、生真面目な男臭さは消えて、遊んでいる様子が見て取れる。

(波多野爽波)

ホトトギスの虚子の下で修業したまさに歴史に残る天才である。高級官僚の父を持ち、鎌倉で育つ。

京大短歌で活躍し、卒業後就職するが俳句界に復帰。多作を奨励し、俳句スポ-ツ説を唱える。

多作多捨。

(雪舟は多く残らず秋蛍) 

 世に雪舟作は多いが、真作は少ない。映像が残り、心象風霊が浮かんでは消えて行く。

(骰子の一の目赤し春の山)

(炬燵出て歩いてゆけば嵐山)

(あかあかと屏風の裾の忘れもの)

(正木 ゆう子) 熊本高校/お茶大 会社勤めの傍ら句作

 現代の女性のライフスタイルを反映した奔放な詠みぶりで、同世代の女性俳人の先駆けとして

 活躍。NHK俳句講師。

(林檎投ぐ男の中の少年へ)

男の中にある少年性に好意を示しているのだ。女の中に少女性はないが。

(魔が指して糸瓜となりぬどうもどうも)

(かの鷹に風と名づけて飼殺す)

(小沢 実) 信州大学俳句会 NHK俳句撰者

句会での題詠を得意としており言葉を生かすことを考えるべきものとしている。

中七で切れを作り下五でダメ押しのようにさらに対象の描写を続ける手法を好んで用いており沢調と言われる。

(中原 道夫) 

卓抜な機知を駆使し21世紀 の風狂の俳諧師と呼ばれる。昔の社会性・主義主張はみじんもない。

(春雨や鯛焼売つて別所の湯)

(白魚のさかなたること略しけり)

(焼き上がるたい焼きのみなこちら向き)

「1980年代の短歌」 口語短歌   以下の二人が口語短歌を代表する。

俵 万智・穂村 博

この2人を頂点として、口語短歌は古典的素養や文法の制約が少ないことも相俟って、今は多数になっている。

歌はは自分と言う存在を1980代から、使い易い口語を使って表現するようになった。

口語表現は薄っぺらく平易になればなるほど、厄介で神経質で無様な自分がせり上がってくるような効果が出てくる。たどたどしくて簡単な表現ほど、言葉と逆な事を表す効果が強まるのである。

(俵万智)

この時代の始まりは、俵万智のサラダ記念日。大坂出身で早稲田短歌会、神奈川県橋本高校国語教諭。口語短歌を駆使して、カタカナを巧みに使い親しみ易さでブ-ムとなる。現在も未婚の母。

この頃は口語短歌と言われるものが、加藤 四郎をはじめとして徐々に広がっていた。そして、俵万智から爆発。

(この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日) 

何気ない日常が、あなたがそういったから特別な日になったのね。

(穂村 弘)

短歌は、時代や社会を定点観測するものであると共に、歴史や形式を考えされるものであるとした。短歌は若さの狂気と言うべき、そのテンションであるべきとした。

(終バスに乗るふたりは眠る紫の降りますランプに取り囲まれて)

(KYと言われたことは数知れず つまりは僕も世界音痴短歌だ)

(東 直子) 神戸女学院 岡井隆の師事、イラスト・小説・童話も手掛ける。

穂村 弘と東 直子の共著「回転ドアは順番に」  二人の歌人が其々男と女の視点で恋のやり取りを短歌と詩で綴っていく。メ-ル交換で作り上げられた詩と短歌による一つの世界。

(いつの間に消火器にガム張りつけて青空くさいキスの始まり) 穂村 弘

(遠くから来る自転車を待っていた春の日まぶしいドナタ)     東 直子

「1980年代の俳句」

この時代の傾向は以下のようになる。

・文語を使う ・季語をきちんと選択する・切字を効果的に使う・表示は文語を使う・・・思う→思ふ

・日本語を美しく使う

「角川俳句」では、これらの使用上のアドバイスの特集が次々と掲載されている。

また俳句のHow Toものでは、出版が相次ぐ。短歌が口語を使って口当たりのいい分かり易い作品が主流になっていくのに対して、俳句は古典的、伝統的なものが基本的な流れとなっていく。

「2011年東日本大震災への短歌・俳句の対応」

「短歌」

口語表現の延長でフェイスブック・ブログ?メールなどの延長のようなたどたどしい言葉となって

表れてくる。しかし、これは言葉表現とは別に自分の心の痛みを表しているのだ。そしてその特徴は

・心優しい人達である

・何事も否定しないし、されたくない。

・何事も批判しないし、されたくない。

・事が起きても深刻にならない。仕方ないのよ。過去なのよ。

・事が起きてもスロ-ガンや標語のように何事も無かったように言葉だけが残っていく。

これを象徴するのが斉藤斉藤である。

(斉藤斎藤) 早大  第二歌集「人の道 死ぬと街」

(雨の県道あるいてゆけばぶちまけられてこれはのり弁)

(自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに)

(このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい)

奇妙な言葉の羅列。何かを訴えようとしているのだろうが全く分からない。

 

「コメント」

俳句は古典回帰、俳諧へと帰って行っているのは分かった。しかし短歌はどうなのだ。俵万智までは何とか。しかし斎藤齋藤に到って何か馬鹿馬鹿しくなって途中で記録するのを断念。講師が何を

言おうとしているのかが、まず理解できない。そして斉藤斎藤の歌も全く分からない。

して何故世の中でもてはやされるのか。

それにしても、短歌も俳句もどこか奇を衒わないとその業界では生きていけないのか。先輩たちはそれに迎合するのか。訳の分からないアンソロジ-は沢山だ。それぞれ伝統の上での斬新さを

願いたい。今日の表題「日本人は死をどう描いてきたのか」は何処へいったの。