170629⑬「洗練された表現、大震災、現在の若手俳人たち 90年~00年

 

「はじめに」

今回は明治から平成への俳句の歴史の流れをアウトラインとして示すこととする。個人的に残念な

ことは、多くの秀句、面白い句、考えさせられる句があるが、限られた時間で紹介できなかったことである。明治から平成まで短歌・現代詩を含めてどのような道のりを歩んできたかを示してきたが、今回は平成の中でも直近の俳人、それも若手と言われる俳人を紹介する。前回、口語短歌で俵 万智が売れて、口語短歌が大流行となった事は述べた。

「口語短歌」

・加藤 治郎  早大 

岡井 隆に師事し、アララギから前衛短歌まで消化した上で「口語短歌は最後のプログラム」と

宣言。「ニュ-ウェーブ」の改革者として、口語短歌に意欲的に取り組んだ。若手のプロデュ-サ-

役割。現代短歌の最重要人物。

(マガジンをまるめて歩くいい日だぜ きおりポンと股で鳴らして) マガジン→「漫画マガジン」

(ひとしきりノルウェ-の樹の香りあれベッドに足を垂れて ぼくたち)

(何か僕に話しかけてる横顔と薔薇をうつしてくらき車窓は)

穂村 弘 歌人・エッセイスト・絵本作家・作詞家  上智大学 父は牧師

加藤治郎などと共に1980年代の「ニュ-ウェ-ブ短歌」運動の推進者。現代短歌を代表する歌人。評価は高く、俵万智が300万部売れたので、穂村なら3億部売れてもおかしくないといわれた。

NHK全国学校音楽コンク-ル高等学校課題曲「メイプルシロップ」を作詞。短歌は、時代や社会を

定点観測するもので、歴史や人間、更には日本とは何かを考えさせるものであるとした。

(「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月)

両者とも、市井の人々の日常を批判もせず、難しい言葉・短歌特有の言葉は使わないで、口語で

そのまま歌っている。

短歌は彼らの主導の下で、俳句と違う方向に歩んで行ったのは前回話した通りである。

「その頃の俳句」

・長谷川 櫂 東大法学部 読売新聞記者を経て俳句 熊本出身

東日本大震災を詠んだ歌集の他、芭蕉・一茶・子規・虚子・加藤楸邨などの俳人研究、俳句の「切れ」と「間」、日本文化についてのエッセイ、俳句入門書など多数の著書。近年は一茶の再評価を梃子にして、俳句史更には日本史の見直しを進めている。

(囀りやピアノの上の薄埃り)

(囀りや豆腐の水に松の塵)

江戸の俳諧的な雰囲気。気品と古典的な方向に進んでいる。

・池田 澄子

(じゃんけんで負けて蛍に生まれたの)

生活の周辺をやや、アイロニカルに眺めて、口語短歌を得意としている。口語を使うとある意味、

深刻な状況をあっけらかんと詠むので、却ってその深刻さが浮かび上がってくる。全体的な復古調の中でこういうのもあった。この人は異例であった。 

「東日本大震災への反応」

俳句は季語を活かして、格調高く鎮魂の雰囲気であったのに対して、例えば口語短歌の斉藤齋藤は違った表現をした。

・斉藤齋藤 歌人 早大

(突堤からそこまで来てあっという間で死ぬかと思って本当に死ぬ)

(注)この人の歌はいつも理解出来ない。NHKにも出るので顔は知っているが容貌も如何にも怪異。

死んだ人の事を読者に考えさせる作品とされる。しかし何だか分からない。けど緊迫感はある。

・大峯 顕  俳人 京大 僧侶 阪大教授

(図りなき事をもたらしめる春の海)

短歌とは表現の仕方が違う。文語を使い、丁重に鎮魂の意を表している

「現在の俳句と今後

俳句は文語的なものを良しとして、長い歴史の蓄積の果てに、洗練と技巧を凝らし続けた。

俳句総合誌は、競って「How o俳句」「季語の上手い使い方」「取り合わせの妙」「名句に学ぶ」

「吟行の方法」等の特集を組んで、カルチャ-スク-ルの人々を誘った。これが今も続いている。

短歌の斉藤齋藤などは後世、大震災を記憶される歌として残されるかもしれないが、俳句にはまだ

そういう人はいないといっていい。

むしろ俳句は斉藤齋藤の様に、大変な事を直接的に詠むことが良いのかという議論の過程にある。

しかしそういう中で、以前として俳句人口は増加の一途。

(新選21

個人的に興味のあるアンソロジ-がある。2009年に「40才以下の21世紀を代表する若手俳人」と

銘打って「新選21」というのが出た。俳句総合誌・結社・俳句協会に関係のない無所属の人々がいる。

結社に入って然るべき人に師事して、句作の指導添削を受けるというのが普通の人々。これと違って、

例えば「俳句甲子園」で活躍して、結社などに所属せず仲間たちとワイワイとやることが、インタ-ネットの広がりと共に盛んになった。この人達の作品である。日常を主張を入れず、淡々と詠むのが特徴である。

鴇田(ときた)智哉 1969年生まれ 上智大

(水入れてコップの水の冬めける)

(円柱は春の夕べに現れぬ)  円柱は電信柱のこと

夕方(逢魔が時)に、ぼんやりと円柱が見えてきたよ、何か不気味な印象である。

(たてものの消えて見学団の来る)  津波で建物崩壊後の見物団

・関 悦史 1969年生まれ 二松学舎大 俳句は高柳 重信の現代俳句に私淑

 (人類に空爆のある雑煮かな)

テレビを見ながら、ぼんやりと中東の空爆を見ている自分。のんびりした日本と、無関係な世界との距離の遠さ。

神野 紗希(さき) 1983年生まれ 松山東高校 俳句甲子園に優勝 明大講師

 女性が大部分を占める1980年代の俳句会を代表する人。やさしい俳句会主宰。NHK俳句講座。

(カンバスの余白八月十五日)

(起立礼着席青葉風過ぎた)

(コンビニのおでんが好きで星きれい)

(細胞の全部が私さくら咲く)

(カニ缶で蕪炊いて帰りを待つよ)

(食べて寝ていつか死ぬぞう冬青空)

・佐藤 文香(あやか) 1985年生まれ 松山東高校 早大 俳句甲子園準優勝 

(夕立の一粒源氏物語)

(少女みな紺の水着を絞りけり) 

(手紙即愛の時代の燕かな)

(君に目があり見開かれ)

・村上 鞆彦 早大俳句 「南風」主宰

清らかな叙情性とデリケートな青春性この世代を代表する本格派。洗練された叙情的な句風で

知られる。有季定型を信条とする古風な俳人からも受けが良い。

(枯山の後の蛍の雪の山)

(ガラス戸の遠き夜火事に触れにけ)

(投げ出して足遠くある青春かな)

(花の上に押し寄せてゐる夜空かな)

・高柳 克彦 早大俳句 神野 紗希と結婚 「鷹」編集長  水原 秋桜子の流れ 芭蕉研究

(茄子を焼く煙淡しや恋終わる)

(枯蓮や塔いくつ消え人類史)

(馬と寝る旅をしたしよ沙羅の花)

(菜の花や早退の子がバス停に)

日常と心象をうまくマッチさせて詠んでいる。非常に達者で、古典知識を踏まえて、しっかりとした作品である。

・田島 健一 1973年生まれ  「オルガン」創刊

(ただならぬクラゲと光追い抜くと)

読んだ人は何の事か、全く分からない。分からない言葉を使いまわす事が、俳句の芸と心得ている風がある。

(空がこころの妻の口ぶえ花の昼)

・北大路 翼  新宿歌舞伎町を舞台にしたアンチモラルな句が多い。

俳句なんかは呟きのようなもの。当人が俳句だと思えば、立派な俳句だ。

(熱燗のコップを握ったまま眠る)

(蛤を灰皿にして立ち飲みや屋)

(キャば嬢と見ているライバル店の火事)

「現在の俳句のまとめ」

彼らの作品に共通するのは、今までの俳句史の蓄積の上に成り立っていることである。いわば延長線上にあるのだ。これが、今流行っている口語短歌と違う所である。

 

「今後の俳句」

今後俳句の変革者は現れるであろう。歴史を見ると、その変革者は俳句と無関係な所から出てくる。

一つの動きとして」オルガン」という俳句雑誌に参加している人の句を紹介して締め括りとする。

・生駒 大輔

(秋燕の記憶薄れて空ばかり)

秋燕(しゅうえん・南に帰っていく秋の燕)とあるので、ツバメの記憶が薄れて、そこには空があるばかり。「秋燕」で切れ→燕が飛んでいるな、自分自身の記憶も薄れて空ばかりが拡がっているともとれる。

どちらとも取れるように曖昧にしている。この句は、俳句の変革者たちが何処からともなく現れてくるという事を示唆しているようだ。現代の俳人達は、俳句史を知っている人も知らない人もそれぞれの

立ち位置で活躍していくであろう。

                      13回     「完」

「コメント」

俳句についての知識ゼロからのスタ-トであったので、初耳ばかり。古典の常識としての

「奥の細道」は一応、一茶は「小説 一茶」位。夏目漱石が、友人子規の影響からか俳句に

親しんだこと、漱石の弟子 寺田寅彦の事。

しかしこの講義は、結論で言うと筋道がとても分かりにくかった。これは、講師が大学で俳句研究をやっているというより、俳人であるという事に起因するのではないかと。例えは悪いが、二流のプロ野球選手が、長島・王を語っているよう。

モット純然たる学者の話としで聞きたかったものだ。難解な句は勘弁、時間の無駄。

つくり手が悪いのか、読者(私)が悪いのか、その両方が悪いのか。ご苦労様でした。