210826⑨「傲慢という病」

「終末のビジョン」 驕りと傲慢

ドストエフスキ-文学における、最大のテ-マの一つともいえる傲慢の病について述べる。

「罪と罰」のエピロ-グで、流刑地に送られた主人公ラスカ-リニコフが言う。「全世界が、ある恐ろしい見たことも聞いたこともない疫病の生贄となる運命があった。疫病はアジアからヨーロッパに拡がっていった。ごく少数の選ばれた人々を除いて、誰もが死ななければならなかった。出現した新しい寄生虫の一種で、人体にとりつく微生物であった。しかも、この微生物は知恵と意志を持った霊的な存在であった。此の疫病に罹った人々は、血を吐いて、それに感染した人々は病気にかかる前には、

およそ考えられなかった自信をもって自分は極めて賢く、信念は正しいとしていた。」

ラスカ-リニコフの夢に現れた風景は、19世紀のロシア文学の生み出した、優れた世界の終りのビジョン、終末のビジョンと言うことが出来る。

この夢に盛り込まれた詳細の出所は知られている。

1860年のドイツで、動物の筋肉に入り、人間にも寄生する生物の存在が明らかになった。これはやがてロシアにも広がり、パニックを引き起こす。ドストエフスキ-はこれに着目する。

そしてその事実から、生物的視点をそぎ落とし、純粋に形而上的な意味を持たせた。

改めて説明するまでもないが、今や此の微生物に感染した人々の示す症状は、発熱とか咳ではなく、自分だけが絶対に正しいと信じる恐ろしい驕り、傲慢という症状なのである。その驕り故に、人類全体が滅びるという啓示が夢の中のラスコーリエフに訪れた。ではこの夢を経験した後のラスカ-リニコフの内に起こった変化とは、どんなものであったろうか。

それについては、今日の講義の最後に話す。

「講師の公園散歩」 ゾダバ-グの映画コンテイジョン  バタフライ効果

今日の視点から見ても、この微生物の霊的な存在という意味付けは、唐突な飛躍がある。現代医学の知識より、いささか鼻白んだ向きがあるかもしれない。だが、19世紀に生きたドストエフスキ-かにすると、これはある意味で作家としての命を懸けた解釈であった。なぜならドストエフスキ-の同時代の多くの人が、この時未曾有の脅威と感じていたのは、重大なかつキリスト教信仰の根幹を揺るがすニヒリズムの嵐であった。

さてここで、私的な体験がある。「罪と罰」の微生物の話と、今回のコロナウィルス禍との連想が起こったのは、昨年4月初め、桜満開の公園であった。自粛とか社会的距離とかの重要さが叫ばれる中での散歩には、胸の痛みを伴った。
しかし安全な呼吸できるのはここしかないと思い、外に出たのである。様々な連想をしていた。スターリン時代末期の
モスクワの夜、昔読んだトーマスマンの「ベニスに死す」、様々な思い出の最後に現れたのが、ネット上で大きな話題を呼んでいるソダ-バ-グ監督の映画「コンテイジョン」であった。(パンディミック題材)

公園に入ったら、私の好みの言葉があった。それは「ブラジルの一羽の蝶が羽ばたきは、テキサスで竜巻を起こす」というものであった。一般にバタフライ効果の名で知られ、未来の予測が如何に困難であるかを示す言葉である。大辞林には次の説明がある。→「初期条件の僅かな差が、その結果に大きな差を生じること」

蝶は羽根を動かすだけで、遠くの気象が変化するという意味の気象学の用語を、カオス理論という。

説明は省略するが、一つだけ言う。

「ブラジルの一匹の蝶とは、他でもない現にこの夜の公園で、深呼吸している私であり、テキサスの

竜巻とは、今のパンディミックの話しだという事。その夜、私はゼロ号患者に成り代わったような、

微妙な罪の感覚に支配されていた。

われながらとても非科学的な言い方だと思うが、人は吸う息によって被害者となり、吐く息によって

加害者となる。人間は呼吸毎に、被害者から加害者に、加害者から被害者に置き換わる。

この感覚は日常生活の戻ってからも益々強くなり、人前で呼吸するにも息苦しさを覚えるようになった。堕罪の原因は何だと言うおかしな男ラスカ-リニコフの、夢の主人公の言葉が何度も頭に浮かんできた。

私の頭の中で、ゾシマ長老が、三男アリョ-シャに伝えたことが浮かんできた。
引用する。

「もし私が正しい人間であったなら、私の前に立つ罪人は、そもそも存在しなかったかもしれない。」

ゾシマ長老の言葉を裏返せば、「私が正しくない人間だからこそ、私の目の前の罪人は罪を犯したのである。」となる。→人間は全て罪を犯すものである。???
大切なのは私と罪人の間に、直接的な利害関係はなく見ず知らずの他人に対して、罪の意識が働くという心の状態で
ある。即ちここには漠然と表明されている世界とは、罪の意識を介した運命共同体の存在なのである。

「天才と凡人」  優遇されるべき人と、虐げられるべき人 「罪の罰」のラスカ-リニコフ

所がそうした共同体の掟に従い、現在の感覚に背を向ける様にして、立っているのが「罪と罰」

青年ラスコ-リニコフ。

天才と凡人の二つの階層を巡る彼の理論には、凡人とより良きものの為に現在ある不要なものを

破壊する天才とに分かれる。当然のことながら、後者は前者の権利を踏み越えることが許されるだけではなく、ありとあらゆる条件の下で、特権的立場を享受し、最優遇される存在である。

「コロナ禍のイタリアのトリア-ジ」  ラスコ-リニコフとの類似

コロナウィルスの感染が、世界中に拡大していく中で、このラスコ-リニコフの哲学にイタリアで起こったトリア-ジ・患者の選別の悲劇が、一本の糸で繋がった。生きるに値するものと、生きるに値しないものの選別という動機の根本において、両者の間には天と地ほどの開きはあるが。

しかしそこには奇妙な一致がある。誰の命を救い、誰の命を見捨てるかという重大な決断を、「罪と罰」ではラスコ-リニコフが、イタリアでは医師が下す。まさに神聖な規範をはみ出す、事態が生じていた。

「ロシアの疫病」  プーシキンのベスト流行下の宴  ツルゲ-ネフの告白 

            ドストエフスキ-の場合は

さて19世紀ロシア文学の描き出した災害の最悪の例として挙げられるのは、戦争・飢餓・疫病である。

戦争の悲劇は、トルストイの「戦争と平和」でつぶさに描かれている。19世紀のロシアの飢餓では37万人の死者。

戦争、飢餓に劣らず、ロシア文学に影を落としたのがコレラである。19世紀を通じて、欧州社会を

何度も混沌に陥れた。

コレラは元々ベンガル地方の一風土病に過ぎなかったが、植民地経営の拡大と貿易によって、世界に広まった。

1830年にロシアに第一波、20万人死亡。コレラ禍は民衆の反政府運動を引き起こした。コレラ対策への反発である。

このコレラ流行の文学的遺産は、プ-シキンの「ペスト流行下の宴」。プーシキンが描こうとしたのは、死の絶対性という運命に屈する、二つの対照的な生き方である。

悔い改めて天上の幸福を説く司祭の生き方であり、一方青年ウォルシンカ゜ムは、宗教的救済を一切拒否して、ペスト讃歌を歌いながら宴を開く。

コレラ罹患を病的なに恐れたツルゲ-ネフに次の告白がある。

今日にもコレラに罹るかもしれないという思いが、一時も頭から離れない。頭の中をコレラが、「ぐるぐる回っている。私はコレラを擬人化している。病んで黄緑色をした悪臭を放つ老婆の様である。私が恐れているのは、死ではなくコレラである。私は無力だ。」

ツルゲ-ネフのこの偏執狂的な恐怖は、何よりもその4割近い死亡率に起因していた。

ではドストエフスキ-はどうであったか。ドストエフスキ-一家が、4年のヨ-ロッパを放浪からペテルブルグに戻ったのは、1871年コレラ流行の時であった。だが、ドストエフスキ-にこれらに関するエピソ-ドは見当たらない。

 

「悪霊におけるコレラと革命活動」

「罪と罰」のエピロ-グで、旋毛虫のエピソ-ドを語って見せたドストエフスキ-が、次に疫病のモチーフを取り上げたのが、「悪霊」であった。まさに、コレラ禍の時期であった。

この作品では革命家ピヨ-トルによって率いられた5人組による新国家建設の試みが、コレラ接近によって、政情不安と巧みにダブルイメ-ジ化されている。ツルゲ-ネフの例に見る様に、致死率40%iになるコレラへの恐怖は、人々に極端な自己防衛本能を引き起こしていた。

日常的にも、信じがたい行動をさせた。しかし、この「悪霊」においても、プーシキンの「ペスト流行下の宴」と同様、一種のカーニバルもどきのけたたましい祭典が開かれる。革命家ピヨ-トルによる

政権奪取の試みもまた、コレラ拡大を梃に、此のカ-ニバル的様相に乗じる形で、設定されている。

ピヨ-トルは、スタブロ-ギンに向かって来たるべき新国家のビジョンを、酒に酔っているかのように語る。

「僕たちはこれからあちこちに火を放つ。流説を流す。そうして動乱が始まる。世界が未だかって見た事のない動揺が生まれる。古いロシアは霧にかき消され、大地は古い神を偲んで、泣き出す。そう、そこで一人の人物を野に放つ。それは誰だ。イワン王子だ。」ピヨ-トルがスタブロ-ギンに語った、このイワン王子はロシアの民話収集家アファ-ナシェフの民話に登場し、悪の権化カスチェイと対決する伝説の人物である。

イワン王子の名の下に、スタブロ-ギンがイメージしたのは、僭称者即ちアンチキリストの存在であった。

引用。

「その方は存在している。だが誰もその姿を見た者はいない。その方は身を隠しておられる。尤も10万人に一人位は見せてもいい。そうすると全国に見たぞ見たぞという声が広がるから。あの方は美男子で神のように誇り高く、自分の為には何一つ求めず、身を隠している。大切なのは、伝説を広げることだ。あの方なら人々を征服できるし、一瞥をくれるだけで出来る。」

革命に向けて混乱を導き出すために、街に火を放ったのは、工場の労働者であった。

作者ドストエフスキ-は、荒れ狂う火事の場面を、一見物人として次の様に描写する。

「夜の火事にはどこかワクワクさせるような印象があって、恐怖と身の危険を感じさせる所から何か

脳震盪みたいなものを引き起こし、破滅本能を呼び覚ますことになる。破壊本能は誰の心にも、家族持ちで温厚な九等文官の心にも潜んでいる。此の隠微な感覚には、いつも人を酔わせる感じが

ある。」

悪霊たちの物語は、ここから一気に破局に向かう。彼らがそれぞれに牙をむき始めるのである。

信仰と愛と良心を焼き尽くし、累々たる屍の山を築いていく。

ドストエフスキ-の「悪霊」には確実に、二人の悪霊、二つの悪霊、二種類の悪霊が存在している。

第一の悪霊、それは革命の実現に向けて暗躍する兇徒・フィヨ-ドル、もう一人は一切の欲望にまみれ生きる屍となったスタブロ-ギン。

この二人に仕組まれた悪霊である。いずれにしても、人格化された悪霊と呼ぶことが出来る。前者の悪霊は、集団的競争の中に出没する邪悪なものであるなら、後者はより明確な人格を持った悪魔である。

ここで思い出して欲しいのは、「悪霊」の冒頭に掲げられた福音書の一つである。

引用。

「悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると豚の群れは、崖を下って海に流れ込んで死んだ。」

ここに記された悪霊とは、どのような存在だったのか。この悪霊に対して唯一光明を託された人物がいる。

それがピヨ-トルの父親ステファン・ベルホ-ベエンスキ-である。彼は死を前にしてこう口にする。

引用。

「病人から出て豚の中に入る悪霊ども、あれはね、何世紀にもわたって僕たちの愛すべき病人、つまり僕たちロシアに積もり積もった全ての疫病、全ての不浄な輩、あらゆる悪霊ども。これは僕たちなのだ。僕たちであり、あの連中なのだ。」

一人ステファン・ベルホ-ベエンスキ-が最後に口にするこの言葉は、弱弱しいながらもロシアの

未来に希望の灯をかざす。人間存在の全ての掟というのは、人間が常に計り知れない偉大なものの前で、ひれ伏すことができるという一点にある。人間から計り知れない偉大なものを、奪い去ってしまうと、彼らはもう生きることを止め、絶望のまま死んでしまう。

 

「罪と罰の驕り」 ラスコ-リニコフの夢

さて「罪の罰」のラスコ-リニコフが見た夢に戻ろう。

話は中途で終わっていた。顕微鏡レベルの微生物に侵された人間は、自分が絶対に正しいと信じ、結局人類全体が滅亡する。作者が霊的存在を規定した微生物は、いうまでもなく驕りである。驕りが人間を滅ぼすというのである。

最後の問いに向かおう。

ではこの悪夢から覚めた、ラスコ-リニコフに訪れた変化とはどのようなものか。

引用。

「ラスコ-リニコフは苦しかった。この不気味な悪魔が余りにも悲しく、悩ましく、記憶に拘り続け、此の熱にうなされた夢の余韻から、長い事逃れられなかったからである。」

ドストエフスキ-はどこまでもさりげない形で、提示しているが、誘導の目的があったことは明らかである。ラスコ-リニコフがこの夢を見るのは、復活祭の時の病気入院中のことである。

「罪と罰」の世界は、此の夢の記述を境に、ガラリと雰囲気を変えることになる。

この数ページ後には、ラスコ-リニコフとソ-ニャの精神的触れ合いが書かれている。

引用。

「彼らは辛抱強く待つことを決めた。彼らにはまだ7年が残されていた。それまでにはどれほどの耐え難い苦しみと幸せがある事だろう。しかし彼は甦ったのだ。」

夢の続きである。

「この幸せが始まったばかりの頃、時々此の7年を7日と思いたいような気持になった。彼は気付いていなかった。新しい生活はただで得られるものではなく、それは遥かに高価であり、それを手に入れるには招来にわたる大きな献身によって、贖って行かねばならない。

一度は自分自身の怒りの火の中で焼かれながら、独りの青年に復活が訪れる。

「日本の現状」

しかし、私たちが生きる日本に、この青年を救う手段はない。厳罰主義の日本には、ドストエフスキ-が目指す復活の理想から、遥かに遠い所にある。

 

「世界の終末」カラマ-ゾフの兄弟より

さて驕りが生む世界の終末という地獄のビジョンは、「カラマ-ゾフの兄弟」において、更に明確に

なる。キリスト信仰である。キリストとの約束を破った人類について、ゾシマ長老は語る。

引用。

「世界中が血の海になるより他にない。血は血を呼び、剣をつかうものは剣によって滅びるのだ。そして、キリストの約束が無ければ、彼らは最後の二人になるまで滅ぼし合うであろう。それでいて、この最後の二人は自分の傲慢さから、互いを認めることが出来ず、遂には最後の一人が相手を滅ぼし、最後には自分をも滅ぼすことになるのだ。」

では人類が驕りによる滅亡から逃れる手段は、ゾシマ長老の場面で、ドストエフスキ-はどう考えていたのだろうか。

単に謙虚であれと呼びかけるだけでは、空疎なお題目でしかない。

同じ「カラマ-ゾフの兄弟」にかすかながらも、暗示する一文がある。

「人間はもはや原点に立つしかない。」

仮にそれが正しい人間であったなら、私の前に立っている罪人は、そもそも存在していなかったかもしれない。熟読して欲しい所である。ここに示されているお前、私と罪人は、互いに見も知らずの他人と考えてみよう。私達人間は、ほとんどの場合、他者の悩み、苦しみに対して無関心である。逆にそれどころか、身近になれば成程近親憎悪的な感じを抱く。

ドストエフスキ-は書いている。

「身近な人間など好きになれない。隙になれるのは遠くにいる人間だけだ。」しかし私たちはそれでも、なにがしかの力で結ばれていると、ドストエフスキ-は確信している。その力は言うまでもなく、

罪の意識である。

 

「ドストエフスキ-文学とパンディミック」

最後にもう一度連想を拡げよう。先程引用したソジマ長老の最後の言葉は、パンディミックから私たちが高度の規範としている規範と、どこか通じているように思える。

バタフライ効果の譬喩を用いるならば、一匹の蝶としての自覚の下、罪の意識で結ばれた大きな共同体に、身を置く覚悟が必要である。ドストエフスキ-はそう言おうとしていると思う。
パンディミックからの逸脱はまさに驕りの証である。以前コロナがヨーロッパで猛威をふるい始めた時期、私はふと
水俣病の病院で見捨てられた、老人の絶望の顔に思いを馳せながら、内なる声に耳を傾けた。あの老人を殺したのは、私のこの呼吸かも知れない。

 

「コメント」

講師の言葉に少しずつ慣れて来て、言わんとすることの少しは解るかなという気分。なる程も増えてきた。肩が凝って。目が霞む。