210902⑩「美は世界を救う」 ドストエフスキ-の言葉

ドストエフスキ-にとって、美とは何かについて話す。そもそもドストエフスキ-は、何で美について論じるのかという事である。

それは混沌を極めた19世紀のロシア社会で、規範となるものは何かと考えた場合、恐らく美にしか、その規範を求め得なかったからである。

ではその美とは何なのか。

ドストエフスキ-は「カラマ-ゾフの兄弟」で、書いている。「美の中では神と悪魔が戦っている。その戦場が人間の心である。」 これを分かり易く言うと、人間の心を舞台に、美を巡って神と悪魔が戦っているという事である。

ドストエフスキ-が美について語った有名な言葉がある。「美は世界を救う」

 

(911ついて) カールハインツ・シュトックハイゼンの言葉

このテーマを考えるにあたって、再び9・11を取り上げる。ツインタワ-崩落から六日後、電子音楽家のカールハインツ・シュトックハイゼンが、ハンブルグ音楽祭で次のように語ったとされる。

「ツインタワ-崩落はアートの最大の作品である。」

この詳細は芸術理念上の、哲学的内容であったが、表面的な表現のみが広がり、世界中からバッシングを受けた。

NYタイムスは、「悪魔に唆された彼のキャリアは終わった」とまで言った。しかし後には、内容がセンセ-ショナルにデフォルムされていたことが判明したが。

私は彼の発言の真意を測りたいと思い、崩落の映像を何度も見て、崩落と芸術の関連について考えてきた。

主な疑問

・彼の発言から政治的イデオロギ-を抜きにして接した場合、此の崩落画像を芸術作品として呼ぶことが出来るのか。

 そもそもこれをア-トと呼べるのか。

・これをアートという場合、それを支える論拠は何か。

 

古今の絵画史の中で、悲惨さをテーマにした作品がいくつかある。

〇「民衆を導く自由の女神」 ドラクロワ ルーブル美術館 

  2013年に9・11と落書きされることで有名になった。

〇「ポンペイ最後の日」  ロシアの画家 ブリュ-ロフ

 火山の噴火に、累累と横たわる屍と、裸で逃げ惑う人々

 

これらの絵画を見ると、タブ-侵犯の意識が働く。即ち描かれた煽情的なエロチックな画像から生じる、美的興奮が一方にある。他方、死の恐怖、逃げ惑う男女や死者への同情と言った倫理的感情がある。その二つが、
互いに拒否反応を起こしている。

ではこの絵画に描かれた死者たちと、ツインタワ-崩落との間にどのような違いがあるのか。

これは芸術と言うのは、高度に倫理的問題と結びついているという事、そして芸術は現実の死者を介在させることを
許容しないという事であると思う。

この様な考え方を、ナイーブすぎるという意見もあるであろう。私は芸術作品とされるものが、現実の死者を題材ないしはモチーフの一つとして用いた瞬間、そのイメージないし映像は芸術でなくなり、事件ないしは事実の次元に移行してしまうと思う。

 

シュトックハイゼンの発言が批判を浴びた背景には、史実と美の問題として、議論の俎上に乗せた行為そのものへの不信であった。いわば彼の驕りである。

 

今日これから問題とするテ-マは、ドストエフスキ-の根本的なテ-マ 驕り・傲慢に深く関わっている。

『悪霊』における美について」

9・11と芸術の関連について考えている内に、頭の中にわかに蘇ってきたドストエフスキ-の言葉がある。

「悪霊」に登場するスタヴロ-ギンに向かって、ロシア正教徒であり信仰心の厚いシャートフが相手を責め立てる場面である。「本当ですが。何かしら好色で獣じみた行為と、なんであれ人類の為に命を犠牲にするといった、英雄的な行為の間には、美と言う面で見ると、差異は認められない。その両極に美の一致を、快楽の同一性を見出したというのは。」

シャ-トフの問に対して、回答を濁すスタヴロ-ギンに向かって、シャ-トフは更に詰め寄る。「何で悪は汚らわしくて、善は美しいのか、僕には分からない。」

でもこの違いの感覚が、何故スタヴロ-ギンの中で摩滅し、失われていったかは私には分かる。

スタブロ-ギンは悪魔的人物である。悪にとりつかれた人物である。
その男に対して信仰者であるシャ-トフは言う。「獣じみた行為と、人類の為に犠牲になるような行為の間には、差異はない。」少なくとも美と言う観点からみた場合である。
つまり美は諸々の規範を壊してしまう、破壊的な力を持つというのが、スタブロ-ギンの考えなので

ある。

 

獣じみた行為は悪、犠牲的な行為は善という風に規定してみよう。

すると美の観点からすると、両者の違いは無くなる。
では美とは何なのだろう。

信仰者でもあるシャ-トフは、スタブロ-ギン的な人間について、このような説明をしている。

「貴方が善と美との判断を見失ったのは、自分の民族を理解することを止めてしまったからである。」

非常に意味深い言葉である。

神を孕める民としてロシアを讃えるナショナリストのシャ-トフにとって、自分の民族を理解することを止めることは、まさしく神を失うことを意味する。

善は美であり、悪は醜であるとの理解は、すくなくとも、「悪霊」を執筆した段階のドストエフスキ-の信仰の全てを、代弁するものではなかった。あくまでナショナリストのシャ-トフの発言として、限定的なのである。

ドストエフスキ-は更に深い観点から、美の本質を見つめていた。

「『白痴』における美について」

ドストエフスキ-は「白痴」以降の作品に於いて、しばしば美に関する事を登場人物に語らせている

例えば、ジュネ-ブで書き始めた小説「白痴」の執筆動機について、彼は次の様に書いている。

「小説の主な思想は、完全に美しい人間を招くことである。これ以上に困難なことは無い。今は完全に美しい顔がある。

キリストである。従って計り知れず無限に美しい顔の出現は、それだけで無限の奇跡である。」

完全に美しい人間を描くにあたって、ドストエフスキ-は無意識に、即ちキリストの傍らに、彼に劣らぬ美の体現者を配置した。スイスでの治療を終えたムイシュキン公爵が訪れたエバンチン家の三姉妹、そして「白痴」のヒロイン ナスタ-シャである。しかし最大の美の体現者は、このナスタ-シャであったことは言うまでもない。

黒澤明監督が、このドストエフスキ-の「白痴」をペテルブルグから札幌に移し替えて映画化した時、このナスタ-シの役をやったのが、原節子であった。当時彼女は31歳、登場人物の名前は那須妙子。

 

ナスタ-シャの写真を見たエバチン家の次女アデライ-ダは次の様にいう。

「こういう美しさは力よね。これ位の美しさがあったら、世界だってひっくり返して見せるわ。」

しかしこの後、このナスタ-シャの写真を巡って謎めいた会話が、エバンチン家の女主人とムイシュキン公爵の間で交わされる。夫人はムイシュキン公爵に向かって、当てつけのように言う。

「こういう綺麗さが良いと思う訳ね」それに対して、ムイシュキン公爵はその様に感じる理由について言葉を濁す。

つまりドストエフスキ-はムイシュキン公爵に代わって、内面的な苦しみの表出が、ナスタ-シャの美しさの大切な要素となっているという事を言おうとしているのだ。つまりドストエフスキ-における美の観念には、どこか独特な感覚が潜んでいる。そう考える必要がある。

言い換えると、苦しみの美化とでもいうべきものである。これも又一種のマゾヒズムなのであろうか。

「『カラマ-ゾフの兄弟』における美について」

さてドストエフスキ-にとって美とは何かを考えるにあたって、大切なヒントは[宮野1] 」である。
ドストエフスキ-はドミトリ-(カラマ-ゾフ家の長男)の口を通して、美の本質について次の様に語らせている。

引用」

「美と言うのは、恐ろしくて怖い代物で、なぜ美しいかと言うと、曖昧だからで、その曖昧さをはっきりさせられないのは、神様が謎掛けをしているからだ。美の中では、川の両岸が一つにくっついていて、ありとあらゆる矛盾が一緒になっているんだ。」

今日の講義の冒頭で言った美の中では神と悪魔が戦っている、その戦場が人間の心という事になる。これととても似ている言い方である。河の両岸とは、善と美と見做してもいいと思う。つまり美の中では、善と悪の境界が混沌としているのだ。ドミトリ-がここまで多弁になれる確実な理由が一つ

ある。

他でもない、愛するグル-シェンカの存在である。グル-シェンカこそが、神と悪魔、川の両岸になぞらえられる存在である。あるロシアの研究者は、彼女の事を地獄の女と呼んだが、ことによると此の研究者は、この一言を念頭に置いていたのかもしれない。

「ドストエフスキ-のキリスト教的観念」

ドストエフスキ-における、美の意味を考える際には、私たちはある種の態度決定を迫られる。どういうことかと言うと、ドストエフスキ-を真の代弁者と見る視点に立つか、立たないか。その立場をはっきりさせておく必要がある。

しかし、一概に信仰者と言っても多岐にわたる。

何故ならキリスト教信仰は正統から異端に至るまで広いからである。いづれにせよ、ドストエフスキ-が理想とするのが、本来的にキリスト教的観念と深く結びつくことである。

しかしそうした信仰心を越えた所に、美は存在するかかもしれないという直感が働いていたかもしれ

ない。

引用。

(ソドム)

「最高のハ-トと最高の理性を持った人間が、マドンナの理想から出発してソドムの理想で終わるということなんだ。それにしても、恐ろしいのはソドムの理想を持った男が、心の中ではマドンナの理想を持って、初心なガキの時代のように、マドンナの理想に心から燃えていることが、理性には恥辱と思うものが、心には美と映るものなのだ。」

ソドムの理想を説明する。

ソドムとは言うまでもなく、旧約聖書に出てくる町の名前。神に対して多くの罪を犯したとされる背徳の街である。

結局ソドムは神の怒りにふれ滅ぼされる。ソドムは神がなければ、全てが許される世界なのである。そのソドムに生きることを夢見る背徳の男が、心の中ではマドンナ即ち聖母の理想に燃えている。まさに、人間の心というのは、戦場だという事になる。尤も「蓼食う虫も好き好き」の諺の通り、美の理想は人によって異なると考えるのが、当然である。

まず確認したいのは、引用したセリフは、あくまでもドストエフスキーその人の世界観という事である。

そしていずれにせよ世の中には、悪魔的な物への魅了も含まれている。

(エジプトの女神 イシス)

ドストエフスキーの美の観念を巡って、独自の見解を示したのは、タチアナ・カッサリナという研究者である。

彼女は「美は世界を救う」という短いエッセイの中で、先のドミトリ-の言葉に触れて、次の様に言っている。

「美が恐くて恐ろしいのは、それが別世界の物、現在以前の世界の物、分析的思考、善悪の理解が及ぶ以前の物だからである。カッサリナはここでイメ-ジしている美は、エジプト神話に現れる豊穣の女神、ベールに包まれたイシスの様な存在と述べている。

因みにイシスは、ギリシア神話のデーメテ-ルや、アフロディテと同一視される女神で、後世の聖母マリア崇拝の起源を成すものである。

しかし同時にイシスは、しばしば神々を支配する魔術的存在としても知られていた。

ドストエフスキーは、美を私達が想像するよりも、根源的な啓示し難い力として理解していた。
例えば、一般にイメージされる、ラファエロの「システィ-ナの聖母」=美といった表層的な理解から、遥かに遠い地点に
いたと考えられる。

 

さて「美は世界を救う」の謎解きに入る。

「白痴」の主人公ム-シキン公爵が語ったとされる此の一言は、「カラマ-ゾフの兄弟」のドミトリ-が直接に口にした「美と言うのは恐ろしく恐い代物だ」と好一対を成している。

ここで留意しておくべき点は、この言葉に示された美はあくまで、ム-シキン公爵の世界観の反映であるという事である。

 

ドミトリ-の中には具体的に女性美のイメージが存在していた。同時にム-シキン公爵にも同じ様に存在した。

ドミトリ-の場合はグル-シェンカ、ではム-シキン公爵の場合は誰だったのか。ム-シキン公爵の周囲にいる登場人物は全て、ある女性と結びつけていた。私達の常識的理解では、神の使命は世界の不幸に手を差し伸べることにある。

しかしイアン・カラマ-ゾフの叛逆が示すように、この世界から不幸や虐待に苦しむ人々は、途絶えることなく、「神は世界を救う」と正面切って主張すること自体、時代錯誤なのである。

「ニーチェ」 神の死

ここから私の妄想が混じるが、例えばドイツの哲学者ニーチェが「神の死」を宣言するのが1882年。
ドストエフスキー没年の翌年。19世紀後半に生きる教養人であれば、神の不在、神の無力についての歴史的認識は
あった。しかし、神の無力に比べて、美はその定義付の困難さにも拘らず、ダイレクトに人間の心を動かす力を持っていた。

しかし、ム-シキン公爵は「美は世界を救う」と言った一般論を口にしたわけではない。

美こそが神に代わって世界を救うと、願望を込めて口にしたのである。仮にドストエフスキーのイメージする美がカッサリ-ナの言うベールに包まれたイシスのように、原初的かつ根源的な力を担う存在だったとしよう。

美が世界を救うという願いこそが、やがてカラマ-ゾフ万歳に成長する種子の役割を果たすべき理想ではなすったのか。

だとすれば、「カラマ-ゾフの兄弟」の終わりで、死んだ少年イルーシャの墓で、墓石の周りに断った子供達はカラマ-ゾフ万歳とて一声叫ぶ前に、一言「美万歳」と言い添えるべきではなかったのか。
さてドストエフスキーにおける美の考えを理解する上で、大切なもう一枚の絵に言及すべきである。

ドストエフスキーは、ハンス・ホロパインの「墓の中の死せるキリスト」と言う絵の前に立つ。

棺を象ったキャンバスの中に、キリストのむごたらしい遺体が横たわっている。ドストエフスキーのアンナ夫人が回想している。

「夫フィヨ-ドルは、その絵に強い感動を受けたらしく、打たれたように日の前に立ち尽くしていました」

ドストエフスキーは、後に「白痴」で、この絵に対し過剰とも思える意味づけをするが、「白痴」の登場人物、ロゴ-ジンの家で見るのだが、ロゴ-ジンがこの絵について、「親父がオークション」で買ってきたもの」と説明し、呟くようにして、「実はあの絵を見るのが好きでね。」とム-シキン公爵に向かって

言う。
一体ロゴ-ジンが、この絵を好んだ理由は何なのか。彼の潜在的願望を暗示する一言である。
他方、これは危険な意味を含んだ絵のレプリカを、オークションで手に入れた父親が、寝室にこれを掛けた理由は何だったのだろう。答えはこうである。

即ちロシア社会の片隅には、キリストのむごたらしい死を描いたこの絵に、自らの信仰のシンボルばかりか、美と崇高さを感じていた人々がいた事。

ドストエフスキーはそうした人々の美的感覚に、強い好奇心を持っていた。そうした人々が、誰であるかはもはや説明を要しない。言うまでもなく異端派の人々である。ロシアの民衆の信仰には二つの

イメージがある。それは天上のキリストと地下に埋もれた人々である。異端派の人々は、地上より天上へと行く復活の奇跡よりも、この地上や地下にあって、そのまま物質として捕らえることの出来る生物、即ちこの地上に永遠に身を横たえるキリストの方が遥かに大事であったのだ。

即ち、画家ホルバインが描いた傷だらけのキリストこそ、信仰と美のシンボルと見做し、神の実在を感じていたのである。
驚くべきことに、正当な信仰者であるドストエフスキーの心から、そうした異端者の世界観に対する、痛みを伴う
共感があったのだ。

 

「コメント」

ロシア社会、キリスト教の理解なしにはロシア文学の特に、ストエフスキーは理解できないのか。日本人はまずエネルギ-に負けてしまうのだ。

講師の言う異端者と言うのがそもそも何から始まるのかロシア特有なのか。