211118⑦「『巻19の絶唱三首」

万葉集巻19には、巻頭と巻末に家持の名作とされる歌が並んでいる。巻頭12首は越中秀吟、巻末の3首は絶唱と呼ばれている。両者に共通するのは、家持が孤独な状況や心境を歌ってたものであるという事、そして漢詩からの影響である。今回は巻末の絶唱三首について解説すると共に、家持「歌日誌」の中でどのような位置づけにあるのかとについて考える。

 

「歌の素材として帰雁と燕などが使われた理由」

「越中秀吟」と呼ばれる巻頭12首は、天平勝宝2(750)3月、越中で、都に憧れる雪国暮らしを、嘆いたものが多かった。そこで歌われているのは、雁。やってくる雁は万葉集の中でも多いが、春になって北へ帰っていく雁を歌う、和歌では独自な素材であるが、これは漢詩文の素材である。それから雁と入れ替わりに燕がやってくる。

この素材は3年前の天平19(747)、越中で部下の同族の大伴池主がいて、この人と交わした贈答の歌の中に出てくる。家持は越中に赴任したばかりで、次の年の春に、慣れない雪国暮らしがたたったのか、病気になっている。三月三日の宴に欠席し、池主が見舞いをくれる。この宴は中国由来なので、漢詩文を交えた文章であった。

その素材は桃・杏・帰っていく雁・燕・・・。そういう記憶を越中秀吟12首は留めている。

その後、巻19の歌が進んでいく中で、天平勝宝3(750)に、家持は少納言になって、都へ帰る。

そして天平勝宝5(753)2月末に残したのが、巻19の巻末の三首いわゆる絶唱である。

これはどのようなものであったか。確認しておくが、絶唱三首は、都で゜詠われている。

 

「絶唱三首」

「二十三日に、興の赴くままに作った歌二首」

19-4290  第一種目 この歌について、詳しく見てみよう。

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐいす鳴くも

春の野に霞がたなびいて、なぜかうら悲しくなってくる。この夕暮れの光の中に、鳴くうぐいすの声がする

 

この歌はとても変わった歌なのである。春の野で霞がたなびいている、鶯が鳴いている。当たり前のように思われるが、此の作り方が変わっている。

春の野に 霞たなびき→景色。この夕影に うぐいす鳴くも→景色。しかしこの間にうら悲し と言う

心情語が付されている。短歌の作り方として、こういう風に景→情→景と言う作り方をしているのは、この歌だけであろう。

景色の中、中空にうら悲しという心情が浮いているような構成になっている。歌は景色→心情を歌うのが定石である。

例えば家持の一番若い時の歌に

6-994

ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも

これは、よくある歌の形で、~を見ると、~が思われるという物。

越中での歌の中でも、

19-4142

春の日に 張れる柳を 取り持ちて 見れば京(みやこ)の 大路おもほゆ  

これは望郷の思いが露わな形で出ている歌であったが、今ここにあるものを見て、ここにないものを思うのは、先ほどの ふさけて 三日月見れば~の形と同じ形式である。これはよくある歌の形式である。何かを見ると、何かを思うというごく一般的な物である。

しかし、先程の4290番に戻ると、変わった方になっている。

 

次に第二首

19-4291

わが宿の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕べかも

私の庭の小さな竹の繁みを、吹き抜ける風の音がかすかに聞こえる。この夕暮れの寂しさよ。

この歌には情の表現がない。風の音も静寂でないと聞こえない。一人ぽつねんとしている状況で

ある。歌の常識として、わが宿の~は、孤独を述べる傾向がある。庭と一人、向かい合っている状況である。題に、「興に赴くままに作った歌二首」とあるが、状況に応じて搔き立てられる気持ちと言う

意味であろう。

中国の詩学の中に、外界の状況に心が感じて、心が動き出す、それが詩歌になり、言葉になって出てくるという。外界と内面が感応する関係が、中国の詩論では、唱えられている。

二つの歌ともに、孤独な状況を表している。

 

以上が二十三日の歌であるが。最後の一首。

「二月二十五日に作る歌」

これは日付だけの歌である。家持の歌で、日付しか書いてない歌と言うのはこれだけである。

19-4292  絶唱三首目

うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとり思えば

のどかに照る春の日差しの中を、ひばりが飛んでいく。その鳴き声を聞きながら一人物思いに耽っていると、もの悲しくなる。

 

この歌には、上の句に景があって、下の句に情がある。一般的な和歌の形であるが、しかし上と下とは途切れている。こういう風に、景と情とかただ併存するだけで全く影響し合わない歌と言うのも、

万葉集の中は類のない歌である。

この歌に長い左注がついている。

「春はまだ遠いと言えども、うぐいすや雲雀は鳴いている。傷んだ心は歌でないと払い難い。よって

ここで歌を作り、心を述べた。ただこの巻の中で、作者名を述べず年月、場所、由来の実を記した

歌は、大伴宿祢家持が作った歌である。」

 

天平勝宝231日に始まった巻19。天平勝宝5225日、3年間で終わった。この間の事を記した巻19は、心悲しも 一人し思えば という心情の中に、閉じられたという事を、歌と左注は語っている。

この巻末に到る経緯は、どうであったか。この「絶唱三首」の前にある歌が、暗示的である。

「天平勝宝5年正月四日治部少輔の家にて宴する歌 三首」

19-4282

言繁み 相問はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかむ

人の口がうるさいので、訪問しない内に、梅の花が雪に打たれて、散ってしまうかもしれないなあ。

 

これは当時の世相を表している。身分ある者が、自由に往来出来ない状況である。これを受けて

「正月11日に大雪降りて」

19-4285

大宮の 内にも外にも めづらしく 降れる大雪 な踏みそね惜し

宮中の庭にも外側にも、珍しく大雪が降って真っ白だ。この大雪を踏んでくれるな、惜しいから。

19-4286

御園生(みそのふ)の 竹の林に うぐいすは しば鳴きにしを 雪は降りつつ

皇居の庭に生えている竹林で、鶯が頻りに鳴いていたのに 雪はずっと降り続いている。

 

 

次に 「内裏に伺候して千鳥の鳴くを聞いて作る歌 一首」

19-4288

川洲にも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴く居む所なみ

川洲にも雪は降っているので、皇居の中に千鳥が逃げて来て鳴いているのだろう。他にいる場所が無いので。

 

居む所なみこれはあまり使わない言葉である。家持の今の立場を投影させている歌ではなかろうか。

こう言う歌が続く。

家持が帰京してからの世の中は、変則的になって、それを匂わせながら、絶唱三首という事になる。

19の巻頭と巻末を対照してみると、非常に共通点が多い。巻頭の歌は桃の歌。

「天平勝宝二年三月 一日の夕暮れに桃の花を見て作る歌 二首」

19-4139

春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子

春の園に、紅に輝く桃の花。その下の道も紅に輝いている。その道に出て立っている乙女よ。

 

この歌は珍しく桃の歌を歌っているが、漢詩的な素材と構造である。特に鋭敏な視覚や聴覚によって、景を捉えることで、外界に対して対立的に内面の存在を、際立たせている。そういうのは、巻19の巻頭、巻末に共通する特徴である。それは漢詩文に学んだものである。

大体、和歌は景に対して親和的な物で、そういう中で、このように景と情を対立的に構成して歌うと

いうこと、これを独泳するという事は、それだけで孤独の表現になると思う。

和歌と言うのは宮廷社会の共有物、皆と同じ様に歌えば宮廷に対して親和的協調的になるが、このような特異な歌は、孤独な表現になるのである。一方、巻頭歌群に濃厚な望郷の念と言うのは、途中から帰京しているので、当然ながら無くなっている。

 

越中に居れば望郷の念、帰って見ると行き場所がない。これが巻19の家持の歌の変化と云って

良い。と言う歌は前近代には評価されない。近代は折口信夫、窪田空穂など近代の歌人たちが、

こんな歌があるんだと驚いて発見してくれたのである。そういう歌人たちが見逃しているのは、これらの歌々、巻19の歌日誌の中でどういう意味を持っているのかという事である。

外界に対立するような内面を持つと、近代歌壇とは相性がいい。だから絶唱などともてはやされるのである。しかし一方、こういう歌は、強い政治的意味を持っていたはずである。しかしそういう政治的

意味を、理解せずに、私達はこれらの歌を見ている。

故に絶唱三首は家持の政治的孤立表していると解釈するのである。

 

「コメント」

家持の歌に政治性は感じることなく読んできたが、実際の背景を見るとそうなんだ。ある域に

達すると文学も政治性を避けて通れないのか。お気楽に、喜怒哀楽、春が来たの、孫がどうした、景色が綺麗とか、のレベルは幸せなのだ。