科学と人間「漱石、近代科学と出会う」」       小山 慶太 (早稲田大学教授)

 

161007①「坊ちゃん」はなぜ物理学校出身の数学教師に設定されたのか

 

今年は没後100年、来年は生誕150年。これから漱石と科学との関係を話す。

 

〇時代背景→西洋文明への過剰な意識

 

 明治の知識人は専門が何であろうが西洋文明を意識せざるを得なかった。西洋文明の基盤をなすのは、近代科学とその

 

技術なのである。明治の知識人は近代科学への関心が高かった。その代表的の一つが、福沢諭吉の「(くん)(もう)(きゅう)理図解」。

 

(くん)(もう)窮理図解

 

  日本で最初の科学入門書とされる。明治元年に、慶応義塾から出版された。イギリスとアメリカで出版された物理書、

 

博物書、地理書を参考にして、日常の身近な自然現象を平易に図解した書物である。(くん)(もう)とは子供や初心者に教え諭す

 

という意味であり、窮理学とは、当時の言葉で広義の物理学のことを指す。

 

こういう時代に漱石は生きており、その事を十分理解する才能が有ったのだ。庶民に至るまでこの風潮は染み渡っていた。

 

〇漱石の論理的思考

 

 作品から感じられるのは、合理的にものを考え理詰めで展開する傾向である。そういう性格を有する、論理性の優れる科学

 

というのは、性に合う。偶々英文学者になったが、科学者になってもそこそこの業績を挙げたのではないかと思われる。

 

 英国留学で行き詰るが、その活路は科学であった。旧制五高(熊本)教授時代の門下生、その中でもX線研究で学士院

 

恩賜賞の物理学者寺田寅彦。彼から多くの影響を受け、作品にも生かしている。

 

「吾輩は猫である」の物理学者水島寒月、・・・・・。

 

 

 

「坊ちゃん」

 

〇主人公の設定   物理学校での数学教師

 

 ストーリは物理学校卒業の新米の数学教師が、四国松山の中学で一暴れするという物。明治39年雑誌「不如帰」に発表。

 

 「吾輩は猫である」はその前年の作。この時はまだ東京帝国大学英文学教授の頃で、書きなれていないのに何故主人公を物理学校での数学教師にしたのか。前の松山での英語教授の経験を生かして、英語教師とすればいいのではと思う。

 

・坊ちゃんが物理学校出身の数学教師の理由

 

何故だろう。そのヒントは文中に在る。物理学校入学の経緯を次のように書いている。

 

「どこの学校に入ろうかと考えたが、学問はどれもこれも好きになれない。ことに語学とか文学とかいうのは真っ平ごめんだ。新体詩などときたら20行ある内、一行も分からない。どうせ厭なものなら何をやっても同じことと思ったら、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何かの縁だと思って規則書を貰ってすぐ入学の手続きをして

 

しまった。」

 

・坊ちゃんの物理学校での成績

 

  物理学校(東京理科大)は、進級・卒業がとても難しい学校として昔から有名。坊ちゃんが入ったと思われる時代の卒業生は

 

入学者の5%強。よって卒業したというのは相当優秀者である。

 

・物理学校の校長から松山の中学教師を薦められる

 

  卒業しても教師になる気も田舎に行く気も無かった。他になりたいものが無かったので行きましょうと即座に返事した。

 

・松山中学の校長の訓辞→辞令を突き返す

 

  赴任したら、生徒の模範になれ・真面目にやれ・・・と訓示される。そんなことが出来る偉い人が、たった月給40円で、

 

  こんな田舎に来るものか。

 

  しかし現実は月給80円で校長より20円も高かった。東京帝大出文学士の威力である。

 

・松山中学で、生徒からの質問に答えられない。

 

  答えられなくて「この次教えてやる」→生徒から「出来ん 出来ん」とはやされる。そこでの坊ちゃんのセリフ「そんなもんが

 

出来るなら、:月給40円でこんな田舎に来るものか」

 

・坊ちゃんは啖呵を切る

 

  漱石は実際の生活でもはっきりと物を言う。坊ちゃんの主人公と通じている。

 

〇現実の夏目漱石  東京帝国大学予備門予科生の時の成績

 

理系の成績である。

 

    幾何学 85点・代数 83点・英文 66点・文法作文 75点

 

  ・英国留学中に文学が嫌になる。エッセイ「処女作追懐談」より

 

    「留学中に文学が嫌になった。西洋の詩などを読むと全く感じない。それを無理に嬉しがる奴がいるが、何だかありも

 

しない翼を広げて飛んでいるような、金がないのにあるような顔をして歩いて居る人のような気がしてならなかった。所へ池田

 

菊苗君が独逸から来て、自分の下宿に留った。池田君は理学者だけれども、話してみると偉い哲学者であったには驚いた。

 

大分議論をして大分やられた事を今に記憶している。池田君に逢ったのは、自分には大変な利益であった。お蔭で幽霊の

 

様な文学をやめて、もっと組織立ったどっしりとした研究をやろうと思い始めた。

 

 ・留学を一度は断る

 

  旧制五高の英語教授だった時、文部省から英国留学の推薦を受けるが「留学したいと思っていない」と一度は断る。

 

更に与えられた研究テ-マについて文部省局長に文句をつける。

 

「赤シャツ」  理系は良い奴・文系は悪い奴の傾向 

 

最晩年、学習院での講演会で「坊ちゃんの中で赤シャツという人がいるが、あれは誰の事かとよく聞かれる。松山中学教師で帝大出の文学士は私しかいないので、赤シャツは私の事になるでしょう」と答えている。又坊ちゃんは漱石の分身である。

 

 漱石の自己嫌悪・自己否定・自虐的な傾向

 

・英語嫌い→兄弟仲の悪さ

 

  「兄は実業家になるとか言ってしきりに英語を勉強している。元来、女の様な性分でずるいから仲が良くない」

 

  漱石には英語に厭な思い出があって、悪いものは全て英語に押しこめている。→英語をやる奴は悪い奴、ずるい奴。

 

・赤シャツとの喧嘩

 

  赤シャツをやっつけて、辞表を叩きつけ、一ヶ月で東京に帰る。そして都電の助手になる。

 

「漱石の作品での理系の人達」

 

 ・水島寒月  「吾輩は猫である」

 

 ・野々宮宗八 「三四郎」

 

「作家への転身」

 

 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」とヒット作の後、朝日新聞社へ。教師をやめて作家となる。

 

 

 

「コメント」

 

此の先生の「漱石と近代科学」というNHKカルチャ-講座が14年に4回シリ-ズであった。この記録があるが第一回目から全く同じ。どうして2年後に同じ企画があるのか。確かに今回は13回シリーズ。漱石没後100年として、色々とイベントがあるのは分かるが、NHKも少しお手軽過ぎでは。漱石は売れるから?