科学と人間「漱石、近代科学と出会う」      小山 慶太 (早稲田大学教授)

161104⑤「三四郎」の野々宮宗八はなぜ地下室で実験を行ったのか」

 

今日は「三四郎」について話す。漱石は明治40(1907)、東京帝大の教授をやめて朝日新聞に

入社し、専業作家となる。1904年「吾輩は猫である」・・「倫敦塔」「坊ちゃん」「虞美人草」「三四郎」と

続く。「三四郎」は「坊ちゃん」に続く青春小説である。

 

「三四郎」の概要

熊本の第五高等学校を卒業。東京帝大文科に入学した三四郎が、都会生活を送る中で、友人・

先輩・女性との出会いを通じて成長していく様子を描いている。其々にモデルがいるとされる。三四郎が恋する美彌子は有名な平塚雷鳥とも。

 

作中の「野々宮宗八」

三四郎の東京帝国大学理科で郷土の先輩、物理学者。出会いは、大学の地下の実験室で、光線の圧力の研究の話をする。

初対面の素人に難しい物理の話を始める辺りは、理科人間の面目躍如。ここから、漱石の科学への関心の高さが窺われる。実験装置の概要を分かり易く説明させているが、漱石が理解していないと

書けない事。

 

「光線の圧力研究」  寺田寅彦との関係

20世紀初頭、アメリカのニコルスとハルという物理学者が実験した当時最先端の研究であるが、漱石はすぐ話題に取り込んでいる。この情報の出処は、弟子の物理学者寺田寅彦。漱石没後の「夏目先生の追憶」で、次の様に述べている。

「その頃読んでいたニコルスとハルの学者の光線の圧力の研究論文の話をした。それを理解して

書いたのが小説三四郎の、野々宮宗八の実験室の場面である。聞いただけで見たこともない実験の場面がリアルに描かれている。

日本の文学者には全く珍しいことである。一般読者に分かるように書くには、内容を深く理解して

いないと出来ない事である。」

 

「光線の圧力とは」

普通の人は光に明るさとか熱の機能があることは理解するが、とても微弱なので圧力があるとは

感じていない。これを理論的に説明したのが、19世紀の英国の大物理学者のマクスウェルである。ファラデ-の電磁場理論を基に古典電磁学を確立した。この分野で最も偉大な物理学者である。

この人が光線の圧力の計算をしたが、とても微弱なので実験で検出するのは至難。

これを野々宮宗八は試みている。

これを、知り合いの広田先生(一高の英語教師)は、次の様に評している。

「取り出したいもの以外を排除するのが実験というものなのだ。自然界では見ているだけでは、何も見つからないのだ。隠れている法則を見つけるには何らかの人工的な工夫をしなくてはいけない。」

 

「科学とは」 漱石が作品中で述べている事

科学というのは自然を調べているが、自然は色々な要素が雑然と存在するので有るがままに見ていても何も判らない。

<例>

・ガリレオ  「落体の法則」

   物体が自由落下する時の時間は、落下する物体の質量には依存しない。一般には、今も重い

   ものほど早く落ちると理解される。大気の中でやると形状による空気抵抗で、同じにはならない。ガリレオは理論的に解明したが、実験で確認するのに苦労した。ピサの斜塔で実験したのは

   事実ではない。なだらかな坂で重さの違う勤続給を転がして実験したのが真相。真空の中では証明されるが、当時真空は作れなかった。

・ニュートンの太陽光の分析

   普通の人には白色光としか見えないが、ニュートンはプリズムを使って様々な色に分ける実験をやった。その結果、赤・橙・黄・緑・青・藍・青紫と変化していくことを発見した。

・ニュ-トリノの研究  ノ-ベル賞の小柴博士

   素粒子の一種で、1930年代に理論的には存在が予見されていたが、確認が困難であった。

   アメリカの物理学者のライオネスは原子炉から生まれるニュ-トリノを確認した。

   日本では、宇宙からのニュ-トリノを「ス-パ-カミオカンデ」という世界最大の実験装置で

   捕捉し、それに質量があることを発見した。これが小柴博士のノ-ベル賞。この実験装置は、

   三井鉱山の坑道跡の地下千mニュ-トリノは地球をも貫通するので、他の物質の干渉を排して

   測定できるのである。この分野で日本は世界の最先端。

 

「まとめ」

以上の実験の仕方は夫々違っているが、科学の実験とは邪魔な要因を排して、知りたい標的を検証する事である。

只自然を見ているだけではなく、目的の為の実験装置の工夫が要求されるのである。この事を、漱石は見抜いていた。寺田寅彦の言葉を借りると「漱石先生は日本の文学者には全く珍しい。」

21世紀に漱石が三四郎を書いたとすると、野々宮宗八の地下の実験は、ニュ-トリノの実験に

置き換えられていたかもしれない。

 

「コメント」

・漱石の学生時代に数学の成績優秀で、周囲は理系に進学するものと思っていた。

・アルバイトに数学の教師をやっていた。

・ロンドン留学時代に、後の、味の素(グルタミン酸ソ-ダ)の発見者・菊池菊苗(東京帝大化学教授)

 との交友。(同宿)

・「Nature」等の先端科学論文を読んでいた。

・第五高等学校教授時代の弟子に、寺田寅彦。

以上のように、科学に並々ならぬ興味と関心を持っていた。又自然・人間に対しての観察眼も鋭く、作品の中にその部分が入り込んで来るのは当然と言わなければならない。それが、漱石作品の

魅力の一つであろう