科学と人間「漱石、近代科学と出会う」      小山 慶太 (早稲田大学教授)

 

161202⑨「物理学者マクスウェルの詩と漱石の解釈」

今日は漱石が書いた「文学論」で取り上げた物理学者マクスウェルについて話す。マクスウェルは、19Cの電磁気学、統計力学の基礎を築いた人である。最も有名な業績は電磁気学の論理体系を作り上げたことである。この超大物に注目したのも漱石の科学に対する関心の深さが読み取れる。

「マクスウェルのProfile」

此の分野の実験で業績を残したのは前回話したロンドン王立研究所教授ファラデ-である。ファラデ-が成し遂げた実験の結果を微分方程式という数学の言葉に置き換えて、電磁気学をニュ-トン

力学に並ぶ物理学の基礎を作り上げたのである。ファラデ-は極貧の出であったが、マックスウェルは富裕階級の出身でケンブリッジのエリ-ト。

・マクスウェルウェル方程式

電気と磁気の相互作用を一連の数式で纏めたものをマックスウェル方程式という。この方程式を

解くと、真空中を電気と磁気の作用が波となって光の速度で伝わっていくというのが導かれる。

これが電磁波の予言であったが、1888年ドイツのベルツの実験によって確認された。当時この

方程式を見た物理学者は「この方程式を示したのは神であろう、数学を使って自然を詩のように

表現した」と、ゲ-テの詩の一節を使って表現した。事実、マクスウェルは詩人でもあった。

 

・The Profile of James Clerk Maxwell (マクスウェルの生涯)      死後、出版された。

  1. マックスウェルの伝記

  2. マックスウェルの科学の業績

  3. 詩集

    ・詩集の中に「女性の為の物理学講座」という長い詩がある。

    この中の一節が漱石の「文学論」に例示されている。漱石は東京帝大での講義でも使った。

     この詩は二部構成となっており、以下要約する」

    「学都ハイデルベルグのお澄まし屋の哲学博士殿。貴方の生命力の総和は1エルグの1/100万にも達しない。

    貴方が最大限の活動をした所で、1秒に1/10mという見積もりとなろう・・・・。」

    →ハイデルベルグの出身で哲学博士になった若者が少し気取っていたのであろう。それに対して、所詮一人の人間の

    生命力とかエネルギ-なんて自然から見れば取るに足りないよとからかっているのだ。

    そしてこの詩は、科学の単語、単位の注釈をつけ、又ちゃんと韻を踏んでいるのである。見事な詩になっている。

     

    マックスウェルの詩の「文学論」への引用

    ・当時の大学の講義では、コピ-とか複写が簡単ではなかったので、漱石はこの詩を読み上げて授業をした様子。

    当時の学生の学力のレベルは相当に高かった。

    ・「文学論」の中で漱石は、原文に忠実に数式や単位の説明もしている。

     

    「こころ」  漱石の作品

    この中に、Hさんという大学教授がいる。この小説の主人公は「私」という語り部が出て来て話が展開するが、ある場面で主人公がH先生の自宅を訪ねる場面がある。その時H先生はこう言う「実は明日の講義で苦しんでいるので、急用でなければ今日は君の相手をするのは御免蒙りたい」 これは当時の漱石を彷彿とさせる。

    これは科学主義を文学研究に取り入れようと四苦八苦している様子である。しかし、漱石の新しい試みは良しとしても、簡単なことではなかったようである。

    「寺田寅彦の述懐」

    彼は、漱石没後の「夏目漱石先生の追憶」の中で「先生は一般科学に対して深い興味を持っていて、特に科学の方法論を好んだ。しかし、晩年には創作に忙しくてこうした研究の時間と余裕がなかったように見える。

    「漱石の晩年」

    後には、自分でもこの方法の挫折を認めることになる。つまり文学作品を研究する側から、研究される側に転じてしまったのである。 

  4. 「コメント」

    漱石は科学をやる人は上等で、文学などをやる自分をどこか卑下していたように見える。そこで科学を文学に取り込もうとしたが、成功したと言えない。しかし、作品がそういう視点で書かれているので、普通の小説とは違う面白さを読者に与えたと言えるのでなかろうか。