科学と人間「漱石、近代科学と出会う」      小山 慶太 (早稲田大学教授)

 

161223⑫「空間論、時間論を寺田寅彦と論じた漱石

「今年の科学の十大ニュ-ス」 重力波の検出

これは、重力波の検出に成功したことがトップであろう。今年2月に米重力波観測チ-ムが時空の(さざなみ)と言われる微弱な重力波の検出に成功した。重力波というのは、アインシュタインが「一般相対性理論」に基づいて100年前に予言した現象である。

この検出に100年掛かるというのは、この観測が如何に難しかったかという事である。

<重力波>

重力の場(重力が作用する空間)が波動になって伝わるもの。速度は光に等しい。

   似ている電磁波とは徹底的に違う所がある。それは重力が余りにも弱いことである。0に限りなく

    近い。技術の進歩が無ければ観測できなかったのである。

 アインシュタインの予言」

アインシュタインは数々の予言をして、後世の物理学者に宿題を残した。その中で、重力波は未解決の最後の課題であったのだ。

漱石の「相対性理論」への関心

漱石の科学への関心は「相対性理論」にも向かっている。物理学者寺田寅彦に次の手紙を送って

いる。「私の取っているアセミアムという雑誌に「空間・時間の理論」という本の批評が出ていたので、切り抜きを送る。君は専門家だから、既にこの本をお持ちかもしれず、又詰まらない本かもしれないが、とにかく前回の話で時間空間の研究中だという事が分かったので、ご参考までに」

アセミアムは、ロンドンで発行されている週刊誌で、学問や芸術に関する広範な話題を扱った教養雑誌である。

漱石は定期購読をしていた。文学者が物理学者に「相対性理論」の本の事を教えているのは面白い事である。

アインシュタインの「相対性理論」の流れ

最初の論文は「運動物体の力学について」 次に「物体の慣性はそのエネルギ-に依存するのか」

この2つの論文を柱にして組み立てられたのが「特殊相対性理論」という体系である。これを10年かけて、発展させたのが「一般相対性理論」である。これに基づいて、重力波の予言をする。今から100年前である。漱石が活躍している頃。

 

ここから、講義では相対性理論の説明が延々と続くが、割愛する。

 

結論的に言うと、漱石が読んだアセミアムという雑誌の「空間・時間の理論」には、相対性理論概念が語る時間・空間の概念について記述されているのである。

「寺田寅彦の日記から」

漱石はアセミアムという雑誌に「空間・時間の理論」という本の批評が出ていた事を知らせる手紙を

寺田寅彦に書くその1ヶ月前に、寺田寅彦は日本橋丸善で洋書を購入している。ラウエ(独)の

「相対性理論の解説」の本を購入し、その後漱石宅へ。そこでこの「相対性理論」の話をしている。

という事は、二人の間で「相対性理論」が話題になっていたのだ。

「漱石没後の寺田寅彦の思い」

漱石没後、友人への手紙に次のように書いている。

「夏目先生が亡くなられてから純粋な意味で遊びに行く所が無くなった。小生の20歳から今日までの20年間の生涯から、夏目先生を引き去ったと考えると、残ったものは木か石のようなものしかない。不思議なことには、私にとっては先生の文学はそれほど重要なものではなくて、ただ先生そのものが貴重なものだった。

当時、寺田寅彦は東京帝大教授で、「X線による結晶構造の研究」で学士院恩賜賞を受賞した所。

こうした漱石との20年になる漱石との思い出を「渋柿」という俳句雑誌の「夏目漱石先生追悼号」の中に、14首の短歌を載せている。熊本の五高での授業風景・横浜港での留学出発の見送り・漱石の自宅での会話・・・・・。

「この憂い誰に語らん語るべき一人の君を失いし憂い」

「ある時は空間論に時間論に生まれぬ先の我を論じる」

 

「まとめ」

寺田寅彦から得た科学の知識を作品に取り込んでいた漱石。もう少し、長生きをしていたら、

時間・空間論を必ず作品に登場させたであろう。最後の作品は「明暗」、未完であった。

 

「コメント」

解説を聞いても良く分からない理論物理の話を、漱石と言えども理解していたとは思えないけど、科学の話が好きであったことは事実であろう。分野を超えた寺田寅彦との濃密な交流、お互いの

インテリジェンスと興味が合致して気の合う関係であったのだろう。こういう例はたまにある。