科学と人間「毒と薬の歴史をひも解く」               日本薬科大学教授  船山信次

190118③「古代の薬と毒-人類の薬と毒との出合い2

(聖徳太子)

用明天皇の皇子、推古天皇の皇太子となり摂政。遣隋使を派遣し、煬帝に日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや・・・」この「恙無しや」のツツガはツツガムシ病が語源である。

ツツガムシ病→ツツガムシの幼虫に刺され起きる急性感染症。しばしば致命的。日本全国とアジア

各地。昔から人間は病、毒のあるものに対して恐れを抱いていた。

(節句)

推古天皇の時に薬狩りが行われたと話したが、現在では5月5日の節句である。節句と薬は関係がある。

・桃の節句は3月3日、桃の種の中に桃仁(とうにん)と呼ばれるものがあり、漢方薬として使われる。

消炎鎮痛など血流を良くし高血圧・脳梗塞予防。

・9月9日は重陽の節句と言われ、菊の節句とも言われる。菊は遣唐使が中国より持ち帰り、

 不老長寿の薬として酒に浮かべて飲んだ。

(因幡の白ウサギ)

古事記に紹介される出雲神話の一つ。隠岐の島から因幡に渡るウサギが鰐鮫の背を欺き渡るが、最後に皮をはぎ取られ苦しむ。それを大国主神に救われる。これがガマの穂である。ガマの花粉は

蒲黄(ほおう)と呼ばれ、生薬の傷薬。

(額田の大君と大海人皇子)  万葉集

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る   巻1-20

紫草の匂える妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋いめやも    巻1-21

・これも薬狩りの一コマ。エピソ-ドは既にご案内。アカネ、紫草共に薬草。生薬として使われていた。

・ムラサキ ムラサキ科の多年草 群れて割くので群れ咲く→ムラサキ 白色の花 火傷(紫雲膏)

(秋の七草 山上憶良)  万葉集

秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数うれば七種(くさ)の花   巻8-1537

萩の花尾花葛花なでしこの花をみなえしまた藤袴朝顔の花        巻8-1538

・クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオ  現在も生薬として使われている

・アサガオ  現在のアサガオとは違う

 当時は、朝に咲く綺麗な花を「アサガオ」と呼んだ。候補 キキョウ、ムクゲ、ヒルガオ

・アサガオ ヒルガオ科 

熱帯アジアの原産 江戸時代に園芸植物として発達 生薬の牽牛子(けんごし)下剤

 遣唐使が持ち込んだとされる

・ボタン  ボタン科の落葉低木 

中国原産 中国では「花王」という。根皮は、漢方生薬の牡丹皮  芳香性の健胃薬

(大宝律令・養老律令)

・大宝律令  701年藤原不比等等によって編纂

 天智朝以来の法典の集大成。散逸したが、それを継承した養老律令から内容は推定される。

・養老律令  757年大宝律令の後を受けて編纂、藤原仲麻呂が施行

・四毒 附子(ぶし)・烏頭(うず)・毒(ちんどく)・ヤカツ これ等を販売、生産、使用した場合の罰則

 が記載されている。

     附子    トリカブトの魂根又は子根を乾燥させた生薬。興奮・鎮痛・代謝促進

        主成分はアコニチン  猛毒  別名 ぶす

      烏頭    トリカブトの根茎  小さいものを附子という

カラスの頭に似ているのでこの名。リュウマチ、神経痛の鎮痛、心臓機能亢進

    鴆毒    

      鴆という空想上の鳥の羽根の毒。蛇食いワシの羽根の毒の説。パプアニュ-ギニアにすむ

             毒鳥の羽根とも云うが、実際には亜ヒ酸説が有力。

      既述の五毒の中に硫砒鉄鋼(亜ヒ酸化合物)というのがあったが、これを燃やすと大気中に

             亜ヒ酸が拡散する。これを鳥の羽根に付着させて採取。これから鴆毒という連想が出たの

             ではないか。

(平安時代 政変の多発)  毒の使用?

 天平7年 遣唐使 僧玄昉・吉備真備らが帰国 以降、世間が騒がしくなる

 天然痘によって藤原4兄弟の死、藤原広嗣の乱・・・ 

 これ等の事件に、どこかに毒が使われていなかったか。

(奈良の大仏)→水銀中毒    

  東大寺本尊 華厳経の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ) 752年開眼供

 金メッキ 金とのアマルガムを作り、加熱して水銀を飛ばして金メッキとする。この時に水銀中毒が

  多発したと推定

(正倉院薬物)

・「種々薬帳」(または盧舎那仏種々薬)というリストがあり、60種の薬物が保存されている。

 麝香(じゃこう)・胡椒冶葛(やかつ) 

・リストの他に「帳外品」というのがあって、そこに冶葛に相当するものがあった。それを千葉大薬学部

  が分析     ゲルセミシンというアルカロイド各種を抽出。よって冶葛はゲルセミウス・エレガンスと

 判明。ゲルセミウス科。

 これは世界最強の猛毒を持つとされる植物。消化器から吸収され、延髄の呼吸中枢を麻痺させる。

(平安時代当時の医療)

病気に対する治療はまず読経・祈祷であった。この為道鏡と孝謙女帝、聖武天皇の母藤原宮子と

僧玄昉と言った関係が生まれた。

(大観本草)  講師が所有している。

北宋末の本草書。中国の本草学の書は「神農本草経」を出発点として、知識を付け加えながら書かれ、明末の「本草綱目」が代表している。

(薬子の変)

平城上皇に寵愛された藤原薬子が兄仲成と共に、平城遷都・上皇の復位を計った事件。

失敗して薬子は服毒自殺。何の毒かは記録されていない。枕草子にもこの事件は書かれている。

この事件で藤原宇合を祖とする式家は没落し、藤原房前を祖とする北家の天下となり、今に続く。

(平泉 金色堂)

長い間、雨曝しであった金色堂は朽ちなかった。それは使われた木材が青森ヒバであったからと言われる。ヒバにはヒノキチオ-ルという芳香族化合物が含まれていて、防虫・殺菌・抗菌作用が認められている。化粧品の防腐剤として使われている。台北帝大の野副教授に発見され、命名された。

(青森ヒバ)

日本固有の樹種で青森県等に自生。杉などに比べ5~6倍の生育期間を要する。ゴ-ルデンウッドと呼ばれ、神社仏閣・城の建築材料。木曾檜・秋田杉・青森ヒバは日本の三大美林といわれ,珍重された。日本一の酸性温泉「玉川温泉」の浴槽も青森ヒバ製。

 「コメント」

今回も聞きなれない言葉の連続。リスニングで難儀し、言葉の理解に四苦八苦。13回まで続くのか。