191122⑧「局地天気~ナポレオンを苦しめた温帯低気圧~」

戦争の勝敗に気象が関わった例を述べる。

「ペルシア戦争-サラミスの海戦」  陸風・海風

BC492年から3回にわたるペルシアがギリシアを征服しようとした戦争。

その中のギリシアが勝ったサラミスの海戦を見てみる。アテネの将軍デミストクレスは、湾内のサラミス島沖を戦場として、陸風・海風を利用して戦勝。ペルシア艦船は高さのある重心の高い船で、陸風海風で思うように動けなかったとされる。

・海風 昼過ぎから夕方にかけて海から陸への風

・陸風 夜半から朝方にかけて陸から海への風

此の海風・陸風は日射による温度上昇による。日中は陸地の温度上昇が大きいので、上昇気流が

発生し、海から陸への風となる。夜は陸の温度低下し、海は温度を保持する。よって海側に上昇気流が発生し、陸から海への風となる。

「壇ノ浦の合戦」 元暦21185

源氏の勝利。勝因は潮流説とされてきたが、潮流、風に対するそれぞれの船の違いによるとすると

する説が有力。源氏は小さい船で船高が低い、平氏は大型船で船の乾舷が高い。この為、風・波に対する抵抗力の差である。

「トイトブルグ森の戦い」  ゲルマンのリ-ダ-のアルミニウスが、ロ-マ軍を全滅させた。

ガリア(フランス)を占領したロ-マ軍は、ライン川東岸のゲルマンを征服すべく、ライン河を越えたが、アルミニウスによって、全滅させられた。暴風雨を利用して、ゲルマンの深い森にロ-マ軍を誘い込み、ロ-マの得意戦法を封じた。

「新田義貞による鎌倉幕府滅亡」 1333年 異例の北風

新田義貞は、攻め口の一つ稲村ヶ崎で、黄金の太刀を海に投じ、祈って潮を引かせたとの通説。

しかし現在は通常あり得ない北風が吹いて、討伐軍の焼き討ちが北風に乗って鎌倉中を焼き払ったのが勝因となってきた。幕府側には想定外、討伐軍側にはラッキ-であった。低気圧が相模湾で

発達すると、ごくたまに北風が吹く。

「イングランド名誉革命」 オレンジ公ウィリアム

英国のカトリックとプロテスタントの戦いで、国王ジェ-ムズ2世に対し、プロテスタントの英国国教会は、オランダにいたオレンジ公ウィリアムを国王にしようとした。オランダから軍隊と共に英国に渡ろうとしたが、通常この時期は偏西風の為西風となる。しかしこの時は、東風が吹いて英国に上陸。無血革命成功したので、名誉革命という。これも偶々の気象のお陰である。

「ワ-テルロ-の戦い」1815年、ウェリントンの英国軍とプロシア軍がナポレオンを破った戦い。

通常であれば、火砲において優勢なナポレオンの勝ちであるはずである。温帯低気圧による寒冷前線で大雨となり、ナポレオン軍得意の重砲が泥濘で移動できなかった。又敗走していたプロシア軍が天候回復で戦場に間に合い、結果ナポレオンの敗北となる。戦力から見るとナポレオンが優勢で

あったが、気象が味方にならず敗れた。

 

「コメント」

気象のサイドから戦いを見るとこうなるのであろうが、気象条件は敵味方一緒。元々戦力を持ち、気象を利用しさまたげとしなかった方が勝つのだ。古来、戦いには気象に通じるものが参謀としてついているのは常識。