こころをよむ「これが歌舞伎だ」                 金田 栄一(歌舞伎研究家・元歌舞伎座支配人)

160320⑪「心にひびく名せりふ」

「芝居のセリフ」

歌舞伎に登場する名セリフを紹介する。芝居のスト-り-を理屈で追うというよりも、その場面場面に登場してくるセリフを味わうのも歌舞伎の楽しみ方の重要な一つである。現在ではこういうセリフが載っている代本と言うものを色々な出版物で詠むことが出来る。江戸時代の芝居の台本というのは、門外不出。決して多くの人に読まれるというものではないし、そもそも芝居と言うものは役者同士がアイディアを出し合って口立てで作り上げてきた。そして次第にその芝居の内容が複雑化していく中で、その覚えとして、セリフを書き留めた。それが段々と台本と言う形になっていった。これを台帳といい、それぞれの役者にはその台帳から抜粋してその役者のセリフだけを書いた書き抜きというものが手渡されていた。勿論、近年は芝居全体が書かれた普通の台本が使われている。芝居の中でも顔見世狂言といわれた「暫」、初春狂言の「曽我物」こういったものは同じテ-マの物が、毎年手を替え品を替え上演されてきたので、一つの題名で同じ登場人物ではなく、毎日色々と趣向を変えていた。又演じる役者によっても、その都度内容を替えるというのが普通で、今日台本になって私達が読んだり見たりするものとは必ずしも同じものではない。だから現在出版されているセリフ集、又は台本と言うのは必ずしも初演の時からそう書かれているとは限らない。つまり上演の度に工夫を凝らして更に役者の個性を生かして色々とアイディアを出し合って、舞台を面白くして演じてきた。それが歌舞伎というものの育ち方である。歌舞伎には沢山の演目があるのでその中から名セリフを選びだすというのは大変な事であるが、特に幕末から明治に活躍した「白浪作者」と異名を取った河竹黙阿弥の作品、これは典型的な七五調で実に耳に心地よく今でも多くの人に親しまれているので、まずその辺りから紹介する。

近年余り聞くことが無くなったベランメ-調が随所に出てくるのでこの辺りに注目するのも面白い。

 

「白浪五人男  浜松屋店先」

弁天小僧の有名な「知らざ-言って聞かせやしょう」というセリフから見ていく。歌舞伎の中でも、黙阿弥作品の中でも一際御馴染みで人気の高いのが、この弁天小僧つまり白浪五人男の中の一人である。この弁天小僧は美しい娘に化けて、その仲間の南郷力丸という人物と一緒に呉服屋の浜松屋にやってくる。その時わざと盗みがバレル様に仕向けて、額に傷を負いそれを理由に百両のゆすりを働くという事になるが、そこで更に男と見破られた弁天小僧が、自分の事を知らないのかというと、知るものかと返されそこで切る啖呵が「知らざ-言って聞かせやしょう」。 実は弁天小僧の正体を見破った立派な侍も、仲間の大泥棒でしかもその一味の首領格であるという、これも痛快な趣向になっている。このセリフはいかにも黙阿弥ならではの見事な

七五調。実に気持ちよく耳に入ってくるが、その内容はというと、子供の頃から盗みを働いて来たという自分の履歴のような

ものであるが、それを堂々と聞かせてカッコよく見せてしまう。こういった所を見ても歌舞伎と言うものの並外れた奔放さが窺われる。そのセリフである。

「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの児ヶ淵、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭を、当てに小皿の一文字(いちもんこ)、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講を札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた祖父さんの、似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助とは俺がこった。」

 ・大泥棒といえば石川五右衛門、ある種お手本。辞世の歌を詠んだとされる。

 ・幼少の頃から江の島で育ち、その稚児と江の島にある稚児が淵という地名を掛けている。

 ・江の島には弁財天参りの宿坊がある。(岩本院)そこにやって来たお詣りの人達の枕探しと言ったコソ泥をやっていた。

  こんなことで島を追い出される。

 ・寺島というのは初演した五代目尾上菊五郎、その家の本名が寺島。この初演の尾上菊五郎の声色でいうセリフになって 

いる。だからこの役を菊五郎家の人がやる時は、このセリフを言うが、その他の俳優がやる時は「小耳に聞いた音羽屋

の・・・」と言い換える。この舞台を見るときはその辺りも注目すべき。

 

「白浪五人男 鎌倉稲瀬川」  

白浪五人男の勢揃いの場面を見てみる。勢揃いしているのは鎌倉稲瀬川という事になっているが、舞台を見るといかにも江戸向島の桜並木の土手という風情である。この五人が、大勢の捕方の前で、一人ずつ名乗りを上げる。最初はリ-ダ-格の日本駄衛門で

ある。

(日本駄衛門)

「問われて名乗るもおこがましいが生まれは遠州浜松在 十四の頃から親に放れ、身の生業も白浪の沖を越えたる夜稼ぎの、盗みはすれど非道はせず 人に情けを掛川の、金谷を掛けて宿々で義賊と噂高札に廻る配符のたらい越し危ねえその身の境界も、最早

四十に人間の 定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねえ賊徒の張本日本駄右衛門」

・「盗みはすれど非道はせず」 これが黙阿弥の描く義賊と言った姿が象徴されている。

・情けを掛ける 掛川という地名、こういった掛詞。

・40 50 60と韻を踏んでいる。 

(弁天小僧)

「さてその次は江ノ島の岩本院の稚児あがり 普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜
打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局 油断のならぬ小娘も、小袋坂に身の破れ
悪い浮き名も龍の口 土の牢へも二度三度、段々超える鳥居数 八幡様の氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも
島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助」

この次に、忠信 利平、赤星十三郎、南郷力丸と五人男のセリフが続いて行く。

  

「三人吉三 廓初買」

同じ吉三と名の付いた三人の盗賊が大川端で出会って義兄弟の契りを交わす。三つ巴の吉三という事で「巴の白浪」という名がついた。ここに登場するのは、お嬢吉三・お坊吉三・和尚吉三。この中でもお嬢吉三のセリフが数ある歌舞伎の中でも人気のあるセリフで知られている。

「月も朧に白魚の篝も霞む春の空 冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと
浮かれ烏のただ一羽ねぐらへ帰える川端で 竿の雫が濡れ手に泡思いがけなく手に入る百両
ほんに今宵は節分か西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし
豆沢山に一文の銭と違って金包み こいつぁ春から縁起が良いわい」

・「月も朧に白魚の篝も霞む春の空・・・」これは隅田川の早春の風景である。隅田川には節分の頃の早春に篝火を焚いて、

ここに集まってくる白魚をその場で食する「白魚船」というのがあった。その風情を詠っている。

・節分の豆と、豆板銀(一文銭と違う大金)と繋がっている。つまり小銭ではなく百両という大金が入って縁起がいいというセリフ 

である。

  

与話(よは)(なさけ)浮名(うきな)(よこ)(くし) 源氏店(げんやだな)妾宅の場」  通称 切られ与三

源氏店(げんやだな)という人形町辺りにある医者の家作。舞台はいつも通りか鎌倉であるが、江戸日本橋当たりの風情。与三郎というのは、元々若旦那であるが、お富との恋が元で、全身を切り刻まれて海に投げ込まれる。九死に一生で、三年後にゆすりに入った家で偶然お富に再会。その家は旦那の妾宅でお富はお妾。その時の恨み節という内容である。

「しがねぇ恋の情けが仇(あだ) 命の綱の切れたのを どう取り留めてか 木更津から 
めぐる月日も三年(みとせ)越し 江戸の親にやぁ勘当うけ よんどころなく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても 面(つら)に受けた看板の  疵(きず)がもっけの幸(せいうぇ)いに
切られ与三(よそう)と異名をとり 押借(おしが)り強請(ゆすり)やぁ習おうより
慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんじだな) その白化(しらばけ)た黒塀(くろべえ)に
格子造りの囲いもの 死んだと思ったお富たぁ お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁ おぬしぁ 達者でいたなぁ。  おい、安やい。 これじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ 帰(けぇ)られめぇ~。」

流行歌になった有名な場面で、見事な七五調で心地よいセリフである。

  

「菅原伝授手習鑑」  寺子屋の場

「弟子子と言えば我が子も同然、今日に限って寺入りしたは、あの子が業か母御の因果か、報いはこちが火の車、追っ付け廻ってきましょうと、妻が嘆けば夫も目をすり、せまじきものは宮仕えと、倶に涙にくれ至たる。」

武部源蔵は菅秀才という自分の主君の息子の首を討たなければならなくなった。そこで身代わりに小太郎の首を切らなければならない。そこで宮仕えなどしたくないという場面。

 

「義経千本桜」  渡海屋の場 

『いわし)ておけば飯蛸(いいだこ)思い、鮫(さめ)ざめの鮟鱇(あんこう)雑言。いなだ鰤(ぶり)だと穴子(あなご)って、よくい鯛(たい)目刺(めざし)に鮑(あわび)たな』(言わしておけばいいだろと思い、様々の悪口雑言。田舎武士だとあなどって、よくも痛い目にあわせたな)『鯖(さば)浅利(あさり)ながら、鱈(たら)海鼠腸(このわた)に帰るというはに鯨(くじら)しい。せめてものはら伊勢海老(いせえび)に、このひと太刀魚(たちうお)をかまして槍烏賊(やりいか)』

さはさりながら、ただこのままに帰るというは憎たらしい。せめてもの腹いせに、このひと太刀をかましてやろうか)

魚づくしの面白いセリフが登場する。銀平と言う、これは平知盛であるが、そこに鎌倉方の侍がやってくる。その時のセリフが如何にも海の場面らしい魚づくしになっている。

 

「助六由縁江戸桜」  悪態の初音

助六との仲を廓の上客「意休」に責められた女郎揚巻が、悪態で言い返す場面がある。揚巻は、助六と意休を雪と墨に例え、また「くらがりで見ても助六さんと意休さんを取違えてよいものかいなァ」と命がけで言い放つ

「もし、意休さん、お前と助六さんを、こう並べて見る時は、 こっちは立派な男振り、そっちは意地の悪そうな顔つき、たとえて言わば雪と墨、硯の海も、鳴門の海も海という字は一つでも、 深いと浅いは客と間夫、さぁ、間夫がなければ女郎は闇、暗がりでみても、お前と助六さん、取り違えてなるものかいなァ。たとえ茶屋船宿の意見でも、親方さんの詫び言でも、小刀針で止めぬ揚巻が間夫狂い。
さぁ切らしゃんせ、たとえ殺されても助六さんのことは思いきれぬ。意休さん、わしにこう言われたらよもや助けてはおかんすまいがなァ。さぁ、切らしゃんせ。」

 

「助六由縁江戸桜」 

「いかさま,この5丁町(吉原のこと)へすねを踏み込む野郎めらは,おれが名を聞いておけ。 まず第一におこりが落ちる。
まだいいことがある。大門をすっと潜ると,おれが名を手の平に三遍書いてなめろ。
一生女郎に振られるということがねえ。見かけは小さな野郎だが,肝は大きい。
 

遠くは八王子の炭焼売炭の歯っかけ爺い、近くは山谷の古やりて梅干婆にいたるまで、茶飲み話の喧嘩沙汰、男達の無尽の掛け捨て、ついに引けをとったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪は生締め、それぇ、刷毛先の間から覗いてみろ。安房上総(あわかずさ)が浮絵のように見えるわ。相手がふえれば竜に水、金竜山の客殿から、目黒不動の尊像まで御存知大江戸八百八町に隠れのねえ、

杏葉(ぎょよう)牡丹の紋付も、桜に匂う仲の町、花川戸の助六とも又、揚巻の助六ともいう若い者。間近くよって、面像(めんぞう)おがみ奉れ。」

自信満々のセリフである。これを助六役者が立て板に水で聞かせてくれる。

 

「コメント」

今の流行歌みたいに庶民はこれを覚え、何かの場面では声色まで真似て得意がったのであろう。それにしても調子のいいセリフばかり。そういえば昔、全学連のアジ演説もこの七五調。上手い奴の前には人垣が出来たものである。