東北災害ボランティア 活動記録 1 

期日  平成26年1010()1012()

場所  宮城県本吉郡南三陸町志津川 在郷の農地

作業  畑の瓦礫撤去

スケジュール

  1010日  20:00  横浜発 東名→首都高→東北道(仙台)→三陸道→石巻→南三陸町(3時到着、

                               車中仮眠)

  1011日   8:30 VCに集合 

           9:00  作業開始

           15:00  作業終了

                       18:00  民宿

  1012日    9:00  気仙沼 「さんまフェステイバル」参加 

           12:00   陸前高田 復興商店街

           13:00   平泉 

           15:00   一関IC→東北道→首都高→東名

                        23:00   帰着(渋滞で2時間遅れ)

  「往路」

   真夜中に走る福島県の長いこと、トラックの列に混じりひたすら走る。仙台から三陸道で、被災地の松島・

      石巻を通過。三陸道を出ると、復旧工事で道路が来る度ごとに変わる。ナビが役に立たず、スマホの

      ナビが活躍。 

 「南三陸町ボラカティアセンタ-(VC)」 

   ここには、4度目なので顔見知りも。前回会った長期滞在の大垣のオッチャンの顔はない。今も長期滞在の人が

  駐車場の車の中で寝起きしている。ここでボランティア登録をして、作業現場に。

 「作業」  南三陸町在郷の農地

 海岸から100M位の階段状の菊畑 標高6M)20Mの津波で表土が流され、夫婦二人農業を諦めていたが、

  昨年業者より山土を入れて再開。しかし瓦礫が多いので、撤去を頼んだとのこと。群馬から来た大学生

  (健康福祉大学)80名と、一般20名で作業。這いつくばっての作業なので腰に負担。今後は菊作りをして関東

  関西へ出荷するとのこと。夫婦の思ったより明るい言動が印象的。「あの山を越えて津波は来たんだよ、家内

  が畑に出ていたので心配したが、避難所で会えた」とのこと。

 「民宿」  南三陸町戸倉「津の宮荘」

 初めての所。一見して掃除と整理整頓が行き届いていないので不安に。しかし、食事はA++

 ホタテ、刺身各種、天ぷら、酢の物、カニ、ホヤ・・・・。とても食べきれない。鮮度抜群、先程まで海にいたとか。

 酒、ビ-ルをおいしく飲んで、9時から爆睡。

 目の下は太平洋、朝日もバッチリ。漁港散策したが、裏山の高いところにブイが、津波の高さだ。海岸の民宿

  は流されたとか。港の生簀には、牡蠣が一杯、明日出荷と。岸壁、堤防は地盤沈下して海水に洗われている。

 「南三陸町防災庁舎」

 いつ見ても粛然とする。避難を呼びかけた女性職員、アンテナにしがみつく人達。屋上12Mに避難した人たちに

 15Mの津波。今もお祈りに訪れる人は絶えない。保存か撤去かで議論。避難していた14名生存、死亡41

 「陸前高田 復興商店街」

 壊滅した街の商店が、高台で営業。水産物、農産物の直売。朝市の屋台も出ていて、牡蠣、ホタテ、イカなどをすぐ食べさせてくれる。美味い、安い。りんご一袋、500円。いつ来ても、なんとなくホッとする。海が見えないから?

 「平泉」

 何度目かだが、この人出は何だ。世界遺産以降、この有様らしい。単なる観光地となり、あの中尊寺の雰囲気

 はない。地域にとっては嬉しいことだろうけど。

 「復路」

 冬季は凍結の心配かあるが、今の季節は楽チン。連休中なので、渋滞を心配していたが案の定佐野藤岡から

 大渋滞。結局2時間程ロスして帰着。

 「コメント」

 ・個人のやる仕事はドンドン減ってきて、沢山あったVCも閉鎖。最大の南三陸町も来年度はどうなるか。

  大規模土木工事があちこちで、ダンプがひっきりなし。被災地の道路は変わるので分かりにくい。

  しかし個人の家、農地などは個人責任として手つかすのまま。まだまだ農業支援、漁業支援は必要。

 VCの係の人も手弁当、キャンプ生活をしながら頑張っているが、やはり素人。仕事の仕組み、進め方、管理

 にはいつも疑問を感じるが、精一杯やっているとしか言いようがない。日本にもこういう若者がいるのは救い。

 ・作業開始時の注意の一つとして「写真撮影の自粛」がいつも申し渡される。大勢の人たちが亡くなっている

  場所も多く、遺族の気持ちを考えると当然。持っていく「一眼レフ」はいつも使わず仕舞。携帯でそっと

  撮すくらい。