狂言の会
日時 平成28年11月8日(火)10時30分~15時30分
場所 国学院大学たまプラ-ザキャンパス 講堂
「講義」 文教大学名誉教授 田口 和夫
・狂言の今と昔
・演目の解説
「演目」
●萩大名
シテ(大名)山本則俊
アド(太郎冠者)山本則秀
田舎者の無教養を笑うという作品である。野卑な田舎大名が京に来たついでに雅な遊びが
したいという。和歌の事でとんだ恥さらしをする。それを笑うというのが、この狂言の趣向で
ある。当時、和歌に無知なことは無教養人とされていた。萩で有名な庭を鑑賞し、そこで和歌を
詠う羽目になる。ここで大恥をさらす。
この話の元は、太田道灌という説がある。にわか雨に、農家で蓑を借りようとするが、この家の
娘に「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに亡きぞ悲しき」と歌を詠んで断られる。この
歌は「後拾遺和歌集」兼明親王。道灌は、この歌の意味が判らず、怒ってしまうが家来に教え
られて、大恥をかく。これに発奮して歌道に志して有名な歌人となる。このエピソ-ドが思い
出される。場所は、今の埼玉県越生と言われる。
●月見座頭
シテ(座頭)山本東次郎)
アド(上京の者)山本則重
中秋の明月の夜、座頭(下京在住)と行きずりの者(上京在住)が和歌で意気投合し、酒を酌み
交わす。別れた後上京の者は、いたずら心を起こして、引き返し座頭に乱暴を働く。座頭は
泣く泣く、つえを拾って帰っていく。
ここには、上京の者と下京の座頭との意識の違い→上京は気位が高く、下京をどこか見下して
いる。
しかし座頭の会話・動きの中に教養では上だという意識が見えたので、意趣返しをしたので
ある。
●首引
シテ(親鬼)山本泰太郎
アド(鎮西ゆかりの者)山本則孝
アド(姫鬼)山本凛太郎
鎮西八郎為朝ゆかりの者が西国から都に上る途中、鬼に襲われる。親鬼は自分の可愛い娘
の姫鬼に人の喰い初めをさせようとする。姫鬼は食おうとするが、扇で叩かれて恐れをなす。
為朝ゆかりの者は、勝負をして負けたら食われてやろうといい、腕押し・脛押しをして鬼を簡単
に負かしてしまう。最後に両者の首に綱を掛けて引き合うが、:形勢が鬼に不利なので、
見かねた親鬼は眷属の鬼たちを呼び出し加勢させる。為朝ゆかりの者は、しばらく引き回した
挙句に、急に綱を外し、鬼たちを将棋倒しにして逃げ去る。怖い鬼親の父性愛・ユーモラスな
鬼たちの仕草・人間に負ける可笑しさを描いている。
「解説」
●狂言
・正式には能狂言。猿楽の笑いの要素を洗練した科白劇。鎌倉、室町時代に主要な芸能となり、
江戸初期に大蔵流・鷺流・和泉流が確立。
・舞台の背景の松は、春日大社の影向の松を表す。松は常緑樹の中でも一番とされ、松葉は
落ちても二本の所から夫婦和合の理想の夫婦像を表す。
・能には和歌、狂言には連歌がつきもの。
・狂言は点を演じて、それを観客が線に繋ぐもの。但し後味の悪いものは無い。引き算の芸能で、
俳句・和歌等も短い中に思いを込める所は同じ。
「コメント」
恥ずかしながら狂言は初体験。それも無料で、高名な狂言師。最初の田口教授の事前講義、
終わってから30分以上、座頭 山本東次郎の解説。これがあって内容の理解と、面白さが少し
分かった。楽しい、夢中になった一日、あ少し勉強だ。この狂言は二日間にわたって演じられ、私は初日のみ。
二日目の演目
●箕被
●千鳥
●千切木