132回奈良学文化講座 飛鳥寺と激動の古代東アジア

                                    

講師  井上 和人  明治大学大学院特任教授      「日本国の誕生と古代東アジア世界」

     大橋 一章  早稲田大学名誉教授         「飛鳥の文明開化-飛鳥寺の建立」          

日時      平成25年9月21日()    13001600                                  

講演会場    日本青年館大ホール 

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「日本国の誕生と古代東アジア世界」  

 

飛鳥に都が置かれ、また各地に遷都し壬申の乱で天智天皇/天武天皇の争いも中国(唐)の脅威への対応であった。

 

1、飛鳥とは何か

飛鳥に都が置かれた7世紀は我が国の基礎が築かれた時代。漢書・魏志倭人伝に出てくる国はあったがいわゆる国ではなかった。この意味が重要である。

 

2、中央集権国家の成立

7世紀末、持統天皇の藤原京の時代に国家体制が確立。日本列島の大半を統治する中央集権国家が誕生した。

 

3、飛鳥の王宮より遷都の歴史

従来飛鳥時代は推古朝から始まるとされるが、実際には違う。推古朝・・豊浦宮、小墾田宮(飛鳥の地ではない)

 

   次の舒明朝からが飛鳥の地、飛鳥岡本宮。この後の、皇極・斉明は新宮殿をこの地に作った。母 斉明天皇の没後称制した中大江皇子(後の天智天皇)は飛鳥岡本宮で政治を行い、大津宮に遷都。これは白村江敗戦によって唐の侵略を恐れて。壬申の乱で勝利した大海人皇子(天武天皇)は、再度飛鳥浄御原宮に戻る。この後、持統天皇の時、藤原京へ。

 

4、中国大陸統一の日本への影響  隋

  ・後漢、三国、五胡一六国、の後400年振りに隋誕生。しかし外征による疲弊で30

   足らずで滅亡し、唐となる。

5、中国大陸統一の日本への影響  唐

  ・唐帝国の侵略戦争  北の遊牧民族・高句麗・ベトナム・・隋と違って強大な軍事力を持つ唐は周辺諸国の脅威となる。

  ・大和政権でも、遣隋使の派遣、朝鮮の百済との同盟等国防政策を行ってきた。

  ・唐の外交政策の基本は「華夷思想・・・中国が世界の中心で周辺は野蛮国と見なす。

   朝貢を義務付け行わなければ征服する。

6、飛鳥宮の意味

  ・このような国際情勢の中で、防衛に適した飛鳥の地に王宮を建設した。これを推進

   したのは舒明朝の蘇我蝦夷。都城の建設には同盟国「百済」の技術が使われた。

  ・皇極天皇の後、孝明朝に難波宮へ一時遷都したが、皇極天皇が重祚した

   斉明天皇の時、飛鳥に帰る。

7、天智天皇による大津宮への遷都  

・白村江の敗戦によって唐の侵略の危機を感じ飛鳥から更に要害の地大津へ遷都した。

8、壬申の乱の真相

  ・一般的には皇位継承の争いと言われているが、国土防衛についての意見の相違である。朝鮮式(百済)防衛方式の天智側と、それに反対する天武側との戦いと見たほうが分かりやすい。

  ・この戦いに勝利した天武側は飛鳥に帰還し、更に防衛的な藤原宮を作ることとなる。

「飛鳥寺の建立」飛鳥大仏 釈迦如来坐像 製作者  帰化人 鞍作止利(くらつくりのとり)

  この寺は、我が国が仏教文化を受容し、中央集権国家を作った一つの象徴である。

  明日香村にあった寺、現在はその一部「安居院」が残っていて、北魏様式の飛鳥大仏がある。蘇我馬子の創建。

・インド仏教は中国に伝わり、ここで儒教・道教の影響を大きく受け漢字文明を理解する朝鮮に受容された。しかし、これを習得していない我が国では受け入れようがなかった。

・そこで同盟国の百済は、五経博士を送り込み、中国の漢字文明を伝えた。あるレベルに達した時に仏教を教えた。

・同時に仏像・仏教伽藍造影の工人も。弟子となった日本人が成長した頃、我が国初めての巨大建築と釈迦像を作った。これが飛鳥寺と今見られる飛鳥大仏である。

・のち平城京に移され、元興寺となる。

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