136回奈良学文化講座 「奈良朝の政争と万葉歌人・大友家持」                                   

 

講師  古市 晃  神戸大学院准教授 「大伴家持とその時代-奈良時代の黄昏を生きた貴族」

 

     鉄野昌弘 東京大学大学院教授  「花の移ろい-大伴家持作歌における宮廷の人々」          

 

日時      平成26年6月21日()       13001600                                  

 

講演会場    よみうりホール 

 

 

  1. 大伴氏の系譜

    古代日本の有力の一つ。(かばね)(むらじ)八色(やくさ)の姓の時宿祢(すくね)の姓になる。天孫降臨の時に先導を行った(あめ)(おし)()(みこと)の子孫

    物部氏と共に軍事を司り皇宮警察近衛兵のような役割をしていた

    ・大和の拠点が磯城・磐余地方。河内には大伴金村の「住吉の宅」があり、万葉集に「大伴の御津の浜」「大伴の高師の浜」と詠われている。住吉は倭王権の重要な港であった住吉津が所在したところであるし、「御津」は難波津、「髙師」は現高石市一帯のことであり、摂津から和泉にかけて拠点を所持していたことは、5世紀から6世紀にかけて外交・外征面において、倭王権では重要な役割を果たしていた。

    大友氏の有力人物  家持まで

     金村(武烈天皇)、長徳(乙巳の変)、馬来田/吹兄(壬申の乱)、安麻呂(祖父)、旅人(父)、大伴坂上郎女(叔母)

    ・その後、度々の政争で衰退し、名を伴と改める。大納言になった「伴 善男」が出るが応天門の変で完全失脚。

  2. 大伴家持の歴史

    父・旅人が大宰帥として大宰府に赴任する際に、母、弟・書持とともに任地に従っている。後に母を亡くし、西下してきた叔母の大伴坂上郎女に育てられた。妻は大伴坂上郎女の娘、大伴坂上大嬢。越中に任ぜられ、この間に223首の歌を詠んだ

    橘奈良麻呂の乱には参加しなかったものの、藤原良継(宿奈麻呂)・石上宅嗣佐伯今毛人3人と藤原仲麻呂(恵美押勝)暗殺計画を立案したとされる。暗殺計画は未遂に終わり、4人は逮捕されるが、藤原良継一人が責任を負ったことから、家持は罪に問われなかった。

    没直後に藤原種継暗殺事件が造営中の長岡京で発生、家持も関与していたとされて、追罰として、埋葬を許されず、官籍からも除名された。

    長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められており、『万葉集』全体の1割を超えている。このことから家持が『万葉集』の編纂に拘わったと考えられている。『万葉集』の最後は、天平宝字3年(759)正月の「(あらた)しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)」(卷二十-4516)である。

  3. 大伴氏の関わった政争  基本的に天皇側に組し、時の政権(藤原氏)に対抗

    ・壬申の乱  天武方で貢献 

    ・長屋王の変 天武天皇の孫、高市皇子の子、藤原氏に対抗したが陰謀で一族自害。旅人が加担し、大宰府に左遷。

    ・藤原仲麻呂(恵美押勝)暗殺計画  家持が加担して失脚、左遷される。

    ・藤原種継暗殺計画   家持死後、家持加担が発覚して埋葬も許されず、除名される。

  4. 大伴氏の性格

    ・貴族として「大伴的」「藤原的」と言われるが、前者は伝統的保守的武門の人、天皇側につく。後者は革新的、後の

    摂関政治にみられるように天皇制を骨抜きにしていく。よって藤原氏への対抗勢力。

    ・一般の人は大友家持は歌人としてしか見ないが、当人は武人と生きたというであろう。

  5. 軍歌 「海行かば」

    ・家持の作で、万葉集の長歌より採られている。

    海行かば水漬く屍  山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ

    ・長歌の大意→ 自分たちの氏を誇らしげに称える

    ますらおの汚れないその名を、遥かな過去より今現在にまで伝えて来た、そのような祖先の末裔であるぞ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものである と言い継いできた

     

    「感想」

 

  1. 神代の時から、大君(天皇)と一緒に生きてきた大伴氏だったが、革新的官僚貴族(藤原氏)の台頭でその座を追われていく。その最後の光が家持であったろう。その保守性、伝統的武門の氏の限界なのであったろう。

    古代豪族はこれで消えてしまった。葛城・息長・物部・蘇我・巨勢・吉備・・・・・・・

  2. 平安時代前夜、藤原氏との度々の政争に関わってきた家持の事は今回、よく分かった。意外であった。武人だったのだ。

  3. それにしても、藤原氏の策を弄し、政敵を倒すには手段を択ばない戦略には改めて驚かされる。