科学と人間「日本列島の成り立ち」  講師 山崎晴男  首都大学東京都市環境学部教授

150327科学と人間⑫(東海道新幹線の車窓から見る日本の地形)

今回は総まとめとして、東海道新幹線の車窓から日本の地形の特徴がどのように見えるかを説明する。

ただ見る事の出来ないトンネルの上の地形・地質も含める。

東海道新幹線は去年開業50周年。其れまで東京大阪間、在来線特急(こだま)で、6.5時間を今や2.5時間とした。

「品川-多摩川」

品川を過ぎると、田園調布の南で国分寺崖線を越えて多摩川を渡る。そして巾3.5Kmの多摩川の沖積地の上を高架で越えていく。

現在この沖積地にはびっしりと建物が建っており、その様子は多摩川の上流方向から下流の川崎方向にずっと続いている。江戸時代にはこの低地には水田が作られていた。水田の水は多摩川から引いていたが、多摩川上水が上流で取水するので、下流のこの地域はしばしば水不足になった。土地の農民が幕府に、強く抗議した記録が残っている。

「横浜-相模川-大磯」

横浜北西の下末吉台地から多摩丘陵の南部を抜け、厚木飛行場のある相模川段丘に入る。この区間は切り通しが多く、景色が見えない。開けた土地が出てくると海老名耕地という美田の開けた相模川の沖積地である。この辺りで北側に丹沢山地の南にある大山(1252m)見える。次に相模川の沖積地から大磯丘陵の谷に入る。トンネルを抜けると広い平野にでる。国府津松田断層崖を抜けて、酒匂川が作った足柄平野である。大磯丘陵は箱根火山が東にあった平野の一部が国府津松田断層の動きで隆起し分離して出来た地域で、かって平野を作っていた厚い礫層を覆って箱根や富士山からのテフラ(火山灰・軽石など)が堆積している。

「足柄平野」

足柄平野は相模湾の中にあるプレ-ト境界である相模トラフの陸上延長部で厚い礫層に覆われた沈降地域である。

「小田原-熱海」

小田原を過ぎると箱根火山の南の縁を通って熱海に着く。この間に小さなトンネルが続くが、トンネルの隙間から相模湾が見える。

「丹那トンネル-丹那盆地-トンネル工事の異常出水」

熱海を過ぎると新丹那トンネルを通過する。7959mと新幹線で一番長いトンネルである。このトンネルの上に丹那盆地がある。

丹那盆地は伊豆北部に南北に並ぶ火山の一つの西側斜面にある小さな盆地である。明治時代ここに、東海道線の鉄道トンネルを

通すことになる。→丹那トンネル

この丹那盆地が火口かもしれないという事で工事上の大きな問題となって調査が開始されたが、その結果火口ではなく断層に挟まれた陥没盆地であることが分かった。盆地の東と西に断層があり、その間が陥没したのである。又盆地の中央に丹那断層があることも

分かった。丹那断層には厚い断層破砕帯があり、工事中に破砕帯を抜ける所で何度も大出水に見舞われ多くの犠牲者を出した。

この為工事は難行した。更に断層の上の丹那盆地で水が涸れてしまった。元々水量の多い地域で、水田の他にわさび田があり、

大きな被害が発生した。

このトンネル工事の異常な出水は丹那断層の破砕帯がバリアとなって水をせき止めていたのを解放したことによる。破砕帯がダムの役割を果たしていたのである。いわば工事は、このダムに横穴を掘ったことになる。当時はその様なことは理解されていなかった。

「北伊豆地震」

こうしている最中、1930年丹那断層が活動して北伊豆地震(M7.3)が発生。1995年の兵庫県南部地震と同じMであったが、犠牲者は2600名。建物被害は地盤の弱い神奈川沖積層低地に集中した。

「新丹那トンネル(東海道新幹線)

東海道新幹線を作るにあたって、丹那トンネルの横に新丹那トンネルを作ることになった。旧東海道線の時のように、大量出水が心配されたが、杞憂で全く出水はなく簡単に掘削できた。これは前回の時に、大量の水が抜けたことによる。

「愛鷹山-浮島ヶ原」

新幹線は新丹那トンネルを抜けると、沼津を通って愛鷹山の南麓を西に進む。愛鷹山南麓には、浮島ヶ原と言う低湿地がある。その

南の駿河湾との間に砂洲が形成され、東海道線・国道1号線がこの砂洲の上を通っているが、これ以上道路・鉄道を通す余地はない。

浮島ヶ原は全くの軟弱地盤で長距離にわたって高速鉄道を通すことは困難である。この為に愛鷹山麓のルートが選ばれた。

尚東名高速もこのル-トである。この浮島ヶ原は駿河トラフの北方にあり、激しい沈降運動を受けている。ここで採取した泥炭層の測定では、1~3m/1000年の沈降を続けている。愛鷹山麓の扇状地を調べると地下に海性のシルト(砂と粘土との中間の細かな土)

言われる地層があり、古い富士川の扇状地礫も認められた。海性シルト層は、海が高かった高海水面期に地表近くに堆積したものであろう。

「新富士-富士川」

富士川扇状地の上に作られた新富士駅を過ぎ、富士川を渡ると蒲原丘陵と山地をトンネルで抜ける。蒲原丘陵と富士川扇状地との間には、日本で最大の断層変位速度(m/1000年)を示す富士川河口断層帯があり、大きな地形境界を作っている。

「静岡-浜松」牧の原台地

静岡・浜松間で大井川の南西にある牧の原台地は大井川の旧い扇状地であるが、周辺の旧領よりも高い所にある平坦地である。

平坦な台地が周囲より高い所にあるのは、地形の逆転という現象。牧の原台地は扇状地なので水はけがよく、その為浸食を受けにくい。それに対し同地の丘陵地、これは牧の原台地より高度は高かったはずである。しかしこれらは浸食されて低くなってしまった。

「浜名湖」

天竜川の扇状地とその段丘である三方ヶ原を抜けると線路は海沿いとなり、北側に浜名湖、南側に太平洋が拡がる。浜名湖は氷期に

出来た谷が出口を塞がれ淡水湖になったもの。ところが1498年の南海トラフの巨大地震で(明応地震 M8.4)、この津波によって海と湖が繋がり汽水湖となった。

「濃尾平野」 木曾三川(木曽川・長良川・揖斐川)

濃尾平野は関東平野に次ぐ広さを持つ。成因は関東平野と違う。平野の西側を限る養老山地の麓にある養老断層の活動で、この

平野は西側に傾き下がる構造運動を受けて、木曾三川(木曽川・長良川・揖斐川)が運ぶ堆積物が供給されている。木曾三川は下流に三角州や自然堤防帯を広げているが、これは東海道沿岸の扇状地河川とは異なり、断層運動によって自然堤防や三角州を形成する拡がりが造られているためである。養老断層は1586年(天正地震 M7.8)が活動したことで知られている。ただ、この地震は日本海側から近畿まで被害が広がった為、複数の断層が一緒に動いたか、或いは全く偶然同時に動いたのか、分からないことが多い。

「関ヶ原」

名古屋を過ぎ岐阜羽島を通過すると、傾斜の多い地域に入る。そして峠に当たる部分が関ヶ原である。ここは本州が最もくびれていて

太平洋側の伊勢湾と日本海側の若狭湾との距離が100km程度である。又、このくびれを繋ぐように北西から伊吹山地、南東から

養老山地が伸びていて、関が原はこの二つの山地の間の峠のような場所である。原と言う名のように平地ではあるが。このように

関ヶ原は日本列島を東西に移動する時,通らなければならない場所である。東海道とは日本列島の東側つまり太平洋側の地域で

あり、新幹線もここを通っているが、関ケ原付近が唯一、日本海側と接する地域である。

「近江盆地-米原」

米原を過ぎると近江盆地に入る。米原は東側の鈴鹿山脈と西側の比良山地の間に広がる内陸盆地で、半分は琵琶湖が占めている。一方南東側の半分は丘陵地と湖東平野が広がっている。琵琶湖の西側は比良山地と湖が接していて大きな平野はない。

東側には湖東平野が拡がり、犬神川・愛知川・日野川・野洲川が琵琶湖に注いでいる。

「安土城」

新幹線はこの平野を抜けていくが、車窓からは水田地帯の中に島のように小さい丘陵が点在しているのが認められる。信長が作った安土城はこのような丘陵に作られていた。城下を作るのには広い沖積地の方がいいのだが、大きな城を作るには地盤がよくなかった。

一方、島状の丘陵には湖東流紋岩と言う硬く堅固な地盤があった。これを安土城に使ったのである。

「終わりに」

こういう地形・地質の知識を持って新幹線に乗るとその旅は充実したものになる。ぜひ、新幹線に乗るときは、窓側に座って車窓から

観察をしよう。

 

「コメント」

・今回の記録は本当に苦労した。まず当方の知識不足、難解な技術用語、講師の滑舌の悪さ。何度聞き直しても分からない。

Give Up寸前であったが、意地になって最後までやった。終わって凄い解放感。

・結果、分かる人が読めば「何のこっちゃ」となることは必定。素人です、お許しを。

・しかし、最初から読み直してみようと思っている。肩 凝った。