科学と人間「私たちはどこから来たのか?~人類700万年史」            講師 馬場 悠男(国立科学博物館名誉研究員)

150807⑥インドネシアのジャワ原人化石調査

アフリカから出て西アジアで暮らしていた原人のホモエレクトスたちはうまくアジア大陸の温暖な地域に広がっていった。その過程で徐々に身長も高くなり脳容積も増大した。但し途中の中央アジアや南アジアでは原人の化石が殆ど発見されていないのでその実態はよく分からない。しかし最終的に彼らは中国の北京原人・インドネシアのジャワ原人になったと考えられている。ここではインドネシアのジャワ原人化石について人間存在の理解としての歴史的重要性も含めて、紹介する。まずジャワ原人化石の発見が人間存在の認識にとってどのように重要であったかという事である。ダ-ウィンは1859年に「種の起源」を、1871年に「人間の由来」と言う本で人が

猿のような存在から進化したことを暗示した。そしてダーウィンはその証拠としての猿と人との中間の化石は、人と最も良く似ている

チンパンジ-やゴリラの住むアフリカで発見されるであろうと予言した。又一方ドイツの進化系統学者 エルンスト・ヘッケルが

オランウ-タンや手長猿のいる東南アジアこそ人類発祥理知と予言した。

(デュボアのインドネシア調査)

この猿と人間の中間の化石は人と猿を結ぶ鎖の輪の中の、失われた輪に相当するとしてMissing  Ringと呼ばれている。そんな時にオランダのデュボアが初めて実際にMissing  Ringに当たる化石を探そうとした。彼はダ-ウィンを尊敬していた。しかしアフリカには行かなかった。当時アフリカの大部分は英仏の植民地だったので、ヘッケルの言う東南アジアでオランダ植民地のインドネシアに軍医として赴任した。

(ジャワ原人化石の発見)  ダ-ウィン理論の立証  ピテカントロプス・エレクトス

そしてジャワ島東部のトリニ-ル村で強大な臼歯、額の傾斜した頭骨、そして現代人のような大腿骨を発見した。脳容積は900cc

推定され、これはチンパンジ-と人との中間である。これこそ人が猿のような存在から進化したというダ-ウィンの理論を始めて立証した瞬間であった。デュボアは発見された大腿骨が現代人とそっくりなので完全に立ち上がっていたと判断して「ピテカントロプス・エレクトス」と名付けた。

これは直立したサル人間と言う意味。これらの化石がいわゆるジャワ原人であるが、今では北京原人と共にホモエレクトスとしてまとめられている。デュボアはこの事を論文発表したが、学会には受け入れられなかった。その後失意のデュボアは、不幸な晩年となって

しまった。

このピテカントロプス化石が人類の祖先であると認識されるようになったのは30年後、北京原人の化石が発見されてからであった。

その後も人類化石発見で人生を狂わされた被害者が続出するが、デュボアはその第一号であった。

(その後の化石発見)  インドネシアでの、日本の研究者

その後はオランダの研究者によって調査が続けられ、中部ジャワのサンギランでは数十年万前の化石が発見された。第二次大戦後はインドネシア研究者によって調査が行われ、サンギランや東部ジャワのサンブンナチャンでも相次いで発見された。そんな時に日本人による調査が開始された。それを始めたのは東大人類学の渡邊教授で、バンドンの国立地質開発研究センタ-との共同調査であった。

JICA(日本国際協力事業団)の技術支援事業として国家予算でプロジェクトを開始した。インドネシアの鉱物資源の調査と、ジャワ原人発見とを目的にした優れたプランであった。

(インドネシアと日本の共同事業)

プロジェクトは15年続き、研究設備も充実し若いインドネシア人研究者も育った。

その間に重要な化石の発見が続いた。しかし一般的には学術的な発掘による原人化石の発見と言うのは滅多にないことで、一個の

歯や骨でも重要である。たかが一本の歯でも、どの地層に埋まっていたかで、その年代が分かり、当時の環境を知ることが出来る。

実はジャワ原人の化石は100点ほど見つかっている。だが大部分は住民が見つけたもので実際にどの地層に埋まっていたかは確証がない。

(ジャワ原人化石を研究する意義)

・一つはジャワ原人が独自の進化を遂げたという事が人類進化のある時期の進化モデルとして興味深く重要なことであるという事。

・もう一つは新人・私達ホモサピエンスに起源に関する事。そしてジャワ原人の独自の進化過程が明らかになったことが、新人・ホモサピエンスの起源を解明する証拠の一つになったこと。

(ホモサピエンスのアフリカ起源説)  今までの他地域進化説の否定

ご承知の通り、今でこそホモサピエンスは数万年前にアフリカから世界中に拡散して北京原人・ジャワ原人を滅ぼしてしまったことが

明らかになっていて、その考え方は新人アフリカ起源説と呼ばれている。がしかし20年前までは、他地域進化説と呼ばれた考え方が有力であった。それは100万年前にアフリカからユ-ラシアに拡散した原人の子孫がそれぞれ地域ごとに新人に進化したというものである。つまり北京原人が中国人や日本人に、ジャワ原人が海を渡ってオーストラリアに行き、オーストラリア先住民に進化したという説である。大部分の人は学校でそう習ってきたのである。

(前期ジャワ原人と後期ジャワ原人の間の中間ジャワ原人の存在)  これが極めて重要

ジャワ原人の化石はいくつも発見されているが、形態と年代で二つのグル-プに分かれている。前期ジャワ原人と後期ジャワ原人で

ある。

しかし色々と相違点が多く前期ジャワ原人が後期ジャワ原人に進化したのかどうか、論争が続いていた。

そうしているときに、サンプマンマチャン4号化石が発見された。これが頭骨の形から前期と後期のジャワ原人の中間形と確認された。そして後期ジャワ猿人の年代の近い所に存在することが分かった。

従ってジャワ原人は前期ジャワ原人からサンプマンマチャン4号化石のような中期のジャワ原人を経て後期のジャワ原人に進化した

ことが明らかになった。

これが意味する事⇒計算上、後期ジャワ猿人とホモサピエンス誕生の間は、数万年しかない。この時間でジャワ原人のホモサピエンスへの進化はあり得ないとの結論となった。⇒かってジャワにやってきたホモエレクトスがジャワ原人となって独自の進化を遂げたが

最終的には、アフリカからやってきたホモサピエンスによって絶滅させられたのであろう。

 

「まとめ」

・他地域進化説で主張されているように、世界各地で原人や旧人から新人・ホモサピエンスが誕生したのではない。

・新人・ホモサピエンスがアフリカで誕生し世界中に拡散したという新人アフリカ起源説がはっきりした。

・このことは上記の前期ジャワ原人、中期ジャワ原人、後期ジャワ原人の研究からもはっきりした。この事がジャワ原人化石の

研究の大きな意義であった。

 

「コメント」

・今までの私の理解は、各地で原人→旧人→新人と進化してきたと理解していた。所が今回の講義で、そうではなくてアフリカで

 誕生したホモサピエンスが世界中に拡散したという事とは。似ているようではあるが、大違い。もっと大きな声で発表して

 ほしかった。こう理解していたのは私だけだろうか。

・今、学校ではどう教えているのだろうか。