.こころをよむ「漢詩に見る日本人の心」                 宇野 直人(共立女子大学教授)

150503⑤「儒教再審~荻生徂徠」

「荻生徂徠」

江戸中期の儒学者。タイトルは儒教再審としたが、この人は日本の儒教の在り方を大きく変えた人。それに伴って漢詩、漢文学の在り方も変えた。徂徠自身、20代は苦学の日々であったが、30代後半から認められて幕府に儒官として任用され、40代で私塾を開き広く名を知られるようになる。徂徠は、当時の儒教(朱子学)が抽象的な思考に傾き「世直し」という儒教本来の目標を失っていることを嘆き、儒教本来の原点に戻ろうとした。又町人文化を重視し、研究対象を大きく広げた。

・荻生家は医学を業とし、館林藩の侍医。父は漢方医にして儒者で幼児から漢文を教えた。父がある事で藩を追われたため、上総の国に移住したので、25歳までここで過ごす。その間独学し、一方庶民の生活にも触れ視野を広げこれが人間形成に役立った。江戸に出て、増上寺近くで塾を開く。困窮を極め、近くの豆腐屋に援助される。この話は、「徂徠豆腐」と言う話で、落語・講談・浪曲で有名。31歳で増上寺僧正の推挙で、幕府に仕える。43歳で、茅場町に私塾を構え、多くの門人を抱え(けん)(えん)学派として有名になる。


(徂徠の主張)

・江戸時代に重んじられた朱子学、この朱子学は儒教の本質とは違う。物の本質や理想ばかりを追求して抽象的になっている。

・本来の儒教は世直しをするという実践的な面が強いはずである。其れなのに朱子学ではそれが疎かになっている。本来の形に戻さねばならない。それには朱子学を学ぶのではなく、儒教の根本的古典「四書、五経」をじかに学ぶべきである。

・今 朱子学を学ぶ人は世間離れして独善に陥っている。又人の心を道徳とか理念で規制してしまうきらいがある。儒教本来の目的は、世の中を良くすること。

・まずは自分自身も含めて、人の心をよく見つめることが大切。文学や芸術、芸能と言うものをむしろ重視した。それは人の心の現れであるとした。例えば源氏物語、朱子学派から見れば、結局は色恋の手引書、人の心を惑わし、姦淫を奨励するものだとなる。其れも又、世の中の事であるとした。または人情の機微を知る助けになる。

 

こうして徂徠によって儒学者の読書範囲、研究対象は大きく広がった。儒教の古典の他、中国の諸子百家の思想、日本の古典、更には歌舞伎や浄瑠璃など町人文化まで対象となった。儒学者はそれまでの求道(ぐどう)精神一筋の姿勢から、いわば文人とか風流人とかの性格をそなえるようになってきた。こうした傾向は、徂徠やその門人が作る詩の内容にも現れてくる。

 

「東都四時楽」  七言絶句  東都四時(しじ)の楽  江戸の四季おりおりの風物を詠んだ四首の連作

  1. 其の一     春を詠んだもの 上野のお花見。

    東叡山頭花似氛  東叡山(とうえいざん)(とう) 花 氛に似たり        上野の山の頂上では 桜の花がもやをかぶったように咲き

    東叡山下雪紛紛  東叡山下 雪 紛紛(ふんぷん)            山の麓では 花びらが雪の様に舞い散る

    笙歌千隊斉声唱  笙歌 千隊 声を斉しうして 唱う    笛に合わせて あちこちで 声をそろえて歌を歌っている

    那得暫時停白雲  (なん)ぞ 暫時(ざんじ) 白雲を(とど)むるを()んや  その歌声は しばらくも 流れる雲を止めることは出来ないだろう

    前半は上野の山のお花見、後半は酔客の歌に焦点を合わせている。

    第4句「白雲に停む」は、中国の名歌手「秦青」の故事。その美声は森の木々を震わせ、空をいく雲を止めたという。ここで「止めることは出来ない」という事は、酔客の歌が下手なことを言っている。

    ・東都 江戸

    ・四時 四季

    ・東叡山  東の比叡山を意味し、寛永寺の山号

    ・那     (なん)ぞ~や で反語となる→とどめることが出来るだろうか、いや出来ない

     

  1. 其の二」    夏を詠んだもの  両国の夏。夕涼みの様子を詠む。

    両国橋辺動櫂歌  両国 (きょう)(へん) 櫂歌(とうか)(どよも)す                両国橋のたもとに 船頭たちの舟歌が響く

    江風涼月水微波  江風(こうふう) (りょう)(げつ) 水 (すこ)しく波だつ           川風 涼しい光の月 水面はさざ波

    怪来岸上人声寂  (あやし)み来る 岸上(がんじょう) 人声の(せき)たるを      どうしたんだろう 岸辺の人声が止んだようだ

    恰是扁舟仙女過  (あたか)も是れ (へん)(しゅう) 仙女過ぐ          今しも 舟に乗って 遊女たちが通り過ぎていく

    (前半) 両国界隈の夜景を詠む。舟が行き、風が吹き、空には月がかかる。

    (後半) 一転して遊女が登場して華やぎに移る。

    ・両国橋 武蔵と下総を結ぶ橋。江戸はここまで、向こうは「川向う」と言われた。

    ・櫂歌   船頭の舟歌

    ・仙女   仙界の美女、ここでは遊女。

     

  2. 其の三」  秋の品川の妓楼を題材にしている

    秋満品川十二欄  秋は満つ 品川の十二(らん)         秋の風情ただよう 品川の妓楼の欄干

    東方千騎蔟銀鞍  東方 千騎 銀鞍(ぎんあん)(あつ)まる          東国の裕福な若者たちが大勢 馬に乗って集まっている

    清歌一闋人如月  清歌(せいか) (いっけつ) 人 月の如し         済んだ歌声の一曲 歌い手は月の様にきれいだ

    笑指滄波洗玉盤  笑って指す 滄波(そうは)の 玉盤(ぎょくばん)を洗うを    にっこりして指差す 川の水が水面の月を洗っているのを

    (前半) 秋の妓楼の賑わう様を。

    (後半) その座敷の中での遊女の振る舞いに焦点を当てる

    ・十二欄  幾重にも折れ曲がった欄干。妓楼ではこうした欄干があった。 よって妓楼を指す。

    ・銀鞍    銀の装飾のある鞍→裕福な遊び好きな若者

    ・清歌    澄んだ歌声

    ・玉盤    ここでは水に映った月

     

  3. 其の四」  隅田川 雪の降る冬の晩、舟が行く情景を詠む 吉原へ行く客を乗せた(ちょ)()(ぶね)

    澄江風雪夜霏霏  澄江(ちょうこう) 風雪 夜 霏霏(ひひ)たり            隅田川に雪と風が しきりに降っている

    一葉双漿舟似飛  一葉(いちよう) 双漿(そうしょう) 舟 飛ぶに似たり         一艘の小舟に二本の(かい) 舟は飛ぶように進む

    自是仙家酒偏酔  是れ()り 仙家(せんか) 酒 (ひとえ)に酔う         これから仙女の館で(ひとえ)に酒に酔うのだ

    無人能道剡渓帰  人の ()(せん)(けい)より帰るを()うこと無し     (いにしえ)の王徽之の様に「興味が失せた さあ帰る」と言うものはいない

    ・猪牙舟 小さな船で船足が早い。舳が尖っていて、猪の牙の様で名づけられた。吉原に通う事で有名。

    江戸川柳「役人の 一寸固いのは 猪牙に乗せ」

    ・澄江   隅田川の事

    ・霏霏   雪や雨などがしきりに降る様子

    ・仙家   仙女が棲む家→ここでは遊女がいる吉原遊郭

    剡渓(せんけい)   王徽之(きし)の故事。剡渓は浙江省の川で風光明媚。王徽之は大雪の日、剡渓に住む友人の戴逵に会いたくなり行くが、門前で

           「吾 興尽きて帰る。」と、そのまま引き返してしまったという古事。風流の典型として伝えられた。

    以上の四首は起承転結がはっきりしているが、内容は極めてくだけている。お堅い漢詩の世界が、町人文化に近づいている。これは徂徠の儒教に対する考え方を反映している。儒教は人の心を見つめるもの、本だけ読んでいてもダメと。

     

  4. 蘐州(けんしゅう)新歳」   七言律詩   蘐州  茅場町の事を中国風に呼んだもの。→茅場町での新年

    買屋養痾蘐葉州  (おく)を買い ()を養う (けん)葉州(ようしゅう)          家を買って 病をいやす茅場町

    優游卒歳欲忘憂  優游(ゆうゆう) 歳を()えて 憂いを忘れんと欲す   漸く落ち着いて歳を終えて 悩みも忘れたいものだ

    忽聞鐘鼓城楼動  (たちま)ち聞く (しょう)()の 城楼(じょうろう)を動かすを      ふと聞こえてくる 除夜の鐘の 江戸城を揺るがすのを

    便見雲霞滄海流  便(すなわ)ち見る 雲霞(うんか)の 滄海(そうかい)に流るるを      やがて見る 朝焼け雲が 江戸湾にたなびくのを

    高枕西山来雪色  枕を高くすれば 西山(せいざん) (せっ)(しょく)来たり      気持ちよく寝て 西の富士山の雪模様が目に入る

    啣盃短髪照春愁  盃を(ふく)めば 短髪 春愁(しゅんしゅう)を照す        お屠蘇を飲めば 薄くなった髪で感傷的になる

    千秋知是干誰事  千秋 ()んぬ (これ)誰が事に(かん)する        遠い先の事は 今は考えまい

    肯教東風催不休  (あえ)東風(とうふう)をして (うなが)して()まざら()めん    春を告げる風が ずっと吹き続けてくれるようにお願いしよう

    茅場町に買った家で初めて新年を迎えた時の感慨を述べたもの。ここ中国風に「(けん)(えん)」と呼び、門人が集う。

    律詩は二句ずつ一段落となる。

    (1~2句)  新しい家を得た喜ばしい気持ち

    ・痾 持病とか長患いの事 徂徠は病弱であった

    (3~4句)

    大晦日の除夜の鐘と初日の出を詠みこむ

    (5~6句)

    富士山とお屠蘇

    ・高枕  安心してよく眠る事

    (7~8句)

    新年にふさわしい結び

    ・知んぬ 疑問詞  ~かしら

    ・千秋 長い年月の事を云う  

     

  5. 春江花月夜」  五言古詩    春江花月の夜    隅田川を詠んだ長編の詩

    人道春江好  人は()う 春江(しゅんこう)好しと      人は褒め称える 春の隅田川を

    春江祝月明  春江 (いわ)んや月明(げつめい)なるおや  ましてや月夜は一際素晴らしい

    林花岸上発  (りん)() 岸上(がんじょう)(ひら)き        桜並木の花は岸辺に咲き誇り

    仙桂波中生  (せん)(けい) 波中(はちゅう)に生ず        仙桂(月に咲くというモクセイの花)が隅田川に映っている

    揺動花兼月  揺動(ようどう)す 花と月と         揺れ動く花と月

    影香清且軽  (えい)(こう) 清らかにして()つ軽し  その姿と香りは爽やかで清々しい

    初疑美人面  初め疑う 美人の(おもて)

    照見髻花横  (けい)()の横たわるを(しょう)(けん)するかと

    又訝嫦娥鏡  又 (いぶか)る 嫦娥(こうが)の鏡の

    冶容誰為情  ()(よう) 誰が為に情あると

    笑靨脣微啓  笑靨(しょうよう) (しん) (すこ)しく (ひら)

    百媚灔盈盈  (ひゃく)() (えん)にして (えい)(えい)

    ・春の隅田川の岸辺に花が咲いている。水面には月が映っている。そういう眺めから美しい女性とか、月の女神を登場させている。

     

    江月看将上   (こう)(つき) (みす)(みす)(まさ)に上らんとす   川面に出た月は今上ろうとしていて

    江潮漸巳平   (こう)(ちょう) (ようや)く (すで)に平らかなり  川の水かさは次第に増してくる

    江樹転璀璨   江樹(こうじゅ) (うた)た 璀璨(さいさん)         河辺の木々はいよいよ明るく

    繚乱雨瓊英   繚乱(りょうらん)として (けい)(えい)()らす    しきりに花びらを散らす

    昔聞月中桂   昔 聞く 月中の(けい)        かって聞いたことがある 月のモクセイの木の事を

    託根白玉京   根を白玉(はくぎょく)の京に託すと      天帝の都に根を張っていると

    渺渺飛仙蘂   渺渺(びょうびょう)として (せん)(ずい)飛び       その高い所から 仙界の花は舞い降りて

    落水寂無声   水に落ちて (せき)として声無し   水面に落ちて音も立てない

     

    依稀漢浦女   ()()たり (かん)()(じょ)        それはあたかも漢浦の娘たちが

    羅襪波上行   羅襪(らべつ) 波上(はじょう)を行く          薄絹の足袋のまま 波の上を歩くように

    解佩珠径寸   (はい)を解く (しゅ) (けい)(すん)         佩び玉を解けば 宝珠の大きい事

    光彩令人驚   光彩 人をして驚か()む     その美しい光は 私を驚かす

    月や桜の情景から私は思い浮かべる。漢浦の二人の娘が薄絹のままで波の上を歩く様子を。彼女たちは帯玉を外す、その帯玉は大きく

    そのつややかさは私を驚かす。

    ・漢浦女   漢浦は地名で山の名。ここを訪れた男が、2人の娘に出会い玉を贈られたという古事。

     

    今我非交甫  今 我 (こう)()(あら)

    惆悵岸鶏鳴  惆悵(ちゅうちょう)すれば(がん)(けい)鳴く

    江月忽不見  (こう)(げつ) (たちま)ち見えず

    江花無常栄  江(こうか) 常には栄えること無し

    唯有江潮水  (ただ)(こう)(ちょう)の水の

    依旧繞江城  (きゅう)()って(こう)(じょう)(めぐ)()るのみ

    徂徠はここで、ふと我に返る。私のその男の様に、モテる男ではないとがっかりする。がっかりしている内にいつの間にか、夜が明けて岸辺の鶏が鳴く。思えば岸辺の花がいつまでも咲き続けるわけではない。ただ隅田川の流れだけは、いつまでも変わらずに河辺の町を巡って流れている。

     

    ・最後は無常観を出して結んでいる。このやり方は初唐の詩によくあるやり方。

    ・この長編の詩は、中国古典の様々な故事・伝説を踏まえて隅田川の夜景を描いて想像を働かせている。

    ・徂徠は色々な詩を作っているが、ある時は市井の行事や風俗に向かい、ある時は自分自身の生活環境を色々と詠む。或いは様々な古典や伝承に根差した空想の世界に遊び、多面的多彩なもので、幅の広い人間像が偲ばれる。徂徠の活動が多様な人々から支持を受けたのは、こういう作品からも分かる。

     

    「コメント」

    ・今回も記録に大苦労。講師は全部を解説しないので、分からない所が多くて難儀した。

    ・漢詩は、中国の故事の知識がないと分からないことを痛感。知識人だけの世界だな。

  6. ・中身は分からなくとも、漢詩とはが、少し感じられれば十分と考えよう