科学と人間①植物の不思議なパワ- 甲南大学教授 田中修
150617⑫時代の文化・技術が紡ぎだす植物
何故何の役にも立たない植物を守らなければならないのかという疑問がある。これについていくつか考えてきたが其の一つは
「思いがけない植物が思いがけない役に立つ」という事を示すことが、説明力のある理由かと思う。
時代の文化と技術を背景にして役に立つという植物というのは紡ぎ出されるように出てくるものだという事を紹介してきた。今日もそれを続けていく。今日は植物が持っている有毒物質というのが薬としてまたは生活の中で利用されて我々を豊かにしてくれるという話をする。
「コルヒチン」 イヌサフラン 痛風の特効薬、種無しスイカ、
王様の病気の治療薬をというのが、イヌサフラン。この植物はヨーロッパ・北米原産ユリ科。各地で食中毒事件を起こし、死亡も多い。これは東北北海道で山菜として人気のあるギョウジャニンニク(行者にんにく)、生姜、ジャガイモと間違えられることによる。
何故このように間違えられるか、一つには形が似ている、イヌサフランは園芸植物なので身近にある為。
イヌサフランの有毒物質は、コルヒチン。これはイヌサフランの園芸植物名のコルチカムに由来する。これが王様の病気と言われた痛風の特効薬。昔は王様が掛かる病気だが、今は貧乏人でもかかる。要するに飲み過ぎ、食べ過ぎが原因。
又コルヒチンは高校の教科書にも出てくる。種無しスイカを作るときに使わる例が紹介されている。
「ピレトニン」 除虫菊・シロムシヨケギク・ノミトリギク 蚊取り線香の原料
・キク科 地中海原産 日本では和歌山県有田市が蚊取り線香発祥の地 今日本での生産は少ない。
・蚊取り線香の煙が殺虫成分と思われているがこれは誤解。火をつけると其の熱で成分のピレトニンが揮発して殺虫効果を出すのである。
近年、ピレトニンは合成されて栽培されることは少ない。除虫菊に含まれる有効成分類はピレスロイドといい、全て殺虫効果を持つが
哺乳類には無害の神経毒である。
「樟脳」 クスノキの幹・根・葉を蒸留して液とし、蒸留して生産 防虫剤、カンフル
・無色半透明の結晶で、特異な芳香を持つ。
・セルロイド、無煙火薬の原料・防虫剤、医薬品として使用される。
・クスノキは兵庫県・熊本県・鹿児島県の県木
・樟脳の英語名はカンファ-、クスノキの英語名はカンファ-ツリー。
・薬としてはカンフル。これは一昔前、心臓の機能強化剤として使われた。これが危機打開のカンフル剤などの言葉として使われる。
・現在はピネンを原料として合成されている。
「アスピリン」 薬の王様 アセチルサリチルサンの薬品名 アスピリンは独バイエル社の商品名
・関節炎、痛風、腎結石、尿路結石、片頭痛、さらに、小規模から中規模な手術後や、外傷、生理痛、歯痛、腰痛、筋肉痛、神経痛などの
鎮痛目的で使用される。
・楊枝というのがあるが、これは元々柳の枝で作られていた。柳の枝には鎮痛作用があり釈迦も噛んでいたといわれる。柳は
ラテン語でサリックス。その名前に因んで柳が含んでいる成分名がサイシン。これは効能が強すぎて副作用が出るので、
改良されてサリチルサンが作られた。これが更に改良されて、アセチルサリチルサンとなった。これがアスピリンで、
世界中で最も使われている薬である。
これらは、植物が持つ有毒物質が人間の役に立つという典型的な例である。
「植物は何故有害物質を持っているのか」
植物は全ての動物の食糧を賄っているから、食べられるというのは宿命である。少し位食べられてもいいが食べ尽くされると絶滅するので困るので、自分を守るために有害物質を持つ。食べてみると、えぐかったり、苦かったり、吐き気がしたりするのがそれである。
要するに食べられるという宿命に備えて有害物質を備えているのである。
「何故何の役にも立っていない植物を守らなければならないのか」
・以上、思いがけない植物が思いがけなく役に立っているという例を見てきた。
・時代の文化と技術が、沢山の植物の多様性の中から、必要な物質を紡ぎ出してきた。今後も様々な発見、改良がされるであろう。
故に植物の多様性は守らなければならないのである。
・近年科学の進歩は、遺伝子の構造を知り、遺伝子を操作することを可能にしている。しかし、遺伝子を操作できても遺伝子自体をつくりだすことは出来ない。
・今後遺伝子を利用できるというのは、植物が持っている遺伝子を移動させたり、組み替えたりするだけである。
・どんな遺伝子が有用なのかは、時代と共に変化していく。これからの時代の文化、技術が植物の多様性の中から必要な遺伝子を紡ぎ出してくるという事になる。その為には植物の多様性が不可欠。
「感想」
人類は古い時代から動物の習性をヒントにし、経験から学んで植物を利用してきた。近年はそれを改良しているだけなのだ。
それにしても現代人の我々と植物の距離は開くばかり。もっと生活に密着させ、知ることが必要と思う。
自然観察会も其のささやかなトライである