科学と人間「生物進化の謎と感染症」 講師 吉川 泰弘(千葉科学大学教授)
151016③ 生命の歴史と病原微生物
第一回は4千年以上も人類が付き合ってきたウィルス感染症の例として狂犬病のお話。第二回は爆発的流行により
世界史に影響を与えた細菌感染症であるペストを取り上げた。
「感染とは」
一般に感染症は病源性のある微生物が色々な経路で人や動物に接触する事から始まる。これを微生物による曝露という。宿主が病源体に曝露された結果、病原微生物は人や動物の身体に侵入し定着増殖することを感染という。しかし病源体に曝露したからと言って必ずしも感染するとは限らない。病源体による感染により組織・臓器の破壊や病源体の出す
毒素などによって宿主が病気になることを感染症に罹るという。
しかし感染したからと言って発症するとは限らない。感染しても発症しない場合は、不顕性感染という。この場合は症状が
出ない。それで本人も感染したという実感がない。しかし異物である病源体が体内で増殖するので、免疫反応が起きる。感染する前と後では抗体価が上昇するので感染したことが分かる。
「微生物とは」
しかし感染症の原因となる微生物とはなんだろう。
・140億年前 ビッグバンによる宇宙の誕生
・46億年前 太陽と地球の誕生
地球に衝突する微小惑星によって脱ガス化が起き、原始大気が形成された。これはN・H・CO2などである。
・45億年前 海の形成
地球の温度が下がり水蒸気が凝縮して海が形成された。温度200℃、数十気圧。
・40億年前 陸地の形成が始まる。
・40億年前 生命の誕生
地球上に最初に現れた生命体は真正細菌、これから古細菌は分岐したと思われる。真正細菌は現在の細菌類の
祖先である。この両細菌の共通祖先となる原始的生物は当時の地球の状況から考えると高温の環境を好んで生きる
ものであった。
・27億年前 光合成細胞の一種シアノバクテリアの大量発生
・21億年前 ミトコンドリア葉緑体に相当する真核生物が出現。これから10億年は単細胞の真核細胞が最も高等な
生物であった。
・10億年前 多細胞生物が出現
多細胞の真菌類やなど単純な構造の寄生虫が誕生する。
・5億年前 高等生物の誕生するのはカンブリア紀
「独立栄養体と従属栄養体」
この様に地球の生命種の大半は微生物の世界或いは微生物の歴史である。植物が光エネルギ-を利用し葉緑体による光合成で炭酸ガスと水から糖を合成する独立栄養体であるのに対し、動物はミトコンドリアで植物の作った糖と酸素を使ってエネルギ-を作る従属栄養体である。このように細菌の世界にも無機化合物や光からエネルギ-を吸収し有機物を合成する独立栄養系の細菌とエネルギ-源を他の生物が作った有機物に依存する従属栄養細菌がある。独立栄養体は生態系の食物連鎖において不可欠の存在である。食われる生き物は受けている環境からエネルギ-を取出し生育に必要な有機化合物の合成に利用することが出来る生物群である。有機物に依存しないで生きていく為、特に生物に寄生する必要がない。一方従属栄養体は他の生物やその生産物を食べていける為、多くは共生や寄生するのである。したがって独立栄養素群で病原性のあるものは多くない。言い換えれば病原細菌の殆どは他の生物の有機物を利用し分解し利用する従属栄養型細菌に属している。このように地球の生命種の大半は微生物の歴史である。
「微生物とは何か」 微生物が病気の原因
医学用語であって生物学的な言葉ではない。一般的には肉眼でその構造が判別できないような微妙な生物群を指す。
大型多細胞生物を除くほとんどのものがここに入る。これの研究には顕微鏡が不可欠であった。顕微鏡下であちこち動くものが、後に桿菌や螺旋菌とかこういうものである事が判明してきた。微生物が病気の原因となり感染症を引き起こす事を科学的に確認したのは19世紀後半のパスツ-ルとコッホの業績である。この2人の貢献で微生物学の基礎が築かれた。
(パスツ-ル)
パスツ-ルは有名な白鳥の首のフラスコ、これを用いて微生物の自然発生説を科学的に否定した。空気中の微生物の混入を防げば一度煮沸殺菌したフラスコ内の溶液には自然には微生物が発生しない事を実験で確かめた。更に細菌
感染症である炭疽や家禽コレラの弱毒性ワクチン、ウィルス病である狂犬病のワクチンを開発した。
(コッホ)
ゼラチンを用いた固定培液に一種類の微生物だけを純粋に分離培養する純粋培養法を確立し、炭疽菌・腸チフス菌・
結核菌・コレラ菌などを分離した。又有名な病原菌に関するコッホの四原則を確立し病原微生物が感染症の原因である事を明らかにした。
●一定の病気には一定の微生物が見つかる
●その微生物は分離し純粋培養が出来る
●分離した微生物を感染動物に接種すると病気を引き起こす
●病気の病巣からは同じ微生物が分離できる
「ウィルスの発見」
1884年バスツ-ル研究所のカルル・シャンベランが素焼きの細菌濾過器を開発。これにより細菌よりも微小なウィルスが病原菌として確認されるようになった。まず煙草モザイクウィルスを、口蹄疫ウィルス。こうして感染症の原因である
病原微生物として目に見えない細菌とウィルスが明らかになった。
ウィルスとは何だろう。また正確には分かっていない。恐らく30億年前に出現したと推定されている。
「ウィルスとは何だろう」
(従属栄養系)
今知られている175万種の生物種がそれぞれ年20種のウィルスに感染するとしても3500万種となる。人類が遭遇し、
知っているウィルスは自然界に存在するウィルスのほんの一部でしかない。ウィルスの特徴は自分自身でエネルギ-代謝系を持たないので、細胞の代謝系を借りる必要があること。したがって生きた細胞が無いと増殖できない。これはウィルスが自己複製に必要な最小限の要素以外は自己複製の効率化の為に捨ててしまったためである。必要な要素は宿主の細胞から借りて増殖する。
(複製機構)
ウィルスのもう一つの特徴は複製機構の独特さである。細菌から我々の細胞に到るすべての生物の細胞は2分裂という方法で増殖する。これに対してウィルスでは複製酵素で印刷機の様にゲノムだけがコピ-される。細胞分桀が家内
手工業による生産ならば、ウィルスの増殖は機械部品の大量生産とベルトコンベヤ-を用いた最新工場型の方式である。如何にウィルスの増殖のスピ-ドが早いかは一目瞭然である。
「感染症とは何だろう」
一般に病源体の曝露で病原菌が体内に侵入し増殖する状態が感染で、感染で宿主に傷害が起こった状態が感染症と
定義されている。しかし感染症の原因となる病源体即ち細菌・ウィルス・真菌・原虫など、これらは地球上に初期に出現した生命体で、宿主と呼んでいる家畜や人は最後に現れたグル-プである。私達はこの両者の相互作用を感染と呼んで
いる。この講義で述べたように生命の誕生から最初の20億年は原核生物即ち真正細菌と古細菌の世界であった。この時期は細菌同士の食物連鎖様な相互作用があった。多くの高等生物が登場するのはカンブリア紀以降、人類が
チンパンジ-と分岐するのは700万年前。
野生生物が家畜化されたのは1万年前、現在我々が感染症としているのはそうした長い地球の生命種の中で、最後に
出現した宿主群と病原体即ち最初の生命体群との相互作用と言うべきである。
「コメント」
病原菌と言うととても悪さをするものと言うイメ-ジであるが、生物の中で自分だけでは生きられず宿主を必要とする
ものなのである、という事が分かった。そして想像を絶する数の病原体がこの地球上にはいる。ということは今後初めて体験する病気が続々と発生してくるという事?既存の病気には対処も出来るが未知の感染にはお手上げとなるのか。
少しこの世界を垣間見た気分。