カルチャ-ラジオ日曜版「最後の隣人・ネアンデルタ-ル人を求めて」  講師 赤澤 威(高知工科大学大学名誉教授)

151115③西アジアで一石を投じた日本隊の活躍

前回はネアンデルタ-ル人ほど様々な肖像画でもって語られた旧石器時代人はいないという話をした。

その理由は

・ネアンデルタ-ル人その人骨は化石人骨の中でとりわけ早くに発見された。その後も相次いで発見されるという事もあって、

ネアンデルタ-ル人の存在感が大きくなった。

・ネアンデルタ-ル人は現生人類にとって最も近い親戚である。そして最後の隣人だったという事が分かったから。

研究者に留まらず一般社会の中でも彼らとの関係を抜きにして自分達、我々の存在は語れないという事が分かってきて、このネアンデルタ-ル人の存在感は益々大きくなった。親戚だったという意味は、人類進化の系統図がある。旧人ネアンデルタ-ル人と我々新人は共通の祖先、ホモ・ハイデルベルゲンシスを頂く兄弟の間柄なのである。そして旧人ネアンデルタ-ル人は消えていくので、彼らは

最後の隣人だったという事。そして最も近い最後の隣人の顔かたち、姿かたち、生前の実像を知りたい、比較してみたいという研究が盛んになり様々な肖像画が作られてきた。

「人の進化の歩み」

今日はネアンデルタ-ル人が誕生するまでの壮大な人類の歴史、人の進化の歩みを話す。人の進化の歩みは決して一本道では

ない。枝分かれを繰り返している。枝分かれは交代劇と言ってもいい。進化と言うのは消えていくものと次の時代を切り開いて行くものとの交代のドラマである。人類の進化の話になるとついつい化石とか石器が中心になる。人類の進化の歩みを具体的証拠で語ると

したら、その方法が王道であることは間違いない。今日は視点を変えて人類世界の拡大の歩みという視点で進化を話す。さて700万年の歴史という人類史には他の生き物と違った特徴がある。それは地球を舞台に動きながら進化してきたという独特な歩みである。

動きながら進化してきたという人類独特な歩みに着目したのが京都大学名誉教授片山一道。人類をホモ・モビリタスと呼んだ。

→動く人の意味。

●ホモ・モビリタス

人間にはリンネが名付けたホモ・サピエンスと言う名がある。その意味は智慧のある人ということ。この二つを比べるとホモ・サピエンスは現生人類とそれ以前の初期人類たちを差別している感がある。ホモ・モビリタスは700万年の近代化の歩みをト-タルに言い表している。

中央アフリカの一角で誕生した人類、その後の進化の歩みは地球を舞台に動きながら世界を切り開きながら進化してきた。

●進化のターニングポイント

地球を舞台とするホモ・モビリタスの進化の歩みを振り返ると、その歩みを劇的に変化させたターニングポイントが三度

ある。

「一度目のタ-ニングポイント」

700万年前にスタ-トして森で生まれた初期猿人が400万年前に草原サバンナに移り住んだ時

 何故ターニングポイントか→草原サバンナに移住した初期猿人は、人を最も直截的に特徴づける直立二足歩行、

 それに向けて本格的に歩きだしたのである。これが人類の進化のスタ-トである。しかし移り住んだサバンナは試練の

 幕開けであった。ここで森時代に経験したことのない激しい生存競争に直面した。

この直立二足歩行という歩行様式は、食物を確保するとか、外敵から身を護るという意味では、サバンナで競合すること

なった四足歩行者達よりも不利であった。試練を乗り越えた人類(ここでは猿人)にとって二度目のタ-ニングポイント

やってくる。

「二度目のタ-ニングポイント」

サバンナで猿人から進化した原人が演じた出アフリカである

専らアフリカを舞台にしてきた人類(原人)がまさにホモ・モビリタス(動く人)の本領を発揮してユ-ラシア大陸へ動き、

それが契機となって人類世界は地球全体に拡大する道筋が付いた。

「三度目のタ-ニングポイント」

これを演じるのは我々の祖先である新人ホモ・サピエンスで、彼らの出アフリカである。

此れでもってこれまでの700万年という長い人類史の最終場面となる。

「人類世界の幕開け」

サエラントロプス・チャデンシス サバンナに出て二足歩行への進化

人類世界の幕開けを演じたのはアフリカ中部チャドのサエラントロプス・チャデンシス。2001年に発見された700万年

前の初期猿人の化石である。この初期の猿人が森から草原サバンナに動いたのが人類史上最初のタ-ニングポイント

であった。

人類700万年の歴史の70%の500万年の間、猿人たちはアフリカで進化を繰り返していた。そこで彼らがチャレンジ

していたのは、まさに立ち上がって二足歩行をするホモ・モビリタスとして自立する道であった。

  ・初期猿人の特徴はチンパンジ-やゴリラのようなナックル歩行ではなく立ち上がっての二足歩行である。ここで環境

   に適応するための身体の改造が本格化する。これは直立二足歩行に適した体に。

●アウストラロピテクス  400万年前 -200万年前に生存していた、いわゆる華奢型の猿人である。

 彼らは広大なサバンナで食料を獲得するためにはひたすら歩くしかなかった。初期猿人はハンタ-ではないので植物が

 主たる食料であった。又家族の為に食物を持ちかえらねばならないので、これには直立二足歩行しか考えられない。  

  ・このように適応するための身体の改造が進化の歴史である。

  ・生存のための三つの基本戦略

   「子孫の繁栄」「食物の確保」「外敵から身を護る」

  ・この戦略の為に二足歩行と四足歩行とでどちらが優位であるか。間違いなく四足歩行である。人類は二足歩行する

   ことによって身体能力を失うことになる。「敏速性」「スピ-ド」「腕力」「顎の力」・・・このことはサバンナにおいては

   弱者となる。

人類は肉食獣にとっては格好の獲物であった。

 

では人類が何故サバンナに出たのかという大きな疑問がある。

これについての仮説がある。「大地溝帯での造山運動」

 「400万年前アフリカ東海岸の大地溝帯一帯で大きな造山運動が起きる。大西洋から水蒸気を含んだ偏西風が出来た

  山脈に遮られて東側が乾燥化し、森林が縮小した。」

他の動物は他の森林に移動したが、猿人はそうしないでサバンナに出る。

何故苦難の多いそうした選択をしたのか。チンパンジ-やゴリラとの生存競争に敗れたのか、環境が合わないので逃げ

出したのか。いずれにしても乾燥して広大な草原サバンナに適応して生きる道を選んだのである。しかしここでは激しい

生存競争があり、試練のスタ-トであった。

●アウストラロピテクス・ガルヒ  アウストラロピテクスの最後の猿人 石器を作った最初の人類

サバンナに出た人類は四足獣に較べて戦闘能力が弱いので、生き残るには何かの能力が無ければならなかった。それは知能であり、それを使った道具であった。石ころに手を加えて最初に石器を作ったのがアウストラロピテクス・ガルヒ。

●ホモ・ハビリス

次にアウストラロピテクスから進化し進化した石器を作ったのがホモ・ハビリス。230万年前から140万年前まで存在していたヒト属の一種。 "handy man"(器用な人)の意1964タンザニアオルドヴァイ渓谷でルイス・リーキーによって

発見された。現在分かっている限り最も初期のヒト属である。

  ・ここまでで初期猿人が登場してから400万年、草原に出てから100万年。どうやってこの間を生き抜いてきたのか

  :解明されていない。

 

その後石器文化は時代と共に進化していく。オルドバイ石器から100万年でネアンデルタ-ル人の石器が誕生し

クロマニオン人の文化に繋がっていく。

 

「石器使用のメリット」

道具の使用によって最も改善されたのが食物の部分である。利用できる種類内容が増加して充実した食物環境に

なっていく。

 

「二足歩行となった理由」

  ・二足歩行のメリット

「目線が高くなって外敵を素早く発見できる」

「エネルギ-効率がいい」

「物の運搬が出来る」

しかし決定的なのは子供の養育と子供の運搬であった。

このことに関しては長い研究の歴史があるが、子供の養育を論じる人はいない。講師はこの論点を研究していきたいとのこと。

 

「コメント」

今回の講義でやはり理解できなかったこと。納得できなかったこと。

・人類がサバンナに出た理由。

・直立二足歩行を選択したこと。

しかしこれ故に人類の進化があって我々がいるのだけれど。