カルチャ-ラジオ日曜版「レイチェル・カ-ソンに学ぶ」     講師 多田 満(国立環境研究所 主任研究員)

160110① 「沈黙の春」-環境問題の古典 

「はじめに」

1999年に発行されたアメリカの雑誌「TIME」に20世紀で最も影響力があった100人の偉大な知性の科学者と思想家のうち、女性ただ一人レイチェル・カ-ソンが選ばれている。レイチェル・カ-ソン以外にはライト兄弟、アインシュタイン、天文学者のハッブル、精神分析学者で精神科医のフロイト、DNAの二重らせんモデルを提唱したワトソンとクリック等が含まれている。

レイチェル・カ-ソンは29歳の時に米内務省の漁業局の生物専門官に採用された。1964年56才で死去。

レイチェル・カ-ソンは51才の時に環境問題の古典ともいわれる「沈黙の春」の執筆に取り掛かり1962年55才で出版した。

「沈黙の春」はDDTなどの農薬が止めどもなく使用された時、自然の生態系やそこに生きる生きものがどうなるか、更に

人間に対する影響はないのかと問いかけたのである。「沈黙の春」の内容は(恐るべき力)(環境リスク)(地球倫理)(別の道)の大きく四つのキ-ワ-ドで理解することが出来る。

第一回では化学物質や放射能の恐るべき力と環境リスク即ち化学物質による自然の生態系のリスクである生体リスクと人との健康リスクについて見て行く。その残りの地球倫理と別の道は第四回で見て行く。第二階ではレイチェル・カ-ソンの海の三部作の一つである「海辺に見る生物多様性について」、そして第三回では「Sence Of Wander」の感性に生きるをテ-マに、生命への畏敬と等身大の生き方についてそれぞれ見て行く。

「沈黙の春」の冒頭、明日の為の寓話は「アメリカの奥深く分け入った所に、ある町があった。命あるものは皆、自然と一つだった」で始まる。「そしてその風景が一転する。自然は沈黙して薄気味悪く、鳥たちはどこへ行ってしまったのか、不思議に思い不吉な予感に脅えた。裏庭の鳥箱は空っぽだった。ああ鳥がいたと思っても死に掛けていた。ブルブル体を

震わせ飛ぶことも出来なかった。春は来たが沈黙の春だった。」更にレイチェル・カ-ソンは続けて「恐ろしいようなものが頭上を通り過ぎて行ったのを気付いた人は誰もほとんどいない。だからこの災いがいつ現実となって私達に襲い掛かるか、この恐ろしい妖怪がまさしく恐るべき力なのである。」

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中で「20世紀という僅かな間に人間という一族が恐るべき力を手に入れて自然を

変えようとしている。」と述べている。

 

「化学物質」

原子核の脅威である放射能或いは放射性物質に勝るとも劣らぬ災いをもたらすものとして、農薬などの化学物質を恐るべき力にあげて、人体への危険性や環境や生態系に与える悪影響を指摘している。化学物質は元々自然界には存在せず人類が19世紀以降に新しく作りだしたものである。それらは人為的に化学反応を起こさせて、製造即ち人工的に合成した物質である。このような化学物質の総数は「沈黙の春」が出版された当時(1962年)は3万、1990年には1000万、現在は1億を超えている。特に近年の新規化学物質の増加スピ-ドは加速的である。毎年1千万種以上が米科学界に

登録されている。「今や生を受けた初めから化学物質という荷物を背負って出発し、年ごとに増えるその重荷を一生

背負って歩くことになる。」とレイチェル・カ-ソンが「沈黙の春」で予見したことが現実になっている。それらの化学物質は第二次大戦後に化学工業の急速な進歩により生み出されてきた。

 

「農薬」

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中で有機塩素系殺虫剤のDDTや有機リン系殺虫剤のパラチオンを取り上げている。

その内DDTは1870年に人工的に合成されたもので、それに殺虫効果があると分かったのは1939年の事である。レイチェル・カ-ソンはこう述べている。「それは第二次大戦の落し子だった。化学戦の研究を進めているうちに殺虫力のある化学薬品が次々と見つかってきた。でも偶然分かったわけではなかった。元々人間を殺そうと色々な昆虫が広く実験台に使われた為であった。殺虫剤と人は言うが、殺生剤といった方がふさわしい。」と。つまり農薬は元々軍事の副産物で

あったのだ。

1950年以降この様に化学合成された農薬の使用は量的質的にも大きく拡大した。そして農業生産の向上と安定のために農薬は必要不可欠の存在となった。その為の良い農薬とはすぐに効くこと、そして持続性があること。まず即効性が

あるためには、その毒性が強くなければならない。それは例えばパラチオンである。そして持続性があるためには作物や土壌に長く滞留する事。光分解や生分解などで分解されにくい事が求められる。それは例えばDDTである。近代農業では生産性の向上と安定のために、この様な即効性や持続性のある人工的に合成された農薬、即ち化学農薬が大きな役割を果たしてきた。DDTは殺虫力が強く安価な事からかっては世界中で広く使用されてきた。所がDDTを始めとする農薬による自然生態系へのリスクが「沈黙の春」で取り上げられ、歴史的社会的或いは生態学的にも注目された。つまり化学

農薬の過度な使用により、生態系をかく乱し又残留農薬による食品安全性全体への危惧が人々の関心を呼び起こした。

そこでDDTは法律により1971年使用禁止となる。

 

「化学物質の蓄積性」 食物連鎖

「沈黙の春」の「地表の水、地底の海」の章には、一つの生命から一つの生命へと、水中の無機物は食物連鎖で渡り動く。

水中に毒が入ればその毒も同じように自然の連鎖で移り動いて行く。このような植物から動物への連鎖つまり食物連鎖で毒は濃縮すると指摘する。レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中でカリフォルニア州のクリヤ湖の例を挙げている。

そこにフサカという昆虫が大量発生して人々を悩ましていた。そこでそれを駆除するためにDDTに似た有機塩素系殺虫剤を(0.02ppm)水中散布した。

フサカは発生しなくなったが、カイツブリが死に始めた。カイツブリを分析すると高濃度の殺虫剤の蓄積が分かった。これは殺虫剤を取り込んだ植物プランクトンから5ppm、魚では40300ppm、肉食魚のナマズから2500ppm。実に12.5万倍となっていた。レイチェル・カ-ソンは食物連鎖の終点は人間であると予見した。

 

「水俣病」

水俣病は公害の原点といわれる。工場で排出されたメチル水銀が水俣湾、不知火海を汚染し、食物連鎖を通じて起こった中毒は、人類が初めて経験したからである。即ちレイチェル・カ-ソンが予見したことが現実のものになったのである。

 

「放射能」 

「沈黙の春」には農薬以外にも、放射能或いは放射性物質についての記述が出てくる。それは広島の被爆者に関する事、ビキニの水爆実験で被災した久保山さんの事である。即ち広島の被爆で生き残った人達は放射線を浴びてから3年後に白血病を発症した。殺虫剤のBHCの粉末で命を奪われたスウェ-デンの農夫の例を挙げて、マグロ漁船の久保山さんの運命をまざまざと思い出させると書いている。レイチェル・カ-ソンは「核実験で空中に舞い上がったストロンチュウム90はやがて降下し土壌に入り、植物に付着し、その内に人体に入り込み、その人間が死ぬまでついて回る。化学物質もそれに勝るとも劣らぬ災いをもたらすもの、つまり放射能によって生物や生態系に影響が出ることは言うまでもないが、

農薬もそれ以上に影響を及ぼすものだ。」と警告している。

 

「遺伝子の突然変異」

その当時放射能の突然変異作用による人間とりわけ生命の核である遺伝子への影響については多くの人が知ることとなった。それに対し農薬を構成する化学物質の影響については余り知られていなかった。そこでこのような状況を踏まえて、化学物質は放射能以上の災いをもたらし、生命の核そのものを変え、遺伝子に突然変異を起こす農薬の危険性を説いたのである。

「沈黙の春」のテーマは化学物質の問題であるが、1960年初頭という時点で放射能と同時に化学物質の問題を現代の深刻な問題として捉え、こういう事こそ人類全体の深刻に考えるべきとレイチェル・カ-ソンは強調した。

 

「シュバイツァ-

「沈黙の春」の中にシュバイツァ―のいう「人間自身が作りだした悪魔がいつか手におえない別のものに姿を変えてしまった」と引用している。この言葉は1957年ノルウェ-のオスロから発せられた彼の核兵器禁止Appearlに基づくものである。放射能と化学物質の生命に及ぼす悪影響の共通性を認め、放射能の有害性にいち早く警鐘を鳴らしたシュバイツァ―にレイチェル・カ-ソンは深い敬意を表している

 

「発がん物質」

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中で警告する。「20世紀になると無数の化学的発がん物質が生まれ、毒に取り囲まれて生活することになった。私達みんなが発がん物質の海のただ中に浮かんでいる。」

しかしながらすべての化学物質に発がん性が確認されている訳ではない。化学物質による発がん即ち化学発がんは主にDNAの障害によるものと考えられている。この考えは多くの発がん物質が理論的には分子1個レベルつまり超微量でも細胞内のDNAに損傷を与え化学発がんや遺伝子変異、染色体異常などの原因となる可能性を持つことに基づいている。

化学発がんは少なくとも次の3つの段階を経て進行し、がん化することが知られている。

Initiation(発がん開始)

Promotion(発がん促進)

Progression(発がん完成)

この段階のそれぞれに発がん物質が関与している。正常な細胞ががん化する原因の多くは、細胞増殖の制御に関与する遺伝子の突然変異が起こり、細胞増殖の調節機能に異常をきたすことである。

この様な突然変異を起こす性質を持った化学物質は総称して発がん物質と呼ばれる。これまでの国際がん研究機関によって化学物質や放射能の他、900種以上の因子について、その発がん性が確認されている。人に対する発がん性の指定基準を4つのグル-プに分けている。

(1)人に対する発がん性が確かめられているもの

  アスベスト、PCB、ダイオキシン、地下水に含まれるヒ素、ディ-ゼル排気・タバコの煙に含まれるベンゾピレン、

  重金属のガトミウムなどが含まれる。 

(2A)人に対する発がん性がある程度たしかめられているもの 動物実験で発がん性が十分確認されているもの

   ドライクリ-ニングや金属の洗浄剤に使われる四塩化エチレン(テトラクロロエチレン)、ホルムアルデヒド、紫外線

(2B)人に対する発がん性がある程度確認されているかまたは動物実験で発がん性が十分に確認されているもの

  DDT、麻酔薬のクロロフォルム、エチル水銀、鉛、家電製品に関係する電磁波

(3)人に対する発がん性の疑いがあるもの

  これには自動車などから排出されるSo2が含まれる。

 

「がんによる死亡」

この様な有害化学物質によって「人間は4人に1人はいずれガンになる。20世紀になると無数の発がん物質が現れ、

毒に囲まれて生活しなければならなくなった。」とレイチェル・カ-ソンは警告している。

21世紀になってアメリカでは死因の23%、現在の日本ではガンは国民病といわれ3人に1人がガンで亡くなっている。

レイチェル・カ-ソンはこの状況を伝染病の病原菌との関係で説明している。「パイツ-ルやコッホは病原となる病原菌より病気が蔓延することを解明した。その結果として多くの伝染病は人間の知恵、即ち予防で制圧することに成功した。

 

「化学物質による内分泌かく乱」

レイチェル・カ-ソンはアメリカの象徴であるハクトウワシやコマツグミ(ロビン)の生殖能力や発育へのDDTによる影響について警告している。「この10年間にワシの個体数は大幅に減少した。環境に原因があって生殖能力を大きく破壊しているのではないか、又コマツグミは生殖能力が破壊されている。産卵しないのである。」この様にDDTのホルモンかく乱作用に気づいていたのである。ホルモンかく乱作用とは、化学物質が生体内で内分泌系の働きに悪影響を及ぼす作用のことである。内分泌系は成長や性の発達、睡眠などの様々な生命活動を調節している。この内分泌のかく乱を示す物質は

一般にホルモンの産生や分泌、移送、代謝、排せつ、ホルモン受容体の結合や作用などを阻害して、それを通じて身体に健康障害をもたらす外来性の化学物質と定義されている。そうした化学物質は環境ホルモンと呼ばれている。その多くはDDTを始めとする農薬である。 

ビスフェノ-ルA(樹脂の原料)、フタル酸エステル(プラスチック製造原料)、ノニルフェノ-ル(界面活性剤原料)PCB、有機スズ化合物(船底塗料)、ダイオキシン類、重金属の鉛・カドミウム、水銀が含まれる。

これら工業的に生産される化学物質は1970年代の半ばには、世界で6万種、現在では10万種である。今や地球上のあらゆるところにその汚染が広がっている。「人間は自然界の動物とは違うといくら言い張っても、所詮人間も自然の一部なのである。このような状況で人間だけ安全地帯に逃げ込めるだろうか。化学物質は互いに作用しあい、姿を変えて毒性を増している。」

化学物質は相互作用により、毒性が強くなるという相互作用を予測している。

 

「複合汚染 有吉佐和子」

1975年「複合汚染」でこのような化学物質の相互作用による複合汚染の事をリアルに描いた。その頃食品の化学物質汚染が問題になっていた日本社会に大きな影響を与えた。有吉佐和子は「このような大問題に最初に警告を発したのはアメリカの海洋生物学者レイチェル・カ-ソンであり、その書「沈黙の春」がNewyorkerに発表されたのは1962年であった。」と紹介している。多くの日本人がこの書によって生態系や化学物質の終着点である身体が、この様な化学物質によって汚染されているのを知ることとなった。

 

「胎児性水俣病」

化学物質は成人や子供の食物から取り込まれるだけでなく、母乳から乳児へ移行するものもある。母体の臍帯つまり

へその緒からDDTPCB、ビスフェノ-ルA、鉛など多くの環境ホルモンが検出され、これらの化学物質が胎盤を経由して胎児に移行しているのである。「人類の歴史が始まって以来、今まで誰も経験しなかった宿命を私たちは負わされている。いまや人間という人間は母の胎内に宿った時から死ぬまで恐ろしい化学物質の呪縛から逃れられない」

この事は胎児性水俣病によって現実のものとなった。水俣病は後天的なメチル水銀の中毒による発病だけではなく、母の胎内の胎児に胎盤を通じて先天的な水銀中毒、即ち胎児性水俣病が明らかになった。この事はレイチェル・カ-ソンの「沈黙の春」が出版された1952年に公式に確認されたのである。

哺乳類の胎盤は有毒な物質から胎児を守ってくれると信じられていたことを覆して、その後の毒性学の考え方を大きく変えさせたのである。

 

「激しい雨 ボブ・ディラン」

1950年代のアメリカにおいて人間は科学技術の力で自然を征服できると信じられていた。所が1960年代に入って

やっとそれは人間の驕りであると認識されはじめ、環境保護の必要性が一部の人の間でささやかれるようになった。既に経済至上主義の陰で自然破壊や環境汚染が進行していたのである。この現実に文学の世界で警告を発したのが、レイチェル・カ-ソンの「沈黙の春」である。そして彼女が取り上げたテ-マを歌で世界に訴えたのが、ミュ-ジシャンのボブ・ディランの「激しい雨(Hard Rain)」であった。それは1976年Rolling Thunder Reviewと銘打たれた、ディランにとっても重要なコンサ-トツァ-でも重要な意味を持つ一曲であった。又1994年奈良東大寺で行われたユネスコ主催の音楽祭でも披露された。

「最も深い黒い森の奥まで歩いて行こう

 そこには毒の水があふれている

 僕はそのことを知らせ話して呼吸するだろう

 そしてそれを山から反射させすべての魂に見えるようにしたい

 激しい雨が降りそうだ 

この歌詞は核の脅威と環境汚染によって先行きが不透明な未来を黒い雨に暗示している。そして放射能や酸性雨によって汚染された毒の水が、そこには溢れていると歌うのである。更にその現実を山から反射させすべての魂に見えるようにしたいとの決意を歌い込んでいる。21世紀に入ってからの環境への意識の高まり、福島原発事故後に見えてきた脱原発の気運の中で、「激しい雨」はそれが作られた1960年代にもまして重要性を帯びてきたと言える。

 

「コメント」

「複合汚染」は1974年週刊誌連載で、時々読む程度でレイチェル・カ-ソンの「沈黙の春」はある時まで名前も知らなかった。

知ったきっかけは、自然観察指導員研修会。自然保護の見地からの講義でバイブルとしての紹介があった。今となれば汗顔の至り。今回は4回シリ-ズ、まずはしっかり聴こう。