カルチャ-ラジオ日曜版「レイチェル・カ-ソンに学ぶ」     講師 多田 満(国立環境研究所 主任研究員)

160124③ 「センス・オブ・ワンダ-」の感性に生きる

「はじめに」

生涯の遺作となった「Sence Of Wander」から見ていく。直訳すると「驚きの感覚」だが、「自然の生命の神秘や不思議さに目を見張る感性」と訳しておく。そもそも感性とは、目・鼻などの感覚を通じて外界に反応する、人にとっては肉体的にも精神的にも、その生存や生命の本質に係わる能力である。今回は初めにレイチェル・カ-ソンの「Sence Of Wander」に込めたメッセ-ジについて見て行く。次にカ-ソンがシュバイツァ―から受け継いだ生命に対する限りない畏怖と敬意である生命への畏敬について見て行く。又「Sence Of Wander」はカーソンの環境の生命の質を形成する根底にあるものである。そこで最後にその環境と生命の思想について見て行く。

 

「「Sence Of Wander」出版の経緯」

Sence Of Wander」や生命への畏敬の念を始め、6つのキ-ワ-ドに見て行くことで、等身大の生き方について考える。それではまず、カーソンのいう「Sence Of Wander」について見て行く。

この「Sence Of Wander」には、カーソンのどんなメッセ-ジが込められているのだろうか。カ-ソンはメイン州の海に臨む森の中に別荘を持っていた。岬を下ると岩礁海岸であった。毎年夏になると、姪の息子のロジャ-がやってくる。カ-ソンはそんな幼いロジャ-と海や森を探検し、星空や夜の海を眺めた体験を元に「あなたの子供に驚きへの目を向けさせよう」という題でエッセイを書いた。その自然体験は彼女が少女時代に母親と過ごした故郷での体験に繋がっている。カ-ソンは「沈黙の春」を書き終えた時、自分に残された時間がそれ程長くないことを知り、最後の仕事としてそのエッセイに手を加え始めた。その時彼女は乳がんを患っていた。しかしそれを新しい作品に完成させることが出来ず亡くなった。翌年に友人たちによって一冊の本として出版された。それが「Sence Of Wander」なのである。

 

「「Sence Of Wander」の内容」

子供たちは自然や生命に対する直観力を持っている

その本の中でカ-ソンはこの様に書いている。「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく驚きと感激に満ち溢れている。それなのに大人になる前に、澄み切った洞察力や美しいもの、畏敬すべきものへの直観力を鈍らせ、ある時は全く失ってしまう。その直観力は「Sence Of Wander」即ち自然や生命の神秘さや不思議さに目を見張る感性である。この感性は大人になると私達が自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることに対する変わらぬ解毒剤なのである。」

今の日本でもこの「Sence Of Wander」は子供たちだけでなく大人たちにも必要な解毒剤である。「Sence Of Wander」の冒頭で、ある秋の夜ロジャ-を毛布にくるんで雨の降る暗闇の中で海岸に降りて行く。

その時の体験を次のように書いている。「幼いロジャ-にとってはそれがギリシァ神話の太陽の神つまり海の神オケアノスの感情の(ほとばし)りに触れる最初の機会であったが、私はといえば、生涯の大半を愛する海と共に過ごしてきたにも拘わらず、広漠とした海が唸り声をあげている荒々しい夜に、背中がゾクゾクとするような興奮を味わったのである。」その場所、その瞬間が何か書き表すことの出来ない自然の大きな力即ち広大無辺の力 Cosmic Powerに支配されていることを、カ-ソン自身の「Sence Of Wander」の感性で感じとったのである。

 

●大都会に育った人は自然の美しさを知らない

一方オ-ストリアの動物行動学者のロ-レンツはその著(人間性の解体)の中で、「大都会の密集地帯に育った人たちは有機的創造物の美と調和を知る機会を殆ど持たない。」と述べている。科学文明は人間の生活を快適にしてくれると同時に、人間と自然の間に割り込んできて、その両者が直接に接触する機会を少なくするのである。「Sence Of Wander」にはまさしく有機的創造物である自然や生命の美と調和に触れる大切さが語られている。

 

●カ-ソンの自然描写

幼いロジャ-をと連れ立って歩いた森は、雨が降るととりわけ生き生きとして鮮やかに美しくなる。即ち針葉樹の葉は銀色の鞘をまとい、シダ類は熱帯ジャングルのように青々と茂る。地衣類やコケ類は水を含んで生き返り鮮やかな水色や銀色を取戻す。その地衣類は石の上に銀色の輪を描いたり、骨や角や貝殻の様な奇妙な小さな模様を作る。それはまるで妖精の国の舞台のように見える。つまり自然の一番繊細な手仕事は、小さいものの中に見られる。それを見ていると、人間サイズの尺度の中から解き放たれていく。例えば、一掴みの浜辺の砂がバラ色に煌く宝石や水晶や耀くビーズのように見えること、森のコケを除けば熱帯の深いジャングルの様で、苔の中を這いまわる虫たちは、うっそうと茂る奇妙な形をした大木がうろつく虎のように見えること。つまり色々な木の芽や花の蕾、咲き誇る花など、小さな生き物を虫眼鏡で拡大すると思いがけない美しさや複雑な作りを発見することが出来る。

又カ-ソンはイギリスの博物学者ジェフリ-スの「わが心の記」を読んでいる時、その中の地球のこよなき美しさは命の輝きの中にあり、我々はその美しさに心を奪われている時にのみ真に生きているんだ。その他は幻想に過ぎない」について、こう述べている。「この数行の文章はある意味において私が生きてきた信念の生命である。」

 

●カーソンの自然に対する信念

以上のようなカ-ソンの信念を支えたのはシュバイツァから引き継いだ生命への限りない畏怖と敬意である。生命への畏敬と、カ-ソン自身の「Sence Of Wander」の感性であったと言える。鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾に中にはそれ自体の美しさと同時に象徴的な美と神秘が隠されているのである。それはどうなっているのか、それはどんな意味があるのか、何の役に立つのか、いかにあるべきかの問いを起こさせないし無効にする。人間がこの感情を持っていることは、地球の自然を根本的に破壊する事への、大きな歯止めになっている。人間は倫理ではなく感性で気付いて花が美しいから大事にしようというより、生命に対する価値を見出しているのである。

 

●石牟礼道子 「苦界浄土」

「苦海浄土 わが水俣病」で知られる作家・詩人・歌人石牟礼道子は東日本大震災後「花を奉る」という詩を書いた。その最後の一行をこう結ぶ。「地上に咲く一輪の花の力を念じて合掌」と。

同じようにカ-ソンはこう述べている」

「夜の次に朝が来て、冬が去れば春になるという自然が繰り返すリフレインの中には、限りなく私達を癒してくれる何かがある。このような生命や自然に触れるという終わりのない喜びは決して科学者だけのものではない。その大地や海、空とそこに住む、驚きの生命の輝きの下に身を置く全ての人達のものなのである。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり孤独にさいなまれることは決してない。たとえ、生活の中で苦しみや心配事に出会ったとしても、必ずや内面的な満足感と生きている事への新たな喜びに通じる小道を見つけ出す事が出来る。」

「沈黙の春」を書き終えたカ-ソンは病床にありながら、鳥の鳴き声を聞き、空に列をなして飛んでいく鳥の群れを眺め春の訪れを楽しんだという。

 

死を前にして

体調のいい時はロジャ-と共に森に出かけ「Sence Of Wander」の体験をしている。彼女はがんと共に生きながら地球の美しさについて深く思いを巡らせ、その生命の終りの時間まで、生き生きとし精神力を持ち続けていた。そして亡くなる前年に親友の一人に宛てた手紙の中で、こう述べている。「もし私を知らない多くの人々の心の中に生き続けることが出来、美しく愛すべきものを見出した時に思い出して貰えるとしたら、それはとても嬉しい事である。」

 

●知ることは感じることの半分も重要でない。

カ-ソンは「Sence Of Wander」の中で「子供たちにとって知ることは感じることの半分も重要でない。」と述べている。

そもそも知るという事は本来知りたいという意欲があってこそ初めて知るに繋がる。人の場合知りたいという意欲の為には自分の環境即ち周りにあるものを感じる繊細な心がとても大事である。スイスの心理学者ピアチェは長年の子供に関する研究から「子供は大人とは異なる独特な精神世界に住んでいる。つまり子供は頭のてっぺんからつま先まで感動する」と言っている。フランスの詩人ブルトンは「真の人生に一番近いものは多分幼年時代である。」と。その様に幼児は好奇心と感動に溢れた感覚的世界に生きている。「知ることは感じることの半分も重要でない」このカ-ソンの言葉はピアチェの思想と共通している。

 

●「Sence Of Wander」執筆の意図 次のように述べている 

「美を感じる心や新しい未知なるものに出会う感動、共感、憐れみ、賞賛、そして愛と言った感情が一旦呼び覚まされると、だれしもその感情の対象について知識を得たいと思うものである。その様にして得た知識はしっかりと身に付くものである。

例え大人である自分自身が自然への知識がほんの少ししか持っていないと感じていたとしても、子供と一緒に空を見上げれば、夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空に瞬く星を見ることが出る。又森を吹き渡るゴウゴウという声や家の庇でヒュ-ヒュ-という風のコーラスを聞くことも出来る。そうした音に耳を傾けているうちに心は不思議と解き放たれていくのである。それだけではなく台所の窓辺の小さな植木鉢に播かれた一粒の種さえも、その芽を出し成長していく特別の神秘について子供と一緒にじっくりと考えてみる機会を与えてくれるのである。

 

●カーソンの少女時代と母

カ-ソンはPennsylvania州の田園風景の美しい小さな町で生まれた。文学と音楽を愛する母は早くから読み聞かせをしていた。カ-ソンは母と共に森や野原、小川を散策し自然や生命の神秘と美しさに目を見張りながら少女時代を過ごした。

後年カ-ソンは母の事を、「私が知っている誰よりも敬愛するシュバイツァ―の生命への畏敬を体現していた。生命あるものへの愛は母の顕著な美点であった。」と回想している。少女時代のカ-ソンは大きくなったら作家になると決めていた。貪るように本を読み、とりわけ少年少女雑誌「セントニコラス」に強い影響を受け、いつも投稿していた。

 

●シュバイツァ―から受け継いだ「生命への畏敬」について

15歳の時の作品は鳥の巣探しの思い出を書いたものであった。自然を題材としたもので、すでに自然に対する鋭い観察眼を具えていた事が現れている。

その一節。

「爽やかな5月の小道を思うと期待に胸が高まる。何よりも大好きな一日掛かりの遠出である。経験豊かな森の住人達が鳥の巣探しと呼んでいる楽しみである。風もなく太い道から逸れて私達は森の奥へと進む。そして行き着いたのは香しい松葉が敷き詰められたなだらかな丘、聞こえてくるのは梢を鳴らすそよ風と、その遠くから聞こえてくるせせらぎだけ。威厳に満ちた静寂に畏敬の念さえ感じられる。」

この文章にカ-ソンの自然に対する「Sence Of Wander」の感性と共に畏敬の念が現れている。この自然への畏敬はシュバイツァ―の命への畏敬の念に繋がっている。カーソンは生涯を通じて海に魅了されたと共に、鳥にも同じくらい深い興味を抱いていた。それは元々故郷の丘陵地帯を母と共に散策することによって育まれたものであった。

 

●全米オ-デュボン協会 

世界最大規模の鳥類保護組織である全米オ-デュボン協会の会員になった。Pennsylvania州東部の鳥獣保護区で秋のタカの渡りを見る観察会に参加した。カ-ソンは岩山の頂きに座って、タカを観察しその行動を記録した。そのノ-トは

カ-ソンがタカの素晴らしさに深く心惹かれたこと、そして山奥の自然の真っただ中での体験を海や地球の歴史と関連付けて考えていた事を明らかにしている。そのノ-トには次の様に書かれている。

「タカたちは風に舞う枯葉のようにやってきて、気流に乗って孤独に飛んでいる。一斉に飛び上がった数羽がみるみる空の彼方の小さな点になったかと思うと、はるか下の谷めがけて降下する。せわしなくぐるぐる飛び回る大群は一陣の疾風が森の木々を激しく揺らした時に乱舞する木の葉に似ている。」と、カ-ソンは自分自身のSence Of Wander」の感性で以てタカたちの行動を見ている。

 

●シュバイツァ―の「生命への畏敬」について 

彼はフランスの神学者であり、牧師であり、バッハの楽器演奏家であり、教会のパイプオルガン奏者でもあった。そして

赤道直下のアフリカガボンの原生林の中で医師として献身し、1952年にノ-ベル平和賞を受賞。生きとし生けるものの

生命を尊ぶこと、即ち生命への畏敬こそは倫理の根本でなければならないとの思想を、その生涯を通じて実践した。

シュバイツァ―の様々な著作の中で生命への畏敬にたいする最も正しい理解は彼の個人的な経験によって齎されている。

シュバイツァ―は30歳になるまでは科学と芸術の為に生き、30歳になってから医学を学んだ。そして38歳でガボンに向かった。そこで見渡す限りどこまでも広がる熱帯林の真ん中を流れる川を上流に上っていた。その時、カバの群れに出会う。突然生命への畏敬という考えがひらめいた。それから50年余り、彼はアフリカで医師として奉仕と献身の生涯を送った。カーソンはこの様なシュバイツァ―を敬愛し「沈黙の春」を彼に捧げた。因みに最初の作品である「潮風の下で」は母に捧げている。シュバイツァ―は、全ての生命の元にある、つまり生命に本質そのものであるのは、生きようとする意志であるとした。

 

(相互依存関係の主張)

彼は個人的な生命から出発する。「私は生きることを欲する生命である。」これが全ての生命は相互依存の関係にあることの主張へと進んでいく。それぞれの生命は単独で孤立してではなく、他の生きようとする意志の間で生きることを欲するのである。個人の生きようとする意志、或いは生命を他の生命と、そして生命を通して大いなる存在と直接的総合的な方法で同一視することがシュバイツァ―の倫理的神秘体験の根本なのである。畏敬とは恐れ、驚き、そして神秘を意味するのである。

 

●「Sence Of Wander」に込められたカ-ソンのメッセ-ジ

(子供を持つ親たちへのメッセ-ジ)

子どもに生まれつき備わっている「Sence Of Wander」をいつも新鮮に保ち続けるためには、いつも親が側にいて発見の喜びや感動を一緒に分かち合うこと。

(私達全てへのメッセ-ジ)

それは地球の美しさと神秘を感じ取ることの意義と必要性を理解する事。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は生きている事への喜びを見出す事が出来、生き生きとした精神力を生涯保ち続けることが出来るのである。

地球の美しさと神秘を感じ取る「Sence Of Wander」は、地球を健全に保つために必要なものでもある。更に自然に対してだけではなく、人間という一つの自然物が作り出す社会に対しても感覚を鋭敏に働かせていかなければならないのである。

「沈黙の春」が出版された当時(1962年昭和47)、地球は人間だけのものではないという事に、人間が気付いていないことをカ-ソンは懸念した。そして強い危機感を持った。人間が作り出した科学文明に対して警鐘を鳴らしたかったのである。そして彼女の信念を支えたのは、「Sence Of Wander」の感性とシュバイツァ―の生命への畏敬の念である。この「Sence Of Wander」の感性はカ-ソンの思想を形作る根底にあり、全ての作品に見ることが出来る。

 

「未来に向けたカ-ソンの思想の6つのキ-ワ-ド」

Sence Of Wander」即ち自然や生命の神秘や不思議さに目を見張る感性を持つこと。

生命への畏敬の念 死に臨んで

 カーソンは私達が生存し続けるためには、地球の生態系の全ての構成員を含めて、自然と共存する事の必要性を認識しなければならないと強く主張している。この世を去る少し前に「人間は全ての生物に対して思いやりを掛けるシュバイツァ―的倫理つまり生命に対する畏敬を認識するまでは決して人間同士の間では、平和に生きられないだろう。」と述べている。シュバイツァはこう述べている。「生命に対する畏敬の倫理は、生命や生物の間に上下、或いは優劣の区別を一切行わないということである。しかし我々は生物の間に厳格な序列化を行っている。それはそれら生物が我々により近い所に、又はより遠い所に位置していると見えるかと判断しているに過ぎない。これは人間の便宜的な主観的な基準でしかない。」

(モナーク蝶)

死期の迫ったカ-ソンは、夏のある朝、モナ-ク蝶(オオカバマダラ)が一匹又一匹と飛んでいる姿を目撃する。北アメリカではカナダからアメリカ、メキシコへと2000km4000km渡りをすることで有名である。カーソンはこのモナーク蝶が命の終りへの旅立ちをする光景に、深い幸せを感じる。そして友人への手紙に次のように書いている。「すべての情景の中で最も印象的だったのは、羽根の小さなモナ-ク蝶で一匹また一匹と漂うようにゆっくりと飛んで行った。それはまるで何か見えない力に引かれて行くようであった。それは命の終りへの旅立ちであった。その光景が余りにも素晴らしかったので、私は全く悲しさを感じなかった。どんな生物にとっても、彼らが生活史の幕を閉じようとする時、私達はその終末を自然な営みとして受け取る。私はその中に深い幸せを見出した。私はこの朝に感謝している。」

ここには、カ-ソンの迫りくる死を受け入れる深い洞察と生命への畏敬が見て取れる。

 

自然との関係において、信念を以って生きる力

心理学者のピアチェは科学者について「心ときめかす驚きは、教育や科学的探究において本格的な原動力になるものである。優れた科学者をそうでない人と区別するのは、他の人が何とも思わないことに驚きの感覚を持つことである。」と述べている。

心ときめかす驚きは「Sence Of Wander」の感覚であり、新たな気づきと繋がる感性なのである。カ-ソンはこの感性を働かすことで、地球即ち自然との関係において信念を以って生きることが出来ると述べている。「Sence Of Wander」で「地球の美しさについて深く思いを巡らす人は、その命の終りの瞬間まで生き生きとした精神力を持ち続けることが出来るし、自然界に接する事の喜びと意義は科学者だけが享受するものではない。自然の美はあらゆる個人や社会にとって、精神的な発達をとげる為に必要なものである」と述べている。

 

科学的洞察

「沈黙の春」に中で化学物質つまり殺虫剤の生物への蓄積デ-タから、食物連鎖による生物間の繋がりにより、最後にはその影響が人間に及ぶことを警告している。又アメリカを象徴する白頭ワシやコマツグミなど鳥へのDDTによる生殖異常から環境ホルモンの存在と影響を予見していた。一方でその胎児がさらされる化学薬品の作用は無視できないと指摘する。母親の胎内で活発に細胞分裂を繰り返す胎児或いは乳幼児は、健康被害を受け易いのである。今では化学物質の発がん性と内分泌かく乱性に着目してリスク管理を行い、法律によって化学物質の審査や規制を行っている。化学物質の複合汚染つまり複数の相互作用による相乗効果を予測していた。更に農薬による化学的防除に変わる遺伝子・生態学などの生物学の方法即ち生物学的防除の必要性を説いている。それは生物を生きた状態で防除に利用するもので、天敵農薬と呼ばれる。

 

環境破壊に対する危機意識

人間は植物や動物の錯綜した生命の網の目の世界を壊す事が増加している。それは忘れた頃に思わぬ所でどのような災いをもたらすとも限らない。自然の生態系が破壊されることの危険性を「沈黙の春」で指摘している。

 

自主的な判断 

諸問題は私達自身の事だという意識に目覚めて、皆で主導権を持たなければならない。今のままでいいのか、このまま先に進んで行っていいのか。だが正確な判断を下すにはその事実を正確に知らなければならない。即ち安心で安全な社会の為に、確かな判断を自分達一人一人がくださねばならない。

 

6つのキ-ワ-ドの繋がりの説明」

・最初の三つのキ-ワ-ド繫がり、即ち「Sence Of Wander」の感性を元に、生命に対する畏敬の念と自然との関係において信念を持って生きること。更に感性による三つの繋がりを元に、その科学的洞察と環境破壊に対する危機意識について理性を働かすことで、私達一人一人の自主判断がなされて等身大の生き方に繋がること。

・ここでの理性とは、物事を分析し論理的に考える能力の事である。又等身大の生き方とは、地球の自然の中で感性に繋がれた理性を働かせて行くことである。

・シュバイツァ―は教会での説教の中で「理性とはその認識と幸福を求める欲求である。全ての認識は生命の謎に対する驚きである。認識とはつまり生命への畏敬である」と説いている。

 

「永観堂禅林寺の見返り阿弥陀」

講師が母と一緒に永観堂に行った時の事。仏様は死後西方浄土に導いてくれる阿弥陀如来で、見返り阿弥陀といわれる。その姿故、人々の心を強く引きつけてきた。無造作に後ろを振り返るのではなく、注意深く見返るという事は、周囲の細かいことを気遣う気持ちの表れなのである。先を行く人が立ち止まり、後を振り返ってくれると心温まる思いがする。見返り阿弥陀は思いやりの心を、自らの態度で表している。

 

「カ-ソンの人生」

自然を思いやり人々を思いやり、子供たちを思いやり、きらきらと羽ばたいて渡りをするモナ-ク蝶のように、私達の社会の上空を漂うように飛んで行った。それはあたかも何か見えない力に引かれていくように。そして「沈黙の春」で社会を顧みること、Sence Of Wander」で自然と和解することを願っていたのではないか。「沈黙の春」の初めと最後に「私達人間がこの地上の世界と又和解する時、その狂気から覚めて健全な精神が光り出すであろう」と述べ、人間と社会の未来に希望を見出そうとしている。そしてその健全な精神は人と自然、人と人、人と神の三つの調和の中でこそ光り続けるのである。

 

「まとめ」

第一回では「沈黙の春」を理解するためのキ-ワ-ドの内、化学物質や放射能の恐るべき力と環境リスクの二つを見てきた。環境リスクとは、環境中の化学物質や放射能による生態系や人へのリスクの事である。次回は「沈黙の春」を理解するための残り二つのキ-ワ-ドである、地球倫理、地球倫理とは環境と生命の繋がりや関係につながる倫理である。それと共に現代の科学文明について考えてみる。

  

「コメント」

カ-ソンの言葉には感動した。この本が自然保護関係者の必読本であることを実感。全ての自然保護運動、自然観察に関わる人々は読むべし。特に「知ることは感じることの半分以下」。

講師は翻訳文を淡々と読んでいくが、それ故に余計カ-ソンの考えが伝わってくる気がする。