こころをよむ「これが歌舞伎だ」                 金田 栄一(歌舞伎研究家・元歌舞伎座支配人)

160306⑨「これが歌舞伎のヒ-ロ-だ」 

歌舞伎には様々な主人公が登場するが、その主人公たちはいずれもヒ-ロ-と呼んでいいようなある種の輝きを持っている。ヒ-ロ-といっても、必ずしも歴史上の有名な人物や力強い英雄とは限らない。時には極めて下世話な人物、或いは白浪と呼ばれる盗賊そういった人物も登場する。ヒ-ロ-達は舞台の上で不思議な魅力を放って実に小気味のいいセリフで観客を魅了する。そんな所にも役者を際立たせるという旺盛な観客サ-ビスの精神が感じられる。

 

「源義経」

源義経が奥州で亡くなったのは文治5年(1189年)。この悲劇のヒ-ロ-は死後数百年を経て、江戸時代の人々を魅了して、歌舞伎の中にも数多く登場する。日本人の心の中には判官贔屓というヒ-ロ-或いは弱いものへ味方をするという優しい気持ちが根付いている。この義経にまつわる演目には、代表的な所では「勧進帳」「義経千本桜」「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記」と言ったものがある。しかしどの演目を見ても、義経本人が大活躍することはない。周囲の様々な人物によって、色々な場面色々なドラマが描かれ、義経というのは高貴で象徴的な人物として、その場を収める役割で登場する。そして義経のセリフは多くない。僅かなセリフの中に、実に人の心を癒す清々しさ、暖かさが感じられて、舞台全体を優しく包んでいる。

勧進帳

勧進帳は数ある歌舞伎の中でも、常に最高位を誇ると言っていい絶対的な人気演目である。ここで活躍するのは弁慶そして関守の富樫左衛門であるが、この弁慶というのは歌舞伎の中で屈指のス-パ-ヒ-ロ-といえる。 

ここでは敢えて義経に注目してみる。

義経一行は京から奥州へ落ち延びるが、この際山伏の格好をしている。特に主人である義経は山伏に雇われた荷物持ち、強力の姿になっている。本来は一番みすぼらしい格好の筈である。しかし舞台に登場する義経はいかにも身分の高さを象徴するような美しい紫の衣裳に身を包んでいる。歌舞伎で紫の衣裳というのは、基本的には身分の高い人物と言うのが約束である。花道から登場した義経は実に匂い立つような素晴らしい気品が感じられる。この義経を演じる俳優は

その気品というものが、その人から自然に伝わってくる、身に備わったものとして周囲に伝わらねばならない。この為歌舞伎俳優と言うのは、その成長過程或いは日常の心の在り方そういったものが極めて重要である。この物語の舞台と

なったのは加賀の国(石川県)の安宅関である。ここに来た主従は東大寺再建の為の勧進をする僧だという事になって

いる。一行が関所を通ろうとすると関守の富樫が、勧進帳を読めという。ここで機転を利かせた弁慶は持っていた巻物を読み上げて、いかにも勧進の僧であることを主張する。そこで列の最後の義経が疑われて一同窮地に陥る。そこで弁慶は持っていた金剛杖で義経を激しく打つ。そして「この場で打ち殺し申してん」とまで言うが、そこまでして義経に尽くそうとする弁慶の覚悟と勇気に、富樫も心を動かされる。そして一行を通す。やがて人里離れた所までやってくると、義経は弁慶の機転を褒めてその労苦を労わる。そこで長唄が「判官お手を取り給いて…」と唄い、義経は弁慶に優しく手を差し

伸べる。義経の登場場面の中でも究極最高のシ-ンである。

義経千本桜

歌舞伎三大名作の一つであるが、ここでも義経が主人公という事ではなくて平知盛、狐忠信、そしていがみの権太という登場人物でストーリ-が進んで行く。義経は要所要所に登場してその品格と存在感を見せている。特に渡海屋(とかいや)大物(おおもの)(うら)という場面では平知盛が源氏の攻撃に屈して、幼い安徳帝は入水を決意するが、その直前に義経によって救われる。この時の安徳帝のセリフ「長々の介抱はそちが情け。今また麿を助けしは義経が情け、仇に思うなこれ知盛・・・・」 このセリフを幼い子供が言うので、この場面は観客の涙を誘うのである。こういった所にも義経という人物の暖かさが見える。

 

「曽我兄弟」

歌舞伎の中で曽我物というのは、非常に重要な演目である。特に江戸歌舞伎では、正月の初舞台には毎年必ず曽我物を出すというのが決まりになっている。上方の初舞台は傾城というのが登場する。こういった所に上方の特徴がある。

曽我物と言うのは、その名の通り曽我兄弟の話、それを主題とした芝居のことである。実際江戸時代の人々にとって義経と並ぶ特別なヒ-ロ-という存在である。

曽我兄弟にまつわる演目と言うのは「寿曽我対面」「矢の根」「外郎売(ういろううり)等があるが、又人気のある「助六」これも主人公の花川戸の助六実は曽我五郎という設定になっている。曽我兄弟は父河津五郎の仇、工藤祐経を討ったことで有名で

ある。当時幼かった兄弟は18年後富士の裾野で仇を討つ。この時兄の十郎はこの戦いで討ち死にするが、五郎は最後まで戦い、頼朝にも接見しているが後に処刑される。この仇討の話は人々の共感を得て「赤穂浪士の討ち入り」と「荒木又衛門の「伊賀越えの仇討」と共に三大仇討といわれる。芝居の中に登場する曽我兄弟と言うのはいつも弟の五郎が

主役。そして力強い典型的な荒事として演じられる。一方兄の十郎は優しく分別のある歌舞伎の型としては和事として

演じられる。

寿曽我対面

曽我物の中で最も御馴染みといえば「寿曽我対面」というのがある。これは工藤祐経の館に兄弟がやってきて、五郎が

今にも工藤祐経に飛びかかろうとするが、十郎が制止してそして工藤祐経の方は後日堂々と討たれると言って狩場の

通行証を投げ渡す。ここでこの人物の大きさも表現している。この工藤祐経の役は敵役であるが、一方では座頭の役でもあるので、敵役と言っても風格も重要とされている。

 

「戦国武将」

本朝二十四孝

これでよく上演されるのは十種(じゅしゅ)(こう)」「狐火」という場面。ここには竹田信玄の嫡男の勝頼と長尾景虎(上杉謙信)の息女

八重垣姫、これが勝頼の許嫁。これは又史実とは全く違うお伽噺のような設定であるが、これが歌舞伎なのである。この勝頼に上杉謙信の追手がかかる。それを八重垣姫が知って狐の力を借りて空を飛ぶようにして知らせに行く。

信州川中島合戦

又同じ様に武田上杉の演目としては、「信州川中島合戦」がある。輝虎配膳」という場面の登場人物は長尾輝虎、山本勘助そして勘助の母といった人物で芝居が進んで行く。輝虎は武田家の軍師山本勘助を味方につけるために、勘助の母と妻を館に招いて接待するが、勘助の母はもてなされた膳を足蹴にしてわざと輝虎の怒りをかって、計略をぶち壊すという話。

既にしばしば話したが、歌舞伎では実際の武家社会を劇化することを禁止されているので、信長以降の武将の名がそのまま登場することはない。違った名前で登場している。

  鎌倉権五郎

歌舞伎ならではのヒ-ロ-、まさしく江戸の荒事と言うのがそれである。歌舞伎十八番の「暫」ここには鎌倉権五郎という

スーパ-ヒ-ロ-が登場する。顔には筋隈という勇壮な隈取をして鬘は髪の束がはみ出した大袈裟なもの。腰には長い刀を三本も差している。その衣裳は大きなもので、セリフは頭のてっぺんから響いてくる声で、そして周りからは「ア-リャ コ-リャ」と言った化粧声と言ったものが掛かり、最後には「デッケェ-」という声が周りからかけられて、どれをとっても

極限まで様式化され誇張されたというものである。荒事の主人公は、必ず前髪がついているが、つまり無邪気な少年が駄々をこねている心で演じるものといわれている。

 

「悪のヒ-ロ-」

歌舞伎の中には盗賊も登場する、所謂白浪である。白浪という言葉、これは古く中国で盗賊を示す白波(はくは)から来ている。

後漢の末、紅巾賊の乱の残党が白波(はくは)(おく)に立てこもっていたので時の人が白波賊と呼んだ。江戸時代の人が盗賊のことを白波→白浪と呼ぶようになったという。この言葉を有名にしたのが、幕末から明治時代に活躍した狂言作者河竹黙阿弥である。

悪のヒ-ロ-の中でも二つのタイプがある。つまり黙阿弥のチョイ悪、それと鶴屋南北の極悪。

盗賊と言ってもここに登場する白浪というのは、盗みや強請(ゆすり)は手の内だが極悪非道な殺しなどはしない。場面場面で

名セリフを決めて最後は悲劇のヒ-ロ-となるのが約束である。ふてぶてしいが、その中に愛嬌が或いは人間味というのがどことなく溢れてこれが又観客を様々に魅了して人気を獲得していく。

白浪五人男

その中でも弁天小僧、三人吉三(和尚吉三・お坊吉三・お嬢吉三)その中でもお嬢吉三が主人公として活躍する。

梅雨(つゆ)小袖(こそで)(むかし)八丈(はちじょう)  通称髪結新三

人気の高い演目である。これは町を回って商売する髪結新三が白子屋という材木商の娘をかどわかして、ゆすりを働くという話であるが、これはこの芝居の元となる実話と先行作品の芝居があるからである。実際に材木商白子屋の一人娘

お熊が店の手代と密通して亭主を毒殺しようとするという事件があった。そのお熊が処刑された時に、着ていたのが黄八丈なのでそれが有名になった。そこから恋娘黄八丈という演劇が人気を博して有名になっていた。それを題材にして初夏の深川辺りを題材にして書かれた芝居が髪結新三である。この芝居の面白さは悪党だがどこか憎めない、髪結新三と

いう人物の魅力にある。実に図太い所を見せながら、その長屋の大家さんにはまるで歯が立たない、つまり強がりの主人公の弱気な一面というのが滑稽で人気を誘う所以である。又この芝居の中には、魚屋が「カツオ カツオ」と初カツオを

売りに来る場面がある。そこで新三は大枚をはたいて買うがその徹底した江戸っ子振り、そこに流れている爽やかな季節感が人気の秘訣であろう。

天衣紛(くもにまよう)上野(うえの)初花(はつはな)

河内山宋俊、これらも白浪物の一種といえるが、いずれもある種の小悪党、色々と悪事を働くがどこか憎めない愛嬌が漂って辛辣な捨て台詞を言うが、それが裏腹に見る人を心地よい気分にさせる不思議なキャラクタ-を持っている。

河内山宋俊も新三の様なキャラクタ-である。将軍に仕える坊主それが上野の寛永寺の高僧と名乗って、殿様の屋敷に乗り込んでいく。ここで脅しをかけて屋敷勤めをしている質屋の娘を救い出すが結局ここで大金をせしめることになる。

そして最後は正体を見破られてしまうが、河内山宋俊にしてみれば正体がバレで仕舞っても、ちっぽけな屋敷の殿様では俺に頭は上がらないとして、幕切れの所では「馬鹿め・・・」と大きな声で見得を切る。つまり悪い奴でも庶民の味方、

そんな人物像というのが、いかにもチョイ悪の世界である。

東海道四谷怪談

田宮伊右衛門はお岩という女房がありながら隣の家の娘お梅の婿にと求められ、それを承諾する。そして邪魔になったお岩に毒を盛る。やがてお岩は苦しんで息絶えることになり、怪談物としておなじみの演目となる。お化けや化け物と言ったものの恐ろしさよりは、生きている人間こそ怖いというそうしたものも伝わってくる登場人物は怪しい魅力を持って今日的関心をそそっている。この伊右衛門のセリフの中に「首が飛んでも動いて見せる」そう言った言葉も登場し、伊右衛門の

徹底した執念深さも伝わってくる。 

(かみかけて)三五(さんご)大切(たいせつ)

黙阿弥がチョイ悪といったキャラクタ-を描いている一方で鶴屋南北の作品の方は、文化文政時代特有の退廃的な悪の華が色濃く出ている。「東海道四谷怪談」の田宮伊右衛門、「盟三五大切」の源五兵衛こういった人物はいかにも非道の限りを尽くす悪の極致が描かれているが、こういった役柄が色悪と呼ばれる通り、その冷血そしてニヒルな色気そういったものも、現代の観客の興味も引きつけるので、近年の人気舞台となっている。

この様に河竹黙阿弥、鶴屋南北と同じ悪のヒ-ロ-と言っても、描かれる人物像は対照的で、其の対比が鮮やかに浮かび上がっている。