日曜カルチャ-   「正倉院ものがたり~正倉院展はこうして誕生した」     

                                       帝塚山大学文学部教授 西山 厚

 

171008②「光明皇后と阿修羅

一回では聖武天皇の苦しみが大仏造立のきっかけとなった事。今回は光明皇后の悲しみが阿修羅を生んだことを話す。

「阿修羅」

古代インドの神、天上の神々に戦いを挑む悪紳とされてきた。仏教に取り入れられて仏法を守る八部衆の一つとなる。絶えず闘争を好み、地下や海底に住むとされる。六道の修羅道の主神でもある。

一説には釈迦の説法を聞き前非を悔いて、仏法守護になったという。三面六臂である。釈迦涅槃図の中に阿修羅が見える。作者は仏師将軍万福(百済の帰化人)とされる。

白洲正子 「紅顔の美少年が眉をひそめて、何かに憧れるごとくに遠くの空を見つめている」

西金堂は焼失後、再建されず現在は興福寺国宝館に展示されている。

「いつだれが作ったのか」

光明皇后が母 県犬養三千代の死を悼んで、藤原氏の氏寺に作ったとされる。同時に又早世した

基王を偲んでともいわれる。

・光明皇后

 父 藤原 不比等 母 県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ) → 初婚で橘 諸兄を生む。

・興福寺西金堂(さいこんどう)に本尊を釈迦如来として献納。当初阿弥陀如来の計画であったが、

 母を厚く敬った釈迦がふさわしとした。そして、釈迦には仏法を守る八部衆が不可欠であった。

 その一つが阿修羅。本尊が釈迦如来でなければ、阿修羅は誕生しなかった。

・父 藤原不比等の冥福を祈って建てたのが法華寺(不比等の旧宅)。平城京内にあった。

「興福寺」

藤原鎌足の病気平癒を願い、夫人の鏡王女が京都 山科に建立した山科寺が起源。後藤原京に

移り厩坂寺となる。平城遷都により藤原不比等が現在地に移転。藤原氏の氏寺。 

「なぜ少年の顔か」

・本来八部衆は大人の鬼面であるが、光明皇后の早世した息子 基王を偲んで少年の顔にしたとも 

言われる。

 「コメント」

今日の収穫は二つ。

・本尊が釈迦如来である理由。

・阿修羅が少年の顔の理由。