2104011②「故事成語としての魅力」

前回は温故知新とか大器晩成とか、あるいは不惜身命・一期一会といった様な座右の銘とか処世訓として、人気の高い四字熟語を取り上げた。
こういったものは漢字夫々を解釈して、それを繋げただけでは説明にならない様な含蓄があって、

そこには昔の人の人生に対する洞察だとか、深い知恵が広がっている。
そういう昔の人の知恵や気持ちに触れることが出来るというのが、四字熟語の魅力である。
今日は故事成語としての四字熟語を取り上げる。故事成語というのは昔の話を背景にして生まれたものである。
昔の話というのは歴史書に書かれてことである。中国は文字の国であると言われ、同時に歴史の国でもある。歴史の中から生まれた四字熟語を取り上げてみる。

 

BC1世紀の司馬遷の「史記」より。読み物としても歴史書として模範として優れている。

「四面楚歌」

項羽と劉邦の闘いの時代。項羽は劉邦の軍に包囲され、項羽の出身地楚の歌を包囲軍から聞かされた項羽は自分の故郷も劉邦に占領されたと思い、敗北を覚り遂には死を迎える。ここから周囲が敵だらけを表す意味となった。

現在は、権力のある人が、あることで周囲を敵に囲まれてしまうことを表す。普通の人がそういう状況になっても使い方としては、適当ではない。勢いがあった人に使うと効果的である。

 

次も「史記」から生まれたものである。

「夜郎自大」

夜郎とは中国の辺境の少数民族の名前。漢王朝全盛の頃、漢の使者がこの国に来た時に、夜郎の王が「漢と私の国はどっちが大きいか」と聞いたという話。つまり、辺境の小さな国の王が、漢王朝のことなど全く知らないで、巨大な漢を相手に馬鹿な質問をしたのである。世間知らずで自分の事を立派と自惚れていることを意味する。三島由紀夫の「宴のあと」の中で、評論家がある政治家の事を

こき下ろして、「あいつは夜郎自大だ」と言う場面がある。

 

臥薪嘗胆」 復讐を成功させるために苦労を厭わないという意味。

BC五世紀、呉と越の争いに由来する。嘗胆だけなら「史記」越王勾践に由来するが、臥薪嘗胆と揃った形では蘇軾の詩に求められる。敗戦の呉王の息子夫差は,その復讐のために薪の上で寝て悔しさを忘れないようにして遂には、越王勾践に勝利する。次は敗北した越王勾践は、胆を嘗めて屈辱を

忘れないようにして、遂には呉王夫差を破る。この故事にならうものである。

歴史的事実が背景にある四字熟語は、その物語の面白さがあって、成り立つものである。「十八史略」歴史的事実を書いた入門書。これに発する四字熟語を見てみる。」

「十八史略」→ 南宋の曾先之によってまとめられた初心者向けの歴史書。伝説時代から南宋までの18の正史を扱う。

「漱石枕流」自分の失敗を認めず、屁理屈で言い逃れをすること
「石に枕し、流れに漱(口すすぐ)」というべきを、「石に口漱、流れに枕す」と言ってしまい、
誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕す」は耳を洗うためだ」と強弁した故事に倣う。
夏目漱石のペンネームになったので有名になった。

「画竜点睛」物事を完成させる為に、最後に加える大切な仕事の事。物事の最も肝要なことの例え。
出典は9世紀、有名な絵に関する話を集めた本「歴代名画記」

ある画家が寺の壁に4匹の竜の絵を描いた。よく見ると4匹とも目が描かれていない。
人が「何故か」と問うと、「目の玉を書くと竜は飛び去ってしまう」という。そして画家は2匹だけ目の玉を入れた。そうすると2匹は飛び去って行った。この話は、最も重要なものを加えて、物事を完成させるという意味となった。

「画竜点睛を欠く」重要なものが欠落しているので、折角の立派なものが完成していないことを云う。

 

次は処世訓ではなく艶やかな話である。

「天衣無縫」

出典「霊怪録」

天女の衣には縫い目がない所から、自然に作られていて巧みな事。又人柄に飾り気がなく純真で無邪気なさま、天真爛漫な事を言う。

夏の日、ある男が夕涼みをしていると、空から美しい天女が降りて来た。「あなた様を慕って降りてきました」という。ここから押し掛け天女の通い婚が始まる。一年後に、天女は「帰る時が参りました」と言って帰ってしまう。
この一年間の面白いエピソ-ドが入っている。
その一つは、天女の衣に縫い目がない事に男が気付いて指摘する。天女の答えは「天上の服は針と糸で縫うものではない」→天衣無縫の語源である。本来の意味は、努力の跡を見せないで出来た事を指す。しかし現在は、周囲に迷惑を掛けているが、あまりにも迷惑の掛け方が無邪気で自然なので、文句が言えない。悪気はないので仕方がないという場合などに使う。

使用例 太宰治「パンドラの箱」

結核療養所にいる患者たちの物語。俳句にある患者が俳句に熱中していて、自分の作品を書き留めている。主人公がそれを見ると、有名人の作品を自分の句として書いている。これに何の罪の意識も感じていない。それを見た主人公は「ここまでくると天衣無縫というほかはない」という。

 

四字熟語はその背景をよく理解すると、味わいが深くなる。漢詩に関する四字熟語を見てみよう。
「捲土重来」

四面楚歌との関係がある。四面楚歌の状態に敗北を覚った項羽は、戦い続けてある川の畔に来る。

そこの渡し守が「早く渡って自分の領地で巻き返しなさい」と云うと、項羽は「有為の若者を沢山失って、一人故郷には帰れない」そして引き返し、戦って死ぬ。千年後の唐のある詩人が、この場面の

項羽の詩を作る。

その中に「捲土重来未だ死ぬべからず」とある。→敗れた軍勢がもう一度やってくることを云う。

捲土 軍隊が土埃を巻き上げる状態

重来 もう一度やってくる

ここから転じて、一度失敗したものが再挑戦するの意となる。
「馬耳東風」

8世紀の詩人李白

友人の売れない詩人への手紙にある。「世間の人は見向きもしないようだが、私は理解しているよ。東の方から温かい風が吹いている。馬の耳を気持ち良く撫でている。しかし馬は何も感じていない。」この意味は、「君の詩に、世間の人は馬の様に、何も感じていないのだ。私にはその良さは解って

いるよ」友人を慰めている手紙である。

本当はいいことを云ってあげているのだけど、相手が聞き流しているのが正しいのであろう。
ここから一般的には、他人の言うことを聞き流すという意味となった。

故事の本来の所が忘れられて、使われているケ-スの一つである。

「五里霧中」どちらへ進めばいいか分からない状態

後漢書 史記に倣って、その後を書きつぐ形で作られた歴史書。

主人公は欲に恬淡としていて、仙術を極めたある学者。五里四方の霧を自在に操れる。この事からできたものである。

この為に人々から愛され、色々なエピソ-ドが語られる。しかし現在では、この学者の話は忘れられて、単にどちらを向いて進めばいいのかという例えに使われるようになった。
「傍若無人」

秦の時代、ある豪傑が友人と居酒屋で酒を飲んでいた。盛り上がって歌を歌い、感極まって泣き出し「傍らに人無きが如し」状態となった。後日、唆されて秦の王の暗殺を試みて失敗。しかし当時秦の王は評判が悪かったので、この豪傑に同情が集まる。このエピソ-ドの中で、酒を飲んでいる場面だけが強調されて伝わった。
周囲に迷惑を掛けるというより、自分の世界に没入してしまう事を表しているが、現在は、歴史は忘れられて、「勝手なことをやって周囲に迷惑を掛ける」の意で使われる。

今回は歴史書、或いは歴史書ではないが、色々なエピソ-ドを書き記した物語などから、出てくる話(故事)から生まれた四字熟語を見て来た。四字熟語というのは単に漢字四文字の集まりではなくて、時代を越えて使ってきたが、そこに重みがある。前回と今回は主に中国の書物に由来する四字熟語を見てきたが、出所がはっきりしないものも多数ある。
それとどうしてか。
次回は「時代を表す四字熟語」として話す。

 

「コメント」

成程。四字熟語は便利で使うことがあるが、それにはその言葉の背景があったのだ。

興味深いことである。

 

しかし最近は、これを使う人も少なくなったし、理解できる人も少ないのは淋しいことである。