220213②「異国情緒と非近代化への憧れ~小泉八雲「日本の面影」ほか

前回は欧米から見た、日本の姿という事でも、日本文化についてのステレオタイプについて話した。前回は16世紀に来たザビエルとかフロイスの話をした。

「日欧文化比較」 フロイス ステレオタイプとならざるを得ない

そして何よりも日本文化に対する衝撃いうのは、二人によってキリスト教が日本に入ったという事である。そして、その受容と共にその排斥という事がある。フロイスは、欧米文化と日本文化の比較を書いている。「日欧文化比較」岩波文庫。これが比較文化論の、一番最初の本かも知れない。日本文化についての詳しい観察であるが、ポルトガル人、スペイン人を中心とした自分達の見方、それと日本人という対照的な比較をしているので、かなり正確な日本についての観察もあるのだが、余りにも違いを際立たせるので、何か日本が非常に特殊な文化、西欧には理解しがい文化だと、

なり易い。どうしてもキリスト教の宣教師たちについても、その見方があるので、そこに偏見が出てくる。それによって文化のステレオタイプが生れた。そもそも西欧と日本の文化比較はそういう欧米流の二元論、それとキリスト教があるので、とても世界の中で欧米を越えて日本を理解し難いという事が起こってくる。

「黒船来航」

この講座のテ-マの一つは、文化理解の困難さ、文化理解とはどういうことなのか、という事を話せればいいと思う。

今日のテ-マは、先日の13世紀から300年飛んで、19世紀の話になる。

16世紀はキリスト教が日本に入った時で、19世紀・1850年に黒船が来て日本に開国を迫る時である。開国は通常的な問題でもあるが、場合によっては軍事的侵略も無とはしない。これも又、日本文化が国の形が変わっていく、一つの国難なのである。この16世紀と19世紀の出来事は、欧米からの衝撃という意味で、日本社会の変容を迫る一大事。

それで今日は19世紀の後半、日本に来た三人の日本研究家、作家の日本観を述べていく。

 

三人の日本研究家

「バシル・ホ-ル・チェンバレン」  「古事記の英訳」

アベコベの極致という言葉は、バシル・ホ-ルチェンバレンという、19世紀に帝大で日本人に文化全般を教えていた人。彼が書いた「日本事物誌Things Japanese。平凡社 東洋文庫。日本的な物。日本研究の金字塔と言われる。これはABC順に色々な事柄を並べた、百科全書的なものである。

 

1856年、お雇い外国人として来日。又彼は「古事記」を英訳。目的は植民地政策と関係があったのではと思われる。

英国は世界中に植民地を作っていたから、その経営の為には現地事情理解の必要があった。

植民地経営の一環として、文化人類学が発生したのである。その学問の流れの中で、日本という

極東の小国の文化を、理解しようとしたのである。

これを読んでみると、色々と問題がある。日本の文化に惚れ切って、好きで訳したと普通は思うが、そうではなくてそういう政治的な動機があった。例を挙げると

・アマテラスは、弟スサノオが乱暴狼藉を働いたために、雨の岩戸に隠れる。これについて、チェンバレンは説明している。

 そんなことが有り得ようか。皇祖神であるアマテラスを外に出す為に、踊ったり歌ったりする。そしてアマテラスは出てくる。その女神が岩の間に隠れているなんて信じられない。これは神話であって、事実を云々しているのではないのに。訳しておきながらそんなことを、言っている。いくつかそういう点がある。

古事記の英訳

そして、日本の神話とか言語体系は病んでいるとまで言っている。

それは、キリスト教文化圏というのが一つの背景、それから西洋中心主義があるが、もう一つはビクトリア王朝のモラルであろう。古事記のイザナギとイザナミと国生みの所はカットしている。倫理観。

天皇制について

厳しい見方をしている。特に明治天皇に対して。

それに反して、八雲は天皇制賛美というか、民衆信仰としての天皇制を擁護し、大切さを論じている。

 

共通する欧米人の日本観のキ-ワ-ドというのは、あべこべの極致。欧米と日本は価値観が全て

アベコベであるという。

 

「パーシバル・ローウェル」天文学者 大森貝塚のモースに触発され来日 小泉・チェンバレンと

                交流 大富豪

「極東の魂」 公論社 日本に関する本多数  違いを際立たせている

日本の印象。まず横浜に着いた時「初めて横浜の陸地を踏みしめた時、地球の反対側で、全て上下

逆様であるに違いないと、幼い時の想像が蘇ってきた。日本人が逆立ちして歩いているのを思い浮か

べた。遠い国から来たものは、自分が正しいと思うのはのは当然だとしても、躊躇することなく、現地

の人の視覚が歪んでいると考え、「彼らの目が猫のよう

に斜めに歪んでいるのも、その外面にあらわれた形である。」と言っている。

これは一種の人種差別と言っていいのだろうか。上から目線で日本を見ている。彼自身は日本が

大好きになっている。

こういう印象を、小泉八雲もこの本で読んで、同じような印象を持っていた。つまり、欧米と日本は、

正反対の価値観であると。チェンバレンの話をすると、「アベコベの極致」と言っているが、これを

「日本事物誌」の中で述べている。

この本の「アベコベ」の章で、ヨ-ロッパでは自然で当然と考えている事を、全て逆のやり方で日本人

の多くはやる。

日本人も我々のやり方への、理解に苦しむであろう。次にアベコベの例をいくつか挙げる。

・手紙のあて名の書き方 欧米人は大きい所から入る

・大工の仕事  カンナを手前に引く   鋸を手前に引く

・日本の婦人は、針に糸を通すのではなく、糸に針を通す。又着物の上で、針を走らせるのではなく、針を持ったまま着物を走らせる。→そういう風に見える。

 

「小泉八雲」 共通性を探そう

小泉八雲 ラフカディオハ-ン 国籍 英国、父 アイルランド、母 ギリシァ  1896年に来日。

最初の著書は「日本の面影」  晩年に「日本」日本文化にする解釈本

小泉の方が、これから欧米に日本を理解して貰うのにヒントになる。比較文化の視点の転換とでもいうか。対照的に価値観を決めるのではない方法を取っている。対称性から共通性の発見とでもいうか。文化は元々、それぞれ個性的である。

特殊である。しかし特殊だから劣っている訳ではなく、各文化は個性的、特殊であるのだが、しかし人の営みとして共通性もある。だから対照性から共通性の発見、特殊から普通の発見という、そういう、両方のベクトルを見ていかないと、国際社会では、文化が違う国同士が共存し得ない。だから八雲の唱えた日本観の中に、何かこれからの国際社会の中でのヒントがあるのではないか。具体的に説明する。

1906年、八雲は亡くなって一年後に発行された「神国日本」は見ずに終った。この冒頭に彼はチェンバレンと同じ様な事を書いているが、その後が違ってくる。

「日本の文化に初めて接した時、感じた奇異な特殊な感じは一向に薄れゆく気配はない。やがてこの国の人達の手足の動かし方まで、目新しいのに気付く。彼らの行動が西洋人とは逆になっているので、(日本在住14年間で最後に書いたのがこの本である事に留意。)その14年の生活を経たにも拘らず、やはり今でも日本文化というのは風変わりであったのだ。大工の異様な鉋と鋸の使い方も言っている。鍵の掛け方、我々と逆の方向に掛ける。

(日本人は左から右に回す)

日本文化に学ぶべき  共通性を見るべき  八雲の成り立ち ケルトとギリシア 西欧は日本から学ぶべき

所が、チェンバレンが逆様の極致と言ったのに対して、八雲はこう言った違いのある文化に学ぶべきと言っている。

「神国日本」の中で、それを展開している。文化の対照性を見るのではなく、共通を見るべきという。特殊普遍

もう一つは、「日本の面影」のなかで、「日本の庭にて」という作品があるが、その中で、日本の建物はバランスがとれていないし、少し歪んでいたり、傾いたりしているのも美しいとして見える。これを不揃いの美学と言う言い方をしている。

西洋流の美意識というと、左右対称。日本はそうではなくて、そこに曲線を入れたり、左右非対称、焼き物までいびつなものを、珍重する。

これはチェンバレンやロ-レル等のアングロサクソン的な発想からすると日本文化は対極に見えるであろう。

八雲の場合は、文化がミックスされているので、多神教的世界なのである。アングロサクソンのキリスト教文化とは違うのである。日本的アニミズムの感覚を父母から受け継いでいたのであろう。

ギリシアの多神教的文化とアイルランドのケルトの基礎のドレイド教というのがあるが、そういう血を

受けている八雲の価値観であろう。一般の西洋人とは、違うのである。

むしろこれからは八雲的な異文化への意識が大事だと思う。八雲の精神の源は、Open mindと言っている。

つまり西欧中心主義、キリスト教文化中心主義の考え方ではなくて、多様な文化を受け入れていく開かれた精神と言っている。そういう意味で、100年も前になるが、八雲の物の見方は大事だと思う。西欧は日本に学ぶべきだと言っている。

八雲は日本人の美意識とか、日本人の善良さを高く評価しているが、遂に西欧では八雲は評価されていない。矢張り西欧中心主義が拭えないのである。

八雲の文学はジャポニズム

八雲の文学は、後ほど浮世絵の印象派への影響、ジャポニズムを話すが、八雲の文学というのは文学のジャポニズムと言っていいと思う。日本的な物を海外に知らしめる。
八雲が何故、日本に滞在して、日本の事を書いたかというと、開国して間もない日本を欧米の人は、知りたいと思っている。14年間で14冊の本を書いた。表紙は全てジャポニズム。外国人は日本の異国情緒に関心があった。

 

開国当時、外交官、貿易家が来たが、画家も大勢来た。外交官のア-ネスト・サトウ、オルコックは

日本見聞録を書いているが、沢山の絵が残っている。

「イギリス人の日本観」成文堂 池田雅之 

この中で日英関係史を研究している、女性・マリー・コンテヒュ-ムという人と対談をした。「英国と日本、関係は逆転したか」という章がある。

1850年八雲が日本に来た。1890年頃、欧州人は何を見たか。この頃には、日本の産業革命も完成期に入っており、電信、電話、郵便システム、鉄道、などは先進国並みになっていた。
そして当時のイギリス人は、産業革命以後のイギリスに飽き始めていた。そこから日本に来た外交官とか画家とかの
日本研究家たちであるが、そうした人たちは、イギリスで失われたものを見ようとする。要するに産業革命で失われたものを懐かしんでいるのである。

彼らの作品を見ると、日本が近代化によって作った建物や施設の描写は一切ない。一斉に、富士山、芸者、侍・・・。
特に圧倒的に、富士山である。ア-ネスト・サトウも、「日本見聞記」の中で、日本人の切腹の場面を描いている。こんなに残酷で、美しい場面を見たことは無いと書いている。

1980年代になると、欧米で日本叩きが始まる。日本叩きというと、全て日本文化を拒否して、日本全てを叩いていると思われるが、これには両面ある。

悪しき面は米国での自動車、ヨーロッパでの電化製品への風当たり。生かし一方では、文化交流みたいなことは盛んにおこなわれていた。

当時イギリスで、アンジン会(三浦按針) 庶民レベルの日英交流の会。イシグロ・カズオ氏にはここでお会いした。

西欧人の求めた物

イギリスの日本受容というのは、自分たちが産業革命で失ったものを、日本にはあると見ていたのである。やってきた英国人たちは、自分達が見たいものを日本に見ようとしているのである。異国情緒である。

1850年頃には、鉄道もない、東海道五十三次である。西洋人は何を日本に求めていたのか。異国情緒、非近代への憧れ。だから、八雲も欧州からきて異国情緒をおぼえると共に。自分の父方のアイルランド文化、母方のギリシア文化の根っこに回帰いく心地良さが、あったのではないか。

 

日本の近代化 日本文化の流失 浮世絵、焼き物→印象派への影響→ジャポニズム

今日の大きなテ-マである、「異国情緒と非近代への憧れ」という事であるが、この19世紀というのは

明治維新で、開国である。これで日本は近代化していく。1894年、鹿鳴館を作って外交官政治家を

呼ぶ。そしてここで、ここで日本人との交流をさせようとする。三島由紀夫「鹿鳴館」に詳しい。欧化主

義を進めていく。

その時代に、欧米には日本の浮世絵、漆製品、焼き物が流失していく。日本は近代化を急ぐために

古い文化を投げ捨て

る考え方であった。日本で不要になった浮世絵が、印象派の人々に影響を与える。セザンヌ、

ルノア-ル、・・・

一番衝撃を与えたのは、北斎の浮世絵。非遠近法、不揃いの美、画題。

それまでの西洋絵画というと、キリスト、マリア、偉人、ギリシア神話、歴史的出来事・・・・

所がルノア-ルは庶民の生活を 描いている。当時焼き物や、ウルシ等の包装に、くず紙が使われ、

そこにマンガや浮世絵下絵があったのが印象派の画家に影響したのである。庶民の生活が色々と

描かれていた。そういうのは西洋人にとっては極めて新鮮であった。この浮世絵などの影響は、

1920年代まで続く。いわゆるジャポニズム運動である。日本主義・日本趣味。

 

面白い事を二つ話す。 日本人の好きな絵  モリス柄

欧米には日本発見という道筋が、ジャポニズムという流れで来たが、その逆コ-スというか、そういう

西洋の印象派が受けた自然への愛しみが、逆に日本に返ってくる。若い人には分かりにくいが。日本

人が好きな絵というのは、ルノア-ル・セザンヌ・ルオ-、みんな印象派である。それは何故かという

と、基本的に印象派の絵の中には、日本人の心を動かす色彩感覚、テ-マがある。印象派には宗教

色がない。ギリシア神話も。ささやかなものに対する愛。

そういう美意識が、英、仏の絵描きにはある。

そういうのが、ア-ル ヌボォを呼び、それからウイリアム モリスのモリス柄というのもある。ああいう

のも、日本の影響が下地にあると思う。殆どに動植物、特に植物、花を描いている。

  アイルランド 命は同じという思想

もう一つ言えるのは、八雲がアイルランド出身であるが、アイルランドの民俗信仰というか、やっぱり

人間中心主義がある。ケルトは日本と近くて、人間も植物も動物も、同じ生命として命の尊さがあると

信じていた。ケルトの紋様を見ると、草木の枝が主である。動物と草木と人間が一体化した世界で

ある。アメリカ先住民、アイヌ、沖縄と同じである。

八雲の基本的精神は、万象帰一 All is one 全て生あるものは、一つの存在である。

日本にあったものが欧米に渡り、欧米がそれを応用して、何か別のものにしていく。その一環が

ジャポニズム展開であった。文明は廻っているのだ。

 

「コメント」

話があちこちに飛ぶので、纏めるのに骨が折れる。要するに、人間は失われたものを懐かし

む。そして、古きよきものは、形を変えて生き残っていく。