歴史再発見「黄金」から見直す日本史                  加藤 廣 

 

⑨「家康と慶長大判・小判  江戸時代(一)」   13年5月28日() 20時30分~ 

足利幕府以来の混乱にまず終止符を打ったのはまずは信長。これは地理的・気候的に有利であったから。信長は経済的な知見は持っていたが、リ-ダ-としての素質に欠けるところが有り人望がなく、最後には討たれる。この後、秀吉の天下となるが、「正妻に子がなかったこと」が致命的。政治家・経済家としては極めて優秀。これが側室淀君に晩年子が出来たことが誤算、実子ではないとも言われるが。

 

これが豊臣家大混乱の原因。秀吉の金が徳川の天下作りに役に立つこととなる。

 

「秀吉の死」

病床で秀吉は恐怖に怯え(お館様お許し候ろえ)と言って死ぬ、ここには何かかがある。これは自著「信長の棺」に書いてあるので読んで欲しい。没後家康は豹変して、豊臣家を圧迫する。関ヶ原の戦い。

 

 

「秀吉の金」 

豊臣家滅亡で秀吉の金を家康は手に入れる。当時ケチな家康の所有は1トンに対しこれは60~70トンと言われ、家康は驚く。私は家康は嫌いで小説を書く気がなかったが、家康の凄さを知り、書く気になった。

 

「家康と金」

当時の関東は、利根川・荒川の氾濫でどうしようもないところ。これで家康は秀吉の金を使い大プロジェクトで河川改修、江戸城築城を行なう。EX、駿河台地を崩し埋め立てで江戸の町を作った。ところがこの頃から金の生産は減少して、保有する金はドンドン減少していく。新規鉱山の発見がなく、金鉱が枯渇。

 

・家康は金含有率80%以上の慶長小判・大判を作ったが大間違い。これだけ含有率高いと流通せず退蔵される。

 

 この人は政治には極めて優秀だが、経済的には全く音痴で秀吉にとても及ばない。秀吉は利口なので金貨は作ったが見せ金で、流通は銀と銅。金は貯蔵していた。

 

・この頃漂着した「リ-フデ号」で漂着したオランダ人「ウィリアム・アダムス→三浦按針」を重用して、世界情勢の勉強と

 

 秀吉の金を使ってオランダからの武器の購入を行った。これが関ヶ原の勝因。

 

・余談だが太平洋戦争開戦前、日本は金600トンで米国から石油・鉄を買った。これで勝てるわけはない。

  

「貨幣改鋳」

家康、秀忠、家光と金を浪費し、四代、五代で金はなくなった。ここに知恵者が出た。「荻原重秀」。有名な言葉(貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし)→貨幣の価値は幕府の信頼にかかっている。金の含有率か゜問題ではない。瓦でもいいのだ。これで幕府の財政難を救った。

 

・この理論で貨幣改鋳を行い、5千万両作った。この金で土木工事、造寺など公共事業を行い景気振興。これはケインズの有効需要論の実施である。