歴史再発見「黄金」から見直す日本史                 加藤 廣 

 

⑥「源平激突、勝者は東北の金を目指す 平安末期から鎌倉時代」

                                  13年5月7日() 20時30分~

源平の合戦を今に伝える文学作品は「平家物語」「源平盛衰記」、作者不詳。恐らくは武士として戦いに参加したが戦いに愛想をつかし絶望した者が、仏教の世界に入り書いたものであろう。次の冒頭の部分は素晴らしい。

 

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわすおごれる人も久しからずただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ偏に風の前の塵に同じ」            これは東洋の思想の根源である。

 

*沙羅双樹の花の色は釈迦入滅と共に白となった。

 

          平家は源氏に滅ぼされ、同時に金を持っていた藤原氏も滅亡し源氏の天下となる。このスト--である。

 

  源氏に独占されたことで朝廷も衰微していく。

 

②武士には三種類ある①もののふ ②つわもの ③さむらい もののふの特徴は

 

 ・恥を知る ・爽やかに生きる ・美しく死ぬ  平家はこの「もののふ」を体現した氏族であった。源氏はそうでない。

 

 (EX)  

・源義朝(頼朝・義経の父)は平治の乱で敗れ、匿われた先で騙され首を取られた。騙して首を持ってきた家人を平 清盛は怒る。かくまったのに騙したことを→平家にはこういう美意識があった。

 

・平 敦盛と熊谷次郎直実の有名な物語。平家の人達の美意識が見える。一の谷の合戦で逃れていく平敦盛に「返せ戻せ 敵に後ろを見せるは卑怯なり」ここで敦盛は取って返し組み伏せられる。

 泣く泣く直実は16歳の敦盛の首を取る。その後、世の中の無情を感じ、高野山へ出家する。

 

この場面の小学校唱歌「青葉の笛」は75歳上は覚えている。私も知ってるよ。

 

( 一の谷の 軍破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に聞えしはこれか 青葉の笛)

 

・屋島の合戦の扇の的 

平家の船の上に姫が扇をかざす。ここで義経は弓の名手「那須与一」に射させる。両軍やんやの喝采。次に平家の武者が舞を舞う。義経はこれを射殺させる。このことを平家物語は「義経 情けなし」と。

 

頼朝の家人梶原景時は義経軍の戦目付として随行していたが、このことを頼朝に報告。「武士の風上にもおけない情けない奴と」 所詮義経は、山奥育ちの「勝つためには何でもする、つわものでももののふでもない最低のさむらい」と。

 

(参考)梶原景時は後世、意地の悪い悪人に言われるがちゃんとしたもののふである

 

・安宅の関の「勧進帳」 弁慶と冨樫左衛門とのやり取り。 

 

この辺の事情をちゃんと書かない作家が多すぎる。平家物語を読んでいないのか?

 

③やがて義経は頼朝と不仲となり、奥州藤原氏のところに逃げ込む。むしろ頼朝は追い込んだといっても良い。

 

ここで藤原氏を滅ぼし、金を手に入れた。この金を元に天下をとることになる。ここで東北は歴史から消え去る。東北は全く不運な地域である。

 

④朝廷は金を断たれ衰微していくが生き続けるのはなぜか。

 

・空海が唐から持ってきた鉱山等の資料は朝廷(嵯峨天皇)に献上される。このことから空海と朝廷の関係が生まれ、東寺・高野山を賜り真言宗隆盛の元となる。

 

・朝廷は山伏に命じ全国で探査。最盛期には200300の金山銀山があった。 伊豆の土肥がその一つ。

  

ここから源氏三代は潰れ、妻政子の実家 北条氏の天下となっていく。しかし北条氏は思いもかけなかった「元寇」で滅びていく。北条 時宗の時。

 

この原因にも金が大きく関わっていた。