歴史再発見 漢字と日本語の文化史  

                      早稲田大学社会科学総合学術院教授 笹原 宏之

 

    130702 日本人と漢字の出会い (今日の漢字) 倭・和・山

漢字の歴史と言うと古代中国の話と思われるが、ここでは日本人がどのようにして漢字を受け入れてきたかを話す。

第一回と二回は日本人と漢字の出会い、日本人はどのようにして漢字と取り組んできたかを話す。

 

「漢字との出会い」

・BCからAC世紀頃中国との接触が始まる。後漢 光武帝がAC57年九州の小国家に「漢委奴国王印(かんのわのなこくおう)を与える。篆書体   福岡県志賀島で発見。

・三国志 魏志倭人伝 東夷伝倭人に日本のことが出ている最初。 日本のこと「倭」→チビな従順な奴らの意

・日本では自分たちの国を何といっていたか。→古墳時代には既にヤマトと言っていた。

 ヤマト→山(三輪山)の麓の国の意  一地方をさしていたが大和政権の支配が広まるにつれ全体を表すようになった。

・次にこれをどう書くかが問題。ここからが日本人の工夫。音でヤマト言葉を表す。

 雄略天皇の和名→獲加多支鹵(ワカタケル)

・古墳時代には渡来人が来て漢字の使い方を教えた。古事記、日本書紀、万葉集は漢字の音を使って書かれている。

8世紀頃には漢字を大和言葉にマッチングさせる作業が広く行われた。また正式な漢文訓読をレ点、一二点を使ってやるようになる。このやり方は朝鮮でやっていた。これを真似た。

この後、朝鮮はハングル文字に向かい、日本は漢字を自分たちが使いやすいように変えていった。

・漢字にヤマト言葉をあてがって、訓読みとしていった。このようにして漢字の日本的使い方が広まる。

第一段階  最初に漢字を理解するためにヤマト言葉をあてがう。

第二段階  山→ヤマのように 漢字をヤマト言葉で読ませる。 

 

「国の名前」  

当初中国から倭と呼ばれていたが、固有のヤマト言葉に変化させていく。

・倭→ヤマトと呼ぶ 

・倭を嫌い和(ヤマト)としたが、大唐にならい、大をつけ大和とした。このような使い方を熟字訓という。

古事記にすでに使われている。        日下 くさか、私語 ささやき、五月雨 さみだれ 、本気 マジ

このような熟字訓の発達は日本人が漢字を使いこなしている証拠。

・こののち、日本を使うようになる。この最初は聖徳太子の隋への国書。「日出づる国の天子・・・・」よりとる。ひのもと

・この後nipponjipponjipangjapan

 

「漢字の訓読み」

ドンドン漢字の訓読みが進むが、大和言葉が長すぎてうまくいかない場合もある。

政  まつりごと、承 うけたまわる、詔 みことのり、民 おおみたから