歴史再発見「元号文化の歩み」               京都産業大学准教授…久禮旦雄 

181030⑤「奈良時代の年号」

奈良時代(710794)は桓武天皇によって平安京に遷都するまでの時代。遣唐使の影響で中国の

国家制度・文化を積極的に取り入れた時代。この時代に入っても改元は途切れること無く行われ、

同じ年に改元したり四文字の年号も登場した。今回は710年に平城京に遷都してから、794年に

平安京に移るまでの年号の歩みを藤原仲麻呂の乱など歴史的な出来事を交え解説する。

 

「奈良時代とは」

和銅3年(710年)平城遷都から延暦3年(784年)或いは延暦13年(794年)平安遷都まで、平城京に都があった時代を云う。時の天皇は藤原京から平城京への遷都には消極的であったが、藤原不比等ら進歩派は遣唐使によりもたらされた唐の文化、都城、制度の導入に積極的で、新しい都の

建設を進めた。

 

「奈良時代の年号」

景雲 文武・元明  704年~708年  ・文武・元明の年号。雲の瑞祥によって景雲と改元 

和銅 元明      708年~718年  ・武蔵国秩父から銅が出たので改元

    元明      710年        ・平城遷都

霊亀 元正即位   715年        ・日本書紀完成

養老 元正      717年        ・元正天皇美濃行幸で養老の滝の瑞兆に会い、改元

天平 聖武即位   729年        ・長屋王の変

天平感宝 聖武   749年        ・陸奥で金を採掘で改元

天平宝字 孝謙・淳仁・称徳(孝謙重祚) ・孝謙は聖武の娘

                          ・淳仁は藤原仲麻呂(恵美押勝)の息子の未亡人が再婚

                           した大炊王は藤原仲麻呂(恵美押勝)の強い推薦で即位

                           したが孝謙重祚した称徳上皇により廃位された。

                           ・仲麻呂(恵美押勝)は孝謙と対立し、反乱を起こすが

                            敗退。

天平神護 称徳                 

天平景雲 称徳                 ・伊勢神宮に瑞雲が出たとして改元

宝亀    光仁                 ・天皇は奈良時代の、天武系より天智系に代わる。

                           ・光仁は「岩走る垂水の・・・」志貴皇子の息子で、

                            天智天皇の孫。

延暦    桓武   782年         ・桓武(山部親王)即位  

                           ・長岡京遷都

   ・平城京遷都(794年)

  

「コメント」

飛鳥時代に唐に倣って年号を作ったが、奈良時代からは継続的に年号を作ることになる。

如何に中国に倣って、先進文化を取りいれるかの時代。