歴史再発見「元号文化の歩み」  京都産業大学名誉教授  所 功  名古屋大学文学部史学科

181218⑫「元号法と平成改元

「大正・昭和への改元」

今上天皇で125代となる天皇制と元号には長い歴史がある。とりわけ明治以降「一世一代」として

推移してきた。

明治22年制定の皇室典範及び登極令(天皇の践祚及び即位礼と大嘗祭・元号などに関して規定した旧皇室令)に基づいて大正、昭和の改元は行われた。

「敗戦後の元号論議」

昭和20年の敗戦後、7年間の占領時代となる。戦前のやり方を徹底的に変えるべきとして、まず昭和21年に新憲法公布、22年に実施。憲法であった旧皇室典範は廃止され、新皇室典範は簡素化され通常の法律となった。

そして元号は皇室に関わる私的なこととして、皇室典範からは除外され、規定はない状態が続くこととなる。

(当時の情況)

・元号法を制定すべきとの意見は占領軍によって拒否された。

・当時使われていた昭和という年号は慣習的に使用することは許可された。

・昭和25年に参議院で社会党を中心として元号廃止論、西暦とすべしとの議論もあったが、

 多数意見とはならなかった。

「元号法の成立」

昭和54年に元号法が成立する。

 元号は政令で定める。 帝国憲法下では天皇が決める(勅定)→天皇から政府へ

「元号検討について条件」

・元号の考案者は、その案に選定の理由を付けること  出典・元号の意味する所・・・・

・元号は漢字で二文字

・過去に使われたものは除外する

・俗称されてないもの→世間で言い習わされていないもの

  会社名・商品名・建物名・・・・

「平成への改元」昭和→平成

昭和52年元号法成立(大平内閣)より、直ちに次の年号への準備作業が始まる。

これは候補名の考案・原案の絞り込み、選定・新元号の決定の各段階を経て行われる。

昭和天皇は昭和63年に重体になったので、新しい元号案を三案に絞り込み万一に備えた。

昭和64年1月7日崩御。直ちに新元号への準備作業が始まる。

・三種の神器、国璽(国家の印鑑)、御璽(天皇の印鑑)を昭和天皇から皇太子の下に移す

 これによって新天皇の誕生となる

・新しい元号の決定

 既に絞り込んであった三案の中から、官房長官・衆参議長・有識者で一案とし、閣議にて決定。

・平成の由来及び意味

 史記の「内平外成(内平らかに外成る)」と、書経「地平天成(地平らかに天成る)」に由来し

  「国の内外、天地共に平和が達成される」という意味である。

「コメント」

当時の国政レベルでは、元号の存続については否定的な勢力(社会党・共産党)が強かった。元号法の成立は地方からの意見を積み上げて、制定へと繋がったといわれる。現在でも否定的な人々は多く、私などは西暦で言われると換算しないと実感がわかない。更に今後新元号となると厄介になるのではと危惧している。

時代とその特徴を表す便利なものとして元号の利用機会が減少しないように祈る者である。