190917⑫ナポレオン誕生250年「帝政と近代国家」 

テルミド-ル革命で、恐怖政治のロベスピエ-ルなどの山岳派が倒され、穏健派の政府となる。しかし混乱は収まらずブリュ-メルクーデタ-で統領政府となり、ナポレオンは三人の統領のトップと

なる。ナポレオンは統領のトップ、皇帝になる時も国民投票で、国民の支持を取り付けて地位の

正当化を行った。

今日は国民国家として形を整えていく経緯を見てみる。

「フランス民法典」 一般法を定めたもの 

ナポレオンが制定に深く関わったので、ナポレオン法典ともいわれる。

近代国家の三代原則の「法の前の平等」「私的所有権」「『契約の自由』「信教の自由」「経済活動の自由」などの近代的価値観を認めており、以後の市民社会の法の規範となった。これはフランス革命からの思想の集約であり、ここにフランス革命の意義がある。以後の世界の近代国家の指針と

なった。

1804年に公布されるが、検討の多くの会議にナポレオンが深く関わっていた。カンパセレスが法律家としてリードした。

「ナポレオンの政治」

 カンバレソスはナポレオンの統領政府のNO2として、ナポレオンの右腕といわれる。大きな変動の

 中で、強力なリーダ-の存在が不可欠としたナポレオンに強く共鳴していた。

・ナポレオンは迅速に近代国家としての政治システムを形成し、経済の立て直しなどの施策を

 矢継ぎ早に展開した。中央集権を目指して、県知事、閣僚など官僚の任命制を行う。

・強力な権力を持ったので、しばしば独裁といわれる。 

・登用は能力主義であり、近代国家が要求する政策遂行力を優先し、出身を問わなかった。

「社会安定化の施策」

 ナポレオンは、革命後の社会の安定化を目指し色々な政策を行った。近代国家としてのシステム、

 都市社会の整備が追及され始める。

・経済政策として、事業投資による雇用促進

・交通網の整備 道路・橋・歩道の創設

・下水道、水道の建設

・セーヌ川の整備  水運の活発化

 

「コメント」

革命の混乱の乗じた単なる軍人のイメ-ジであったが、法律の制定や近代国家としての初期のモデルを作ったのだ。

やはり大した英雄であり、先が見え、人を見抜いて活用するのが上手い人。フランスというのは中々の国なのだ。