文化講演会「想像するちから~チンパンジーが教えてくれた人間の心~」 150726

                                 講演:松沢 哲郎(京都大学霊長類研究所教授)

外国へ行くことで日本の特徴・特異性が見えてくるように、人でないものを研究することで、人ならではの特性が鮮明になることがある。チンパンジー属とヒト属に分かれた後、それぞれの進化の過程で生じた両者の違いから浮かぶ「人間とは何か」について、1986年から毎年アフリカで野生のチンパンジーの生態調査を行い、チンパンジーの思考や言語能力の研究を続けてきた松沢教授が語る。

「北アメリカとヨ-ロッパには猿はいない」     先進国で猿がいるのは日本だけ

余り認識されていないが、北アメリカとヨ-ロッパには猿は住んでいない。先進国Gサミットの国で猿が住んでいるのは日本だけ。人間を含めて猿の仲間というのは約300種、何処に住んでいるかというと中南米、アフリカ、インド、東南アジア、日本。

ニホンザルは雪の中で暮らして居るので、Japanese MonkeyともいうがSnow Monkeyともいう。欧米の人にとってある種の形容矛盾、暖かい所にいると思っているのに、雪の中に猿がいるんだという、驚くべき存在である。

(形容矛盾→円い四角、木製の鉄など、名刺にそれがもつ性質と矛盾する意味を持つ形容詞を付すこと) 広辞苑

こうして先進国の中で唯一猿を持っている国という事が背景になって霊長類学という学問、人間を含めた猿の仲間の研究というのは日本から世界に向けて発信してきた学問である。

「チンパンジ-研究の理由」  Out  Group

チンパンジ-を研究することでどうして人間の心に迫れるのか、何故チンパンジ-の研究をするのか、その背景にはアウトグル-プという考え方があるのでそれから紹介する。簡単に言うと(外側にいるもの、いわばよそ者に目を向けた方が、

当該の対象をよく理解できる)という発想である。日本の歴史、政治、経済を勉強するのは大変だが、手っ取り早く理解するのは外国に行くこと。日本のレベルが分かる。でも現実にそういう気持ちで外国旅行している人は皆無でしょうが。

人間とは何か、という問いに様々な学問が研究しているが、敢えて人間でないものに目を向けることで、物を深く知ることによって人間を理解する。そういう学内的アプロ-チがあってもいいのではないか。と言う様に考えてチンパンジ-の研究をしている。このアウトグル-プと言う発想は、多分皆さんの日常の生活の中で結構有効な発想で、目の前に課題があるとしたら、敢えてそうではない所に目を向けることで当該の本質を理解するという事が往々にしてあると思う。

人間にとってのアウトグル-プは何か。チンパンジ-、ゴリラ、オランウ-タンは明確に人間の直近のアウトグル-プ。

「ヒト科は4属」  ヒト・チンパンジ-・ゴリラ・オランウ-タン

ヒト科ヒト属ヒト。こういうと言外にものすごく特別な生き物がいるというニュアンスになる。殆どの人は一科一属一種だと思っているが間違い。ヒト科は4属→ヒト、チンパンジ-、ゴリラ、オランウ-タン。

21Cになって初めてゲノム(全遺伝子情報)解読がされた。2001年にヒトゲノム、2005年にチンパンジ-ゲノム。DNAの塩基配列の98.8%までヒトと同じである事が分かった.21Cになって動物の分類が見直され、ヒト科4属で決着した。これは日本国の法令にも書かれている。種の保存法・動物愛護法。

「ヒトとチンパンジ-

オランウ-タンはスマトラ・ボルネオ。ゴリラ、チンパンジ-はアフリカ。ヒトもアフリカから出てきた。ところでヒト科共通の事は(尻尾がない)  尻尾のない大型の猿がヒト科である。余談ではあるが。

この4属は1200万年前に共通の祖先がいた。共通の祖先からアジアに起源するオランウ-タンになっていくものと、アフリカに起源するヒト、チンパンジ-、ゴリラになっていくものとに分かれた。その後800万年前にゴリラになっていくものとチンパンジ-になっていくものとに分かれた。ここで大事なことは、ヒト、チンパンジ-、ゴリラと並べると皆さんの素朴な理解はゴリラ、チンパンジ-が似ていると思う事である。完全な間違い。ゴリラだけ違うのである。ヒトとチンパンジ-は500万年前に分かれただけであって、一寸前まで一緒だった?    そういう事で一番近いヒト科としてチンパンジ-を研究することにした。

「アフリカでのチンパンジ-の研究」  ギニア ボッソ-のチンパンジ-は石器を使う

以上のような事でアフリカの西のはずれのギニアに出かけて野外でチンパンジ-の観察をすることになった。ボッソ-と言う村で1980年から30年に及ぶ研究になった。ここのチンパンジ-は石器を使うことで有名である。

一組の石をハンマ-と台にして固いアブラヤシの実を叩き割って中の核を取り出して食べる。石器使用から分かることはチンパンジ-に文化があるという事。アフリカの19ヶ国の熱帯林にチンパンジ-はいるが、それぞれの地域で使う道具の種類が違う事が分かっている。こうして一組の石をハンマ-と台にしてアブラヤシを割って食べるのはここボッソ-のチンパンジ-だけである事も分かった。人間でいえば我々日本人は箸を使って刺身を食うが、だからと言って人類が箸を使って刺身を食う訳でないのと同じ。何を食べるか、何を使って食べるかは地域によって決まっていて、親の代から次々と引き継がれている。

「ボッソ-のチンパンジ-」 真似る

こうしてチンパンジ-を研究した中で見えてきた(人間とは何か)という事について話す。人間の人間らしいところを「心・言葉・絆」と言ったことに目を向けてチンパンジ-を理解することで見えてきた人間の人間らしい特性について話をしよう。

心についての紹介であるが、その中でもとりわけ真似るという行為に着目してみよう。真似るという言葉は、それが語源になって、まねる→まなぶとなっていく。即ち学習するという背景にはまねるという行為がある。猿まねと言う言葉があるが、チンパンジ-でも真似るという事は結構難しい。子供は石器を使う大人の側でそれを見て育つ。4~5歳にならないと出来ない。1~4才は大人の様子を見て育つ。面白いことにこの時期に、親や大人は決して教えない。正しくやって見せるだけ。そうすると子供は自分の場所に戻って何度かトライする。これがチンパンジ-の学ぶ過程である。これを「チンパンジ-の教えない教育、見習う学習」と言っている。この「教えない、見習う学習」には三つのポイントがある。

・親や大人は手本を示す  手本を示すだけ

   人間だったらもう少しこうしてご覧、この方がいいよ、とか教えそうだがチンパンジ-は一切しない。

・子供が真似る

   放っておいても真似る  子供の側に親や大人を真似るという強い動機付けがある

・親、大人は寛容である

   子供が働きかけてもあっちへ行けとは決して言わない。ずっと相手になってやる。

このことを概説すると以下のようになる。

・お母さんが種を割っている。子供はお母さんの割った種を貰う。何回でも続く。しかし何とかして自分で割ろうと努力する。しかし割れないので、所謂「食物報酬」はない。そうするとチンパンジ-の場合の報酬が違うのである。種を食べるという事が報酬になっているのではなく、親や大人と同じことが出来るという事が子供にとっての報酬、とても大事なことの位置づけ。

親や大人は手本を示す→子供は真似る。この課程では親や大人は限りなく寛容。これが「教えない教育、見習う学習」である。これがヒトのアウトグル-プである。

「人間の教育」

チンパンジ-の教育や学習がはっきり分かった。そうすると振り返ってみて、人間の教育がくっきりと見える。人間の教育の特徴は何か。チンパンジ-はしないけれども、人間がする行動に気付く。

(手を添える、誉める、うなづく、微笑む、認める・・・・) これは人間に固有な教育の在り方。更には以上なようなことはしないけれども、ただ見守るという事もある。チンパンジ-のお母さんは見守らない。この見守るという事は、優れて人間の

教育に固有のもの。

「チンパンジ-の認知実験」  言葉は人間を特徴づけている。言葉で人間以外の生き物と隔絶しているか?

これを調べるためにチンパンジ-に言葉を教える研究を京都大学で行った。愛知県犬山市にある「日本モンキ-センタ-」、「霊長類研究所」  その歴史は50年になる。

最初パ-トナ-は「アイ」という女の子であったが、母親となりその息子のアユムに焦点を当ててチンパンジ-の子供の発達を調べた。それまで欧米で長年続いてきた研究と大きく違うやり方とした。欧米の研究ではチンパンジ-の子供を親から離して、人間の子供と一緒に育てて比較するというやり方。ここで行ったのは普通にお母さんが育てているチンパンジ-の子供の発達の様子を人間の子供のそれと比較するという方法。幸い母親と研究者の間には長年に亘る信頼関係、絆があるので協力してねと言えた。こうした研究の中で人間の子どもだったら覚えるだろうということを教えた。数字、アルファベット、漢字、図形。こうした研究は認知実験という。

(数字の順序)   一つの実験として、数字の順序に関する知識がある。

1~9のアラビア数字の順序をチンパンジ-に教えて認識していることは分かっていたが、このことを明確に示すために1-21-31-4・・・と画面にランダムに表れた数字を小さい順にタッチしていくことを4才で教えた。半年で出来るようになった。ここでマスキング課題と言うのをやってみることにした。1を押すと2-9は白い四角形になって数字の区別が出来なくなる。前に2-9があった所をタッチすれば正解。これは0.6秒で正解、人間には出来ない。一瞬で状況把握する力は

チンパンジ-は優れている。

(色を見てその漢字を答える)    赤・青・緑・黄・・・・・・10種

これは教えれば完全に出来る。だが逆に、漢字を出して色を当てさせると全く出来ない。関係ある事でも習っていないことは出来ないのである。しかし人間は教えられもしないのに、ある事を習うと他の事を推測する。

人間がするような推測、人間が言葉と言うものを成り立たせている対象の赤を、チンパンジ-は学ぶことは難しいという事が分かった。赤と言う音と、赤色との結びつきを我々は訓練を重ねて覚えているのである。チンパンジ-は優れた記憶能力はあるが、この言語的連想力と言うのは極めて限られている。

(心・言葉・絆)  仰向け姿勢

チンパンジ-の親子を見ていて、それをアウトグル-プとした時に人間の絆を特徴づけるユニ-クな姿勢がある。これが仰向け姿勢である。人間の赤ちゃんには全く当たり前であるが、チンパンジ-の赤ちゃんにとっては安定しないし絶対にならない。動物の中で人間の赤ちゃんだけである。人間はこの様に物理的に離れているから、声を出し意思をやり取りする。また仰向けでいるからこそ手が自由でものを操作する。順を追って説明する。

・まずニホンザルが四足で歩いているところをイメ-ジする

・止まると腰が落ちてしゃがむ姿勢となる、そうすると体幹は立っている

ここで巷にあふれている人間の進化の過程の説明が間違いであることを説明する。

間違い説→四足歩行だった人間は進化の過程で立ち上がるようになり、前足が自由になり、自由になった手でものを扱って、それが道具になり、道具を使う事で脳を刺激して更に複雑な道具を使うようになった。進化は二足歩行になってからである。

霊長類学者からすると全く考えられない、ありえない。

●何故なら猿の特徴は体幹が直立しているという事。木に登るのだから。霊長類が他の哺乳類と違うのは、生活圏を樹上に求めた事。従って木に登るには体幹が直立していなければならない。霊長類は体幹が直立して、四つの手を持つ生き物として定義づけられる。その後森を出てサバンナを歩くようになる。

●四足動物が立ち上がって人間になって手が自由になったのではない。四足動物が木からおりてサバンナを歩くとき2本の足が出来て、それが人間の進化なのである。そのことを如実に示すのが仰向け姿勢である。チンパンジ-。ゴリラの赤ちゃんを仰向けにするとモゾモゾ動く。もがいているのだ。彼らは本来お母さんにしがみついていなければならないのだ。

(仰向けの特徴)

人間の赤ちゃんだけがそうでない。生まれた時から離れているからこそ人間らしい特徴が出る。

・にっと笑う→新生児微笑、目を閉じているのに笑っているのは、笑う様に出来ているから、親は喜ぶけど。周囲の大人の注意を引く為に笑うのだ。

・夜泣き これは人間の赤ちゃんだけ。チンパンジ-の赤ちゃんは泣く必要がない。いつもしがみついているから。

・お母さんと離れているから、お互い声でやり取りすることになる。これが言葉のコミニュケ-ションとなる。微笑みのコミニュケ-ション、声のやり取り。

・仰向けなので手が生まれながらに自由 お母さんにしがみつく必要がないからでもある。

(助けるという行動)

お母さんが赤ちゃんを助けるというのはチンパンジ-でもあるが極めて限られている。人間を見ていると子供に頼まれもしないのに、自分から手を差し伸べるという事が頻繁にある。仲間内でも同じ事が起きる。

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絆と言う側面でチンパンジ-を見た時にチンパンジ-にはなく人間にはある顕著なものに気付く。それはお婆さん。お婆さんと言う社会的役割は、人間の発明である。アフリカでチンパンジ-の出産を調べた。これでいつ子供を産んでいつごろ亡くなるかが分かってきた。10代で出産、亡くなるまで生み続ける。生まないのに生きているのは人間だけ、動物は生まなくなると死ぬ。

年寄りが生きているのは孫の世話、こうする道を人間は選んだのである。

・赤ちゃんの視点からすると、オランウ-タンの場合は母親しか映らない。ゴリラも同じ。

・人間の場合にはお母さん、お父さん、お婆さん、お爺さん、学校に行けば先生。常に日々の暮らしの中に、他の動物ならお母さんの役を担う不特定の大人がいて、子供を育てている。それが人間の暮らしなのである。人間という生物は手間のかかる子供たちを短期間で次々と生んで周りの大人が協力して子育てをしている。

・オランウ-タンでは出産間隔は7-8年、チンパンジ-5-6年、ヒト1-3年。兄弟一緒に育つのは人間だけ。

これが出来るのは、周囲の社会的協力での子育てが出来るからである。

 

纏めるにあたって、もし人間とは何かと問われたら「想像する力」かなと思う。心・言葉・絆もこの想像力に由来している。

 

・チンパンジ-は今そこにあるものを見ている。人間はそこにないことを考えている。そうだとするとチンパンジ-の数字の

記憶力も不思議ではない。目の前にあるものを記憶するのはとても得意なのである。しかしそこにないものには思いが至らない。

・人間は目の前にいる人を見て、それがどういう心でいるのか、心の状態は、どう困っているのか、そこですすんで手を

差し伸べるという意味での想像する力が備わっている。

・思い出されるのはレオという障害のあるチンパンジ-。全く動けないが、悩んでいる、絶望している風がない。彼には

今しかないし、将来は見えていない。簡単に言うとチンパンジ-は今ここと言う世界に生きているので絶望しない。明日の事でクヨクヨしない。人間は想像する力がある、だからこそ簡単に絶望してしまう。でも逆に現状がどんなに悲惨でも難しい状況にあっても明日、将来を信じて希望を持つことが出来る。それが人間だと思うようになった。沢山の方々の協力があって、このような研究を日本で、アフリカで出来ることは有難いことである。

 

「コメント」

・整理されて分かり易い講演ではあったが、1時間でこれだけの事を話すので省略もあって繋がりが理解できない所もあった。著書を見てみる事にしよう。

・お婆さんの役割をもっと詳しく。人間特有の年寄りの役割をもっと世間に知らしめると元気になれる年寄りも多いのでは。

・又遊びほうけているお婆さんへの警告ともなる。何のために生きていると思っているの?

  お爺さんは遊んでいてもいいらしい?

・抱っこばかりせがむ子は、チンパンジ-並み?