160605文化講演会「ゴリラのように泰然自若」  山際壽一 京都大学総長 26代

人類学者霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者 国立市立国立第一中学校都立国立高校を経て、京都大学理学部卒  伊谷純一郎を師とし、人類進化論を専攻、ゴリラを主たる研究対象と

して人類の起源を探る。

 

「初めに」

今日はゴリラとの比較から私達人間の家族の在り方を話す。一昨年の10月に京大総長に任命された。記者会見があって抱負を所望された。私はこれまで30年ゴリラの研究をしてきた。大学の経営

など殆ど関わったことはなかった。

大学のトップになるなど考えてもいなかった。座右の銘を聞かれて、咄嗟に思い浮かべたのはゴリラの顔であった。

そして思わず「ゴリラの様に泰然自若」だった。しまったと思ったが、いいやこれで行こうと。よくよく

考えると、大学というのはジャングルに似ている。多様な学問によって成り立っている。ジャングルも多様な生命によって成り立っている。其々の生物は色々な種に分かれているが、他の種の生き方を知っているわけではない。しかしジャングルは生態系として一つのまとまった生き物の集まりが維持

されている。大学も同じ。例えば京都大学というのは、3万人からの集団である。お互いどんなことをしているのか分かっているわけではない。皆、俺が世界で一番偉いと思ってやっている。それが余り喧嘩もせずにうまく互いの領分を守って、でも新しい学問を踏まえながらやれているのは、大学と

ジャングルが似ているからではないかと。

しかし両方とも単独では存続しえない。ジャングルは太陽の光と豊富な水、大学はお金と世間の

支持。それらをうまく整えるのが総長の役目だと考えている。

「ゴリラは負けない→ニホンザルとの比較」

これにはいくつかの意味がある。私がゴリラの中で一番凄いと思っているのは、「コリらには負けるという事がないこと」つまり彼らはまけず嫌い。ここが、私がゴリラを研究する前にやっていた

ニホンザルと違う所。ニホンザルは勝ち負けを前面に出して、自分と相手のどちらが強いかを予め

認知して、強い奴の前ではへつらう・弱い奴の前では威張る。

これは人間から見ると、卑怯で不自然であるが、実は共存のための彼らなりの賢いそして効率的なル-ルなのである。

ケンカを長引かせない、最初に勝負を決めたら、戦う必要がない。でもゴリラの場合は負けず嫌いでメンツがあるので引き下がらない。だから第三者が必要になってくる。「まあまあケンカしないで平和にしましょう」と。第三者は群れの中の誰でもいい、メンツを保って引き分ける方法を提示してくれるのである。これがゴリラ社会の共存の方法である。

「人間社会はゴリラ型かサル型か」

どちらなのか。最近の日本社会はサル社会に近付いているのではと危惧する。しかしニホンザルの行動を見ているとイジマシイとか、何と卑怯なと思えてしまうのは、人間はゴリラ社会に近いからだと思える。

「霊長類の研究」 テ-マ→家族の研究

京都大学では1948年に今西先生が霊長類研究グル-プを設立して、まずニホンザル次にゴリラの研究を始めた。

ゴリラの住んでいるアフリカはその頃独立運動の最中で中断、再開は20年後であった。

何を調べたかったのか→人間の家族の起源は何か。

霊長類学というのは、今いる人間の特徴というのは、過去に別の目的で作られた。そしてそれを知ることによって私達の今の行動はどういう意味があるのかという事を理解する学問である。例えば我々の手の指は器用である。PCを操作したり、ピアノを演奏するために進化したわけではない。この指は数百万年前に進化して出来たものである。別の目的の為に進化したものを、今は他の目的の為に使っているのである。

恐らく人間の心についても、社会についても同じことが言えるのだと思う。我々は家族で暮らす事を

当たり前と思っている。でもその家族はいつ生まれたのだろう。はたして今の社会の在り方に合致

しているのか。→元々違う時代に違う目的の為に作られたのではないか。これが研究のテ-マで

あった。何故なら、人間のような家族を作っている動物は他にいないからである。

「動物の家族の在り方」  人間の育児の特異性

例えば鳥は生涯(つがい)で過ごす。これは家族ではないか。しかし人間とは背景が全く違う。鳥の卵というのは、母鳥の体内には数時間か数日しか入っていない。卵を温めるのは父鳥でも母鳥でも構わない。更に孵化すれば母乳をやる必要はない。それに較べて、人間は哺乳類だから、10ヶ月も体内に胎児を抱え、生まれてからも何年も乳を与えねばならない。確かに夫婦で子育てをする哺乳類はいる、

オオカミ・キツネ・・・・。しかし彼らは肉食獣であり、獲物を取ったら胃に貯えて、子どもに与える。し

かし人間は霊長類で猿の仲間なので、毎日毎度食事をしなければならないし肉は主食ではないし、幼児は食べられない。そういう子育てを夫婦でだけでやることは困難なのである。ここに家族成立のKeyがあるしかしサル・チンパンジ-・ゴリラには家族はない。人間だけなのである。何故か。

猿とは違う進化が人間の中に起きたに違いない。そして人間の家族の在り方は世界中変わらない。そこには生物学的背景があるに違いないのである。

「人間の家族の特徴」

家族(広辞苑)

 夫婦の配偶関係や親子、兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する

小集団。社会構成の基本単位。 

まず言っておきたいのは、人間の家族は単体では成立しえない。複数の家族が集まって共同体、

地域社会を作って初めて機能する。動物の集団というのは個体がその集団を離れると、元の集団との関係は切れてしまう。しかし人間は一つの家族から出て行って別の家族を構成しても、元の家族との関係は切れず家族が結びついて行く。そうして家族だけでは出来ないことを複数の家族が

まとまってやっていく協力関係を作るのである。

<家族は見返りを求めない>

人間の家族は奉仕するのが当たり前で見返りを求めない。しかし共同体では見返りが原則になる。動物の世界ではこのどちらも成立しない。チンパンジ-には家族はなく、集団しかない。

 

以上の事から人間がゴリラやチンパンジ-から別れ、人類700万年の歴史の中で独自の進化があったことを表している。

<人間社会独自の進化は何か>

現在では知る手掛かりはないので、人間と別れて同じ時間をかけて進化してきたゴリラやチンパンジ-の社会を調べ比較する事しか方法はない。そこで、ゴリラ社会に留学した。それは人付けという

方法で、今西先生は弟子たちに「お前は今日からサルになってこい、ゴリラになってこい」と言われた。そこで私はゴリラの中に入った。面白いことを色々と発見した。

・ゴリラは対面してコミニュケ-ションをする。

 これを発見した時は驚いた。以前ニホンザルの研究をしていたので、ニホンザルと言うのは相手を見つめるのは強いサルの特権。または威嚇である。怖いお兄さんがやるアレである。(ガンヅケ)

ニホンザルの世界では弱いサルは強いサルの目を見てはいけないのだ。ゴリラの世界に入った時、9歳のオスが私の顔を20cm位でマジマジと見つめ始めた。当時サルしか知らないので、これはヤバいと思って下を向いた。近くに来て下から見上げるので、後ろを向いたら回ってきて又見つめる。

そして憤慨したように胸を叩いた。その時は分からなかったがゴリラ同士でこのような仕草をして

いる。挨拶・遊びの誘い・交尾のサイン・喧嘩の仲裁・何かをねだる・・・。何かのサインなのである。

これで対面してじっと見つめる意味を知った。同じようなことはチンパンジ-もやる。これが類人猿とサルとの違い。サルでは対面は威嚇、ゴリラ・チンパンジ-は対話なのである。我々人間はこちらの方に属する。

<対面する理由> 目→白目

しかし人間は対面には距離がもっとある。20cmのゴリラ並みの距離は赤ちゃんとお母さん、恋人

同士。人間は言葉があるので通常は距離を置く。→安心対面距離 1mから2m。対面する理由は

何であろうか。目である。そして白目は人間だけにある。人間は、対面している相手の自分に対する評価、或いは感情を知るために白目を手掛かりにしているのである。目の些細な動きから相手の

心の動きを読むのである。だから大事な時には直接人に会うのである。

言葉は学ぶ必要があるが、目の動きの読むのは赤ちゃんの時から備わっている。予め遺伝子の中に組み込まれているのだ。

<人間に家族が出来た理由>

それを知るにはゴリラの子供と人間の子供を比べてみると分かり易い。

ゴリラの体重   オス 200kg  メス 100kg   赤ちゃん  1.8kg→50kg(5歳)

人間                            赤ちゃん  3kg→20kg(5歳)

・人間は未熟で生まれ、成長が遅い。

大きな体重で生まれてくるのは成長して生まれてくると思われるが、人間の方が未熟。又人間の方が成長は遅い。

  乳離れ→ 人間 1歳  ゴリラ  4才

・人間の赤ちゃんの特徴 

  未熟で生まれる、成長が遅い、良く泣く(ゴリラは泣かない)、乳離れが早い。

特に人間の赤ちゃんが良く泣くことに大きな秘密がある。→自己主張

・何故人間の赤ちゃんは成長が遅いのに早く乳離れするのか。

  人間が700万年前頃チンパンジ-と別れて、食物が豊富で安全なジャングルを出たことによる。  

  これはジャングルの衰退と気候変動によるジャングルのサバンナ化に起因する。この時、

  広範囲に分布する食料獲得の為に得たのが、二足歩行。人間はジャングルから出たことで、

  サバンナの肉食獣の餌食になる危険が増大し、その時まず犠牲になるのが赤ちゃんである。

 ・ジャングルから出たことによる育児方法の変化  出産間隔の短縮→毎年出産

  まず子供を沢山作ること。これには二つの方法がある。猫・犬・猪の様な多胎。出産間隔を短縮

  して沢山生む。人間は後者を選択した。その為には赤ちゃんへの授乳の早い停止、授乳中は

  ホルモンの関係で妊娠しない。

  これは哺乳類の特徴である。因みにゴリラは4~5年間授乳する。

  又人間の赤ちゃんは、乳離れしても永久歯が生える6歳まで、固いものは食べられない。

  この様に人間だけが、動物の中で不経済な育児をやらねばならなかったは、子どもを沢山作る為

  であった。

 ・人間の脳容量の増加→  頭が小さいうちに出産。

  脳が大きくなると困った事が起きる。二足歩行になって骨盤の形の変化→産道が狭くなった→

  難産。

  この為必然的に脳=頭が未熟児のまま小さく生んで、出産後急速に大きくする必要に迫られる。

  赤ちゃんの頭骨は内側外側二つの骨で出来ており、出産時には縮まって出産後急成長する。

  人間の頭     生後1年で2倍となり12~16歳で大人の頭の大きさ(思春期)

  ゴリラの頭    2年で大人の頭の大きさ

  ・人間の子供は生まれてから脳の発達の為の多量のエネルギ-が思春期まで必要。

   脳が発達し終わってから身体の成長の順となる。  

 

脳の発達優先なので、身体の成長が大幅に遅れ、育児に手間がかかる。父母だけでは育児が

不可能。これには家族による共同保育が必要となる。この事が家族が出来た理由である更には思春期を過ぎないと一人前にならないので、共同体による保護が求められる。活躍するのが、

老齢期の人々と、姉兄、従妹たち。近所のおじさんおばさん。

  ・この結果起きるのは、早い閉経と体力のある老人

  閉経後20~30年、生きるのは人間だけ、サル・チンパンジ-は閉経後4~5年で死亡。だから

  昔の女性の寿命は60~70才。老年期が長いのは本来子育てへの協力の為で、趣味や旅行や

  ゴルフをするためではない。これが老人の役割なのである。

   <人間の赤ちゃんのコミュニケ-ション>

 人間の赤ちゃんは自己主張して泣くのである。不安なのである。色々な理由で人間のお母さんは

 生まれてすぐ離す、ゴリラは1年間は決して離さないで抱いているので安心しておとなしい。離す

 理由の一つに人間の赤ちゃんは重い、これは急速な脳の発達の為の脂肪を蓄えて生まれて来る為。体脂肪率 15%(人間)  5%(ゴリラ)

ゴリラは母以外の育児はないので、何のコミニュケ-ション能力もいらないが、人間の赤ちゃんは共同保育を前提に生まれて来るので言葉以前のこの能力が必要。

・赤ちゃんの絶対音感

 遺伝子の中に組み込まれた絶対音感を持って生まれて来る。音の高さ、抑揚で母親、他の

 保育者を聞き分けている。だから子守唄が生まれ、この能力は全世界の赤ちゃん共通なので

 ある。だから言葉は分からなくともあやすことは出来る。この絶対音感能力は、言葉をしゃべる

 ようになると衰退、トレ-ド・オフの関係

  ・全世界共通の音楽的コミュニケ-ション

   赤ちゃんが持っている音感によるコミュニケ-ションが大人に影響している例が、全世界共通の  

   音楽的コミュニケ-ション→言葉をしゃべる前に持っていたコミュニケ-ション。言葉は意味を

   伝えるのに対し、音楽は感情を伝えるのである。これが人間には音楽があって、共感を呼び

   起こす原因である。

グル-プに音楽があると共感を呼び覚まし、連帯感が高揚する。→国歌・校歌・社歌・

応援歌・・・・

 

「まとめ」  現代のコミュニケ-ション 今後の我々の生き方

子どもの育児養育の必要性からの家族・共同体の成立が人間社会成立の原点なのである。

其れで人間は自分の利益を減じても集団の利益に尽くそうとする。これは文化ではなく、生存の

為に必要だったのである。

   ところがこの家族が今弱体化している。家族が役に立たなくなったのではなく、その家族を

   支える仕組みがコミュニケ-ションによって変わってきた。

以下の事が減じて来ている。

 ・対面して信頼関係を作る。目、仕草、接触・・・・

 ・一緒に食事をする→とても大事な事

 ・対話

 まず家族が顔を合わす機会の減少、会わなくともコミュニケ-ションできるツ-ルの発達。

 情報という面では効率的であるが、対面して会話するという事は信頼関係を醸成するための

 もので在った筈である。それを現代人は失いつつある。便利さ、効率、経済性を追求する余り、  

   これは個人を自由にしたが孤独にしている。これは自分が生きる理由を計りかねることで

    ある。

人間は共同保育を始めた頃から、一人で生きられない存在となった。それは人は相手に期待

されて存在するからである。周囲の人に認められて存在している。それは言葉によって作られた

のではなく、視線や態度、人が自分に示す様々な所作から成っている。我々はIT社会から

逆戻りは出来ないが、賢く使っていかなければならない。

その時に考えねばならないのは我々の社会にとって大切なことは何かという事。それは未来

から、自分を見つめること。

子どもたちを未来に役に立つ人材とするように、きちんと育てること。家族共同体の役割を

理解させること。

これを忘れずにそれぞれの世代の役割を果たす事であろう。これがゴリラから学んだことで

ある。たかがゴリラと言う勿れ。

 

「コメント」

この話は前に聞いたことがあったが改めて聞いて、昔ながらに生きているゴリラの方が幸せ

なのではないかと感じる。今は技術進歩に翻弄されて動物としての能力の喪失、信頼関係を

築けなくなっている。私達世代は慨嘆しているだけだが、若い人たちの苦労も察してやらねば

なるまい。食事会・飲み会をしっかりやろう。