私の日本語辞典「万葉語の由来をさぐる」                    講師    夛田 一臣(東京大学名誉教授)

                                               聞き手   秋山和平アナウンサ-

151024④ 万葉語の由来をさぐる

「秋山」

一回目に万葉語の由来と古代人の世界観というか、その時代の人々がどのような考え方で文学表現に繋げていったのかというような話を聞いた。二回目、三回目とアイウエオ順という形で「万葉語誌」と言う本を手掛かりにして色々と解説

して貰った。「アカ」「あそび」「うつくし」「うるわし」「香」「影」とか。今回はさ行からとなるが、少し先月の続きを踏まえて

面白そうなものを加味して語彙を話して下さい。「語る」という言葉は万葉語誌となるとどういう所が面白いのか。

「多田」

語るというのはとても様式的な言葉の発話行為であるが、面白いのはその場合にある種の力が働くという事。これは同僚

だった藤井貞和(詩人)がいう事だが「語るというのは人を動かすという力を持つような発話行為である」これはすぐ思い浮かんだことであるが、ペテン師ああいう人たちは、あれがまさに語りの技術者なのである。人をそのように仕向けるというか、その気にさせるとか、そういう力を持つような言語行為それが語りだという事。

「秋山」

「万葉語誌」に強いという字に語を付けて「強語→しいがたり」と言うのがあるが、今の事ですね。

「多田」

この事に関しては面白い話がある。強語りと言うのは万葉集の歌に出てくる持統天皇と志斐(しい)(おみな)との会話。

不聴(いな)と言えど()ふる志斐のが(しい)(かたり)このころ聞かず朕恋にけり」巻3-236  持統天皇

もう聞きたくないと言っているのに無理強いする志斐の強語りだけれど、このごろは聞かないので久しぶりに聞きたくなったわ

(いな)と言えど語れ語れと()らせこそ志斐(しい)(まお)(しい)(かたり)という」  巻3―237 志斐の嫗

もうお話ししませんと申しているのに語れ語れと仰るので志斐は語るのです。これこそ強語りでございましょう。

志斐は「しい」と言う名の氏の出身である。

 

持統天皇が「お前が言ったのは強語りではないか。」これには無理強いして語るという意味があるが、これへ答えて志斐の嫗は「あなたが語れ語れと仰るので私は語っているので、これは決して強語りではありません」と言っている。ここには強語りと言う言葉があるが、志斐の嫗の「しい」という(うじ)に関わってもっと面白い話がある。祖先に、花の名を間違えて「こぶし」と言ってしまったが、後からくどくどと言い訳を言って「私は間違えていません」と言った人がいたという。つまり、無理やりこじつけて、相手を言いくるめた人がいて、これが「しい」の(むらじ)の起源になっているというエピソ-ドがある。この事が「強の語り」の本質を表しているのではないかと言われている。

芸能としての語りにはそういう意味があって、聞いている人をその様に動かすという力を持つような、又相手を感動させるそういう在り方が語りの本質だと思う。

「秋山」

万葉以前の古言(ふること)というか、祝詞(のりと)とか、そういう色々な事がありますが、そういうものから派生しているものでしょうか。

「多田」

それが語りである。今でも語り部という言い方があるが、そういう事を語ることで人々の心を動かすという意味がある。

「秋山」

強語りのエピソ-ドは面白い。

「多田」

脅迫めいたり、言いくるめたり、こじつけたりそんなことをしている訳である。

「秋山」

そこには一寸、虚と言うか実ではない、虚が混じるというのが語りの中にはあるのだ。

「多田」

多分そうでしょう。実在しないものをあたかも実在するかのように聞き手の前に出して行くというのが語りの本質である。

「秋山」

それに比べると表現でも歌うというのは少し違ってくるわけですか

「多田」

歌うというのは難しい言葉で色々な説がある。歌うというのは、相手の心に直接訴えるというのが起源だという説がある。これは語源的に言うと間違いであるが、説明的には成り立つと思う。つまり相手に働きかけるというのを、情緒的にやるのが歌の本質であろう。
「秋山}

さ行の中に「さき」「しる」「しるし」「そら」…とあるが、取り上げてみようというのはどれですか。

「多田」

「そら」は「空言(そらごと)虚言(そらごと)」の空で、虚実の虚である。古代人は天上界と言うものを考える。これが高天原(タカマノハラまたはタカアマノハラ)である。これはある意味では実態のある世界と考えた。それに対応して地上界がある。(そら)(そら)というのは

何もない世界と言う意味、空虚である。要するに実態である天上界と地上世界との間の漠とした空間が空である。

天上世界の事をアマとかアメとか言うが、これは実体のある世界と考えられていた。都と(ひな)という言い方があるが、

「天離るあまざかる」という向う・(ひな)にかかる枕詞がある。都と言うのは天皇のいる空間なので都には天上世界があるが

、鄙にはないのである。それで天離るという言い方になる。(あま)と言うのは地上世界の神である天皇のいる空間でその天皇は天上世界から地上に降りてきた神として考えていた。故に都は天上世界に繋がっていなければならない。鄙は天皇のいない所なので、そこには天はないのである。所が後世になると天上世界があるとは信じなくなったので、何もない空が上まで続き全てが空になってしまった。天地が分かれたという考え方がある。そうすると端では繋がっていると考える。そうすると海の果てでは天上世界と繋がっているので天も海もどちらもアメ・アマなのである。海に潜る人の事を海女と言うが、これは海に潜る人だけの事ではなく、海に関係する職業人は全てアマ(海人)なのである。海自体もアマなのである。

「秋山」

次にた行に行くと「戯言(たわごと)」「手弱女(たおやめ)」「(ちまた)(ちまた)(ちまた)」・・・・・・

「多田」

(ちまた)と言うのは面白い言葉で道と関係がある。道と言うのは本来はチだけである。ミは接頭語。チマタと言うのはチのマタなので道が分かれている所でチマタということになる。ミという接頭語は聖なるもの、霊的な力を持つもの、そういう威力を発揮しているものに対してミという接頭語を付ける。何故チにミが付くのかと言うと、今の我々は地図を持っているし全体をほぼ把握している。昔はこの道が何処に綱がっているかを考えると、これはとんでもない世界、地の果て、この世では

ない所に繋がっていると考えていた。訳の分からないものがその世界から来るかもしれない。道と言うのは未知の神秘的な空間だと思っていた。これでミという接頭語が付いた。

衢と言うのは道と道が集まっている所だから、色々な事が行われる。現実的には市が立つ。神秘的な空間なので占いが行われる。辻占(つじうら)と言うのがこれである。辻は衢なので、今でも行われている所がある。東大阪市の瓢箪山稲荷神社。

辻占とは? 広辞苑

 ・四つ辻に立ち、初めに通った人の言葉を聞いて吉凶を占う

 ・偶然起こった物事を将来の吉凶判断のたよりとすること

 ・紙片に種々の文句を記し、煎餅などに挟んで、これを取ってその時の吉凶を占うもの→辻占売り

「秋山」

衢には地域社会ではない人がいるかもしれないと思っているわけですね。

「多田」

他所から来た人は未来を予言する力を持っているかもしれないと信じていた。逆に言うと道はそういう空間で、悪いものもいるかもしれない。病気の様なもの疫病神、古代の考え方というのは自分たちの村と言うのは素晴らしい所で、悪いものは外からやってくると考えていた。病気もその一つ。そこでそういうものが入ってこないように村の入り口に注連縄とか何か恐ろしいものを置いて防いだ。

「秋山」

万葉集が出来上がる時代に「長屋王」の事件があって藤原四兄弟が主役であるが、後全員天然痘で死去。どこからか

疫病が入ってくるのですね。

「多田」

大陸からの天然痘の伝染。また当時「遣新羅使」と言うのがあったが、これが天然痘に罹って壊滅的状態で戻ってくる。

唐、新羅、日本間の外交的緊張の中での使節であったが使命も果たせず大使以下大勢の病死。このように疫病も含めて悪いものは全て外から入ってくるという考え方あった。今でも飛鳥に行くと勧請(かんじょう)(なわ)と言って男女の陽物陰物を注連縄に飾って疫病退散という呪術的な祭りが行われている。衢はこの様に色々なものが集まる特殊な空間であると考えていた。

私の好きな万葉集君が行く海辺の宿に霧立たば()が立ち嘆く息と知りませ 巻15-3580 遣新羅使の妻

「秋山」

た行から道の関係で言うと、ハル。春と言うと膨らんでくるとかそういう事も関係するのですか。

春→草木の芽が張るの意、又は田畑を()るの意   広辞苑

「多田」

ハルと言うのは木の芽も張るという言い方があって、要するに冬と言うのは全てのものの生命力が枯渇の状態、冬は

「こもり」の期間、こもりの中で少しずつ力を蓄える再生のための力であるが、それが一気に膨らんで開く、それが春。

古くから言われていることであるが、冬と言うのは殖えるという増殖するという意味の「()ゆ」と関係がある。表面的には死の季節、実は新たな生命力が徐々に増殖している状態で、これを冬籠りというのである。

一方の秋と言うのは、飽き飽きするのアキである。豊かに実るという意味で色々なものが豊富で飽き飽きする位の状態を言う。これは当然願望であって実際にはそう簡単なものではなかった。作物が実って満ち足りた状態が秋(飽き)であり、

それが語源である。春と秋が基本で夏の語源はよく分からない。

「秋山」

夏と言うのは和語と考えていいのか。

「多田」

そうである。春と秋が中心だというのは、歌の世界を見れば判る。万葉集でもそうだが古今集以降の勅撰集では、夏と冬の歌は少ない。古今集で言うと、春と秋の歌は2巻ずつあるが、夏と冬は1巻ずつ。

中国の春夏秋冬から来ていると言われるが、四季は対等ではない。どこから分かるかというと、例えば春になることを

「春立つ」という。また「秋立つ」と言うが、夏立つ・冬立つはない。これも中国的な二十四節気の立春、立秋から来ているとの説もあるが間違い。もしそうであれば夏立つ、冬立つがあってもいい。

 

「コメント」

一つ一つの言葉にその語源、元々の意味がありそれを今は何も考えないで使っている。そのことに気付くと、言葉をもっと大事にと思う。タイムスリップして古代人と会話したらどうなるか、現代の若者はまるで通じない、私達ならどうだろう?今回も秋山アナウンサ-は浅薄なにわか仕込の知識で、口をはさむ。余計分かりにくくなる。

同等の知識を持つ人達なら対談の意味もあるが、無知と研究者では無理。