詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人)    青春 望郷 日本人の幸福

 

13年2月15()  ふるさとの訛なつかし  「一握の砂」の魅力 2

今日は望郷を中心に話す。どんな心から生まれてくるのか。人が望郷の歌で一番思い浮かべる歌は文部省唱歌の「ふるさと うさぎ追いし・・・」この3番「志を果たしていつの日にか帰らん・・・」で涙ぐむ人が多い。啄木では次の歌。

 

(ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく) 

・望郷とは離郷してふるさとを思うことで始めて出来ること。例えばヤマトタケルの(倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし)  遠くから心に描いた倭を懐かしむ歌。望郷は日本の歌の始まりである。

・この望郷を大きく変化させたのは、近代化。東京を首都ができて、地方から東京に出てふるさとを思うという形に変わった。    この望郷を普遍的にしたのが啄木。 

・帰りたいけど帰れないが、ふるさとへの気持ちだけには浸りたい都市に住む人の望郷の思いを歌にして共感を呼んだ。

・雰囲気に浸りに停車場に行く。どこの停車場がふさわしいか。東京駅、新宿駅、上野駅? やはり上野駅がふさわしい。

 

田舎の代名詞、集団就職、帰省列車    15番線にこの歌の歌碑がある。

・しかし啄木のこの歌には、単なる望郷だけではなく複雑な思いがある。

 

(石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし)

・色々な事情で追われるごとく、一家離散せざるを得なかった。わだかまりがある。

 

(かにかくも 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川) 

・万感の思いがこもった歌。思い出の岩木山、姫神山、北上川が見えてくる。渋民村は啄木のまほろばであった。

 

(馬鈴薯の うす紫の 花に降る 雨を思えり 都の雨に) 

・東京の雨を見ているが、いつの間にかふるさとの雨に心が行く情景。雨が啄木をふるさとに誘っている、不思議な歌。 

・何でもない歌だが、異郷に暮らす人の孤独な思いが滲んでいる。

 

(やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに) 

・望郷の歌の中で、名歌中の名歌。望郷は東京での孤独を歌っているが、「泣け」という強い望郷の年は普通ではない。

・ゆったりと故郷を歌うのではなく、切実感がある。孤独感が強く伝わる。

 

(浅草の 夜のにぎはいに まぎれ入り まぎれ出て来し さびしき心)

・啄木は金が入ると、孤独を紛らわす為に浅草の遊郭に行く。しかし却って孤独は募ってきた。都会生活の孤独を絵に描いたようである。

 

(ふるさとの 空遠みかも 高き屋にひとり のぼりて 愁ひて下る)

・ふるさとは何と遠いのだろうとの歌。 「空に吸われし15の心」遠い日のふるさとの空に繋がる空である。

・結局、啄木は東京の生活に溶け込めなかった。

 

(何となく 汽車に乗りたく 思ひしのみ 汽車を下りしに ゆくところなし)

・啄木の歌には「なんとなく」が多い。理由はないが・・・・。

・今の自分から離れたくてあてはないが、どこか行きたい気分。どこに行っていいかわからない。漂うという気分。

 

(何がなしに さびしくなれば 出てあるく 男となりて 三月にもなれり)

・束の間の解消の繰り返し。エンドレスのさびしさである。

 

(空家に入り. 煙草のみたることありき. あはれただ一人 居たきばかりに)

・束の間の安らぎの場所を探している。会社にも家庭にも居場所がない。そう言う自分を哀れんでいる。 

・タバコで安らぎを表している。

 

(ある日のこと 室の障子をはりかへぬ その日はそれにて心なごみき) 

・これもまた、つかの間の気晴らし。牧水なら酒を飲む。朝 2合、昼 2合、夜 4合が普通。

・屈託を解消するのは人によって違う。 EX、鍋を頻りに洗う女性・・・・。

・啄木は和むためにはすぐ浅草に行き遊蕩。