詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人) 

                      歌書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」

 

13年2月8日()  九百九拾九の鉢を割る   一握の砂の魅力 

明治四三年に啄木第一歌集「一握の砂」が出版された。この年は前田夕暮、土岐善麿、与謝野寛、北原白秋、吉井勇等の歌集も同時に出た。明治30年代、与謝野晶子「みだれ髪」に刺激された若者たちが育ち歌集を出した年。今日は啄木がどんな魅力を持っているかを語る。

 

「一握の砂」 巻頭の歌 第一集の巻頭の歌には皆 歌人は苦心するものである。

(東海の小島の磯の白砂に我泣きぬれて砂とたわむる)  巻頭の歌

この歌は大きなものからどんどんズ-ムアップしていく。大きなもの→ちいさいものへと焦点を絞っていっている。

なんと女々しい男と思うだろうが、大きな世界の中で自分の小ささを表していると見るべきであろう。こういう歌を自賛歌という。オリンピック選手が「自分を褒めたい」というがこのこと。小説に挫折し突然歌にのめり込み、歌漬けの日々に出来た歌。

啄木はこの歌が気に入っていたので巻頭にした。最初の歌10首を「砂山10首」という。

 

(頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず)

 

(砂山の砂に腹ばひ初恋のいたみを遠くおもひ出する日)

初恋の記憶、実らなかったほろ苦さ、この気持ちを複雑にしないでストレ-トに歌い、

万人の共感を呼ぶ歌。初恋の歌ではベストであろう。

 

(大という字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり)

啄木の青春は孤独で挫折の連続、センチメンタルに彩られいるが,晶子の奔放で情熱的な歌より普遍的で人に受け入れられるであろう。

 

河野裕子 第一歌集「森のように獣のように」 巻頭の歌

(逆立ちしてお前がおれを眺めてたたった一度きりのあの夏のこと)

 

一握の砂は5章に分かれている。最初の章

1、  われを愛する歌

このタイトルは奇妙であるが歌う対象が自分自身であることが啄木の特徴。普通の人は対象物を他に求めるが。

(愛犬の耳斬りてみぬあはれこれも物に倦みたる心にかあらむ)

愛犬の耳を切るのが主題ではなく、自分の心の動きを観察している歌である。例えば人は写真を撮る時、対象物は他に求めるが啄木はいつも自分を撮している。

 

(怒る時かならず一つ鉢を割り九百九拾九割りて死なまし)

 

(こみ合へる電車の隅にちぢこまるゆうべゆうべの我のいとしさ)

以上の歌は、「自分を見つめるもうひとり自分がいる」という啄木の特徴である。常に自画像を描いている。自分を見つめ、コントロ-ルできない自分の自意識過剰を持て余しているのが啄木である。