詩歌を楽しむ「あるがまま」の俳人  一茶   二松学舎大学教授 矢羽 勝幸

 

    130419 今迄は踏まれていたに~修行期

・葛飾派という俳句グル-プに入る。江戸中心に上総・常陸・安房に勢力を持つ俳句集団。一茶は馬橋の油屋大川立砂のところで奉公をしており、立砂は俳人でもあったことから、ここで俳句の道に入っていった。

・先生は三人 溝口 素丸・小林 竹阿・小林 元夢

小林 竹阿に一番影響を受けた。また共通点もあり 旅行好き/仏教知識が豊富

 

「修行時代の作品」

   これからもまた゛行く帰り松の花             

先輩の喜寿の祝いへの挨拶句  八十八と言わずに100年に一度咲くという松の花のようにもっと長生きして下さい。

   象潟の今日は恨まず花の春  象潟は江戸時代まで景勝地 鳥海山地震で土地が隆起し海が干上がった。 象潟はいつも暗く陰気であるが正月の今日は陽気であることよ。

「松島は笑うがごとく 象潟は恨むがごとく・・・・」という芭蕉の文章のパロディ

   象潟や島隠れゆく刈穂船

   木々おのおの名乗り出てたる木の芽かな

擬人化している。春の木の芽はそれぞれに自分を名乗っているようだ。

一茶の句には古代日本人が信じていたアニミズムがあると言われる。アニミズム→自然界のものには全て霊魂が宿るとする考え方。

「草色々それぞれ花の手柄かな」 芭蕉  この句のパロディ  門人の句は其々個性があって素晴らしいなあ。

   酔ってから話も八重の桜かな

酔ったので話も大げさになっていったな  八重が掛詞 

   三文が霞見にけり遠眼鏡

三文で遠めがねで遠くを見たが霞だけで何も見えなかったよ

お金のことを歌うのは不見識とされていたが一茶は平気。一茶は都会に出てきた地方人。江戸に来るとここは商品経済・貨幣経済で金がないと生きていけない金銭万能。ここで一茶は現実を直視している。

   山寺や雪の底なる鐘の声

   今迄は踏まれていたに花野かな

今迄は雑草として人々に踏まれていたが、花が咲くと見直されるのだな。自分自身が出世して見直されることを言っている。

   年の暮人に物やる蔵もがな

年の暮れになって物をくれる蔵があったらなあ  もがな→願望の助詞

   富士ばかり高みで笑う雪消かな

低い山では雪が溶けているが富士山には雪が残り一人高笑いしている  

   さびしさはどちら向いてもすみれかな

感覚で作っていて素晴らしい

 

初期の一茶の特徴

・属した葛飾派は平易・通俗の俳風と言われるが、掛詞/古典のパロディなと゛を多用して言葉遊びの傾向がある。

・「踏まれて」「年の暮」なと後半の個性的な句も散見される。