詩歌を楽しむ「あるがまま」の俳人  一茶 二松学舎大学教授 矢羽 勝幸

 

    130510    江戸じまぬきのふのしたはし (江戸風になれなかった昨日の自分が懐かしい) 「江戸句帖」

 

父の発病で信州に帰り、看病から死、初七日までの1ヶ月を書いた「父の終焉日記」は私小説の先駆けと言われる。

 

(前回講義)

再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めつつ、貧窮の中で弟との遺産相続を巡る係争を続ける。その頃の作品を「江戸句帖」という。これに一茶風の個性の原型が見られる。

 

(秋立つや身は習わしのよその窓)

 一茶は自分のことを読む人。(自然主義文学風) この句は居候になってその家の習慣に染まっていく自分を詠んでいる。

 

(梅の香やおろしやを這わす御代にある)

文化元年 ロシア艦隊の「レザノフ」が長崎に来航したが、鎖国をもって追い払われたことを痛快だと詠んでいる。

 

一茶は国学にも通じて国粋主義者。しかし当時、こういう時節を読むのはご法度だった。

 

(僧正は野糞をあそばす日傘かな)

権力者をからかう句をよく作った

 

(木枯らしやじびたに暮るる辻諷い)  

落魄した浪人が木枯らしの中、道路で謡を歌っている、気の毒だな。弱者・落ちぶれた人をよむのが得意。

  

(又人に駆け抜かれける秋の暮)

葛飾の金町のいた時の句。この世の中は競争社会、また負けてしまったなとうなだれている。

 

(江戸じまぬきのふしたはし衣替え) 

江戸風に馴染まなかった昔の自分が懐かしい。江戸人らしく装っている人、また自分を疎ましく思っている。終生地方出身を誇りにしていた。

  

一時期、根岸に借家。荒れ果てた家に住むことになるが、5年ほどで旅の最中に追い出される。この後、再度信州に帰るまで旅に漂泊の生活になる。

 

(身に沿うや前の主の寒さかな)  前に住んでいた人の侘しさ、心の寒さまでくっついて来た様な気がする)

 

定住しない人、漂泊する人の悲しみが出ている。→これが信州に帰って家庭を持ちたいという願望になっていく。