詩歌を楽しむ「オノマトペのすてきな関係」     明治大学教授 小野 正弘

 

    130823 「しらしら」の晶子、「たんたら」の啄木~短歌その三

 

今日は明治時代以降の短歌におけるオノマトペについて見てみよう。正岡子規は俳句の革新運動をやったことは既に話したが、短歌においてもそれまでの絶対的主流であった古今集を排して、万葉集と源実朝の歌風を高く評価した。子規没後、同郷の高浜虚子か゜編集した遺稿集「竹の里歌」からオノマトペの歌を引いてみる。

 

「正岡子規」

 

はらはらともろこし黍(きび)を剥く音に しばしばさむる山里の夢

 子規が病床にあって歌った歌。病人は感覚が鋭くなっていて一寸した音にも目を覚ます様。     はらはら花びら・木の葉・涙など小さくて軽いものが次々と散り落ちる様

 

②昔見し面影もあらず衰へて鏡の人のほろほろと泣く 

 病み衰えたひと(子規)が、鏡を見てあまりの変わりように泣く。

 

へな土のへなの鋳形のへなへなに 置物つくるその置物を

 へな土(粘土)で鋳型を作ってへなへなして崩れそうな置物を作るがそれが見事なものだ。友人の金属加工をやる鋳金の専門家の作品を褒めた歌。

 

香取 秀真(かとり ほつま、1874 - 1954)は日本鋳金工芸作家歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学教授芸術院会員。

 

はしきやし少女に似たるくれなゐの牡丹の陰にうつうつ眠る   38、5度の熱で休んでいる時の歌。

 はしけやし(愛しきやし)→愛すべき・愛おしい  うつうつ→うとうと・うつらうつら 欝のニュアンスもあるか。

 

⑤日和風そよ吹き過ぎて若松のむら立ち青芽むらむら動く

       日和風→良い天候の風  群立ち(むらだち)→群り立つ  むらむら→  

          急にわき起こるさま

 

「与謝野晶子」 歌集では殆どオノマトペを使わない 使っても伝統的な使い方 

    梅雨晴(つゆばれ)の日はわか枝()こえきらきらとおん髪をこそ青う照りたれ  意味よく分からない

 

    二三騎は木の下かげにはたはたと扇つかへり下加茂の宮

     葵祭の流鏑馬の騎馬武者が涼を取って休んでいる様子。はたはたと

      キビキビと、素早く

 

    しらしらと涙の伝う頬写し鏡は有りぬ春の夕べに  なんの涙か、鏡に写すのか理解不能  多情な女?

 

ほろほろと涙散るなる心地して羽子突くことは物憂くなりぬ  

  なぜ羽つきをして泣くのか? ほろほろと伝統的な涙のこぼれ方

 

    はらはらと花びらのごと汗ちると暑き夏さへ憎からぬかな

たらたら→少しうっとおしい  だらだら→不愉快 ハラハラ→爽快な気分

 

    川上の峨峨いで湯に至ること思い断つべき秋風の吹く

  峨峨→山が険しくそびえ立つ様・漢字由来のオノマトペ

 

「石川啄木」 歌集一握の砂 551首で39首オノマトペ  少し多めかな

    いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つに

主体性のない砂のように、社会の流れに押し流されるこの自分の悲しさよ 自分を砂に仮託している

    目の前の菓子皿などを かりかりと噛みてみたくなりぬ もどかしきかな
イライラとした気分を表している

   つかれたる牛のよだれはたらたらと千万年も尽きざるごとし

   たんたらたらたんたらたらと 雨滴が 痛むあたまにひびくかなしさ  啄木の造語

   はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る

   はたはたと(きび)の葉鳴れる ふるさとの 軒端(のきば)なつかし 秋風吹けば  剥いて干している様子

   吸うごとに鼻がピタッと凍りつく寒き空気を吸いたくなりぬ