詩歌を楽しむ「オノマトペのすてきな関係」     明治大学教授 小野 正弘

 

    130927 詩歌とオノマトペの「すてきな」関係

最終回の今日は詩歌にとってオノマトペとは何なのかについて考えてみる。まず「すてき」という言葉について確認してみる。「すてき」   元の形は(す的)    今の(素敵)は完全な当て字

(すばらしい)   ()の元の意味である。()で始まる良い評価の言葉は(すごい)(すこぶる)(すぐれる)・・・・ 

() 中国語の()をそのまま音読した語で、その性質を帯びる、その状態をなす意を表す。

(すてき)は、(すばらしい) (すごい)(すこぶる)(すぐれる)をまとめて表した言葉である。

 

「詩歌とオノマシペがどうすてきな関係なのかを見てみる」 

・まず言えることは、詩歌とオノマシペの関係はそうくどくなく、あっさりとしたもの。

詩歌に無闇に使われるものではない。オノマトペを使いすぎると文章に味わいが無くなる。三島由紀夫は「文章読本」でオノマトペの使いすぎを批判。

    漢文の教養を元にした簡素で清浄な文章がベスト。

例えば「水が来た」と鴎外は書くが、これの元は漢文の「水来」。→理想的   

②の人達の悪い例を示している。 

    一般の時代物作家、大衆小説家、文学的素人は、くどくどと書いて煩わしい。これにはオノマトペが乱用されているのが通例。

    会話でもオノマトペを乱用する人は漢学の素養がなく、語彙力のない人。

  

・詩歌のオノマトペ

    使用は制限されており、よく使った一茶で7%。 茂吉 9%  俵万智  6% 俳句、短歌でも1割を越えない。

    短氏形では字句の制限上、無闇に使えないが詩では長いので比較的使いやすい。萩原朔太郎の詩では使ってないのを探すのが苦労するが、うるさく感じないのは使い方が上手いから。 

    詩歌とオノマトペは、そこそこの関係でベッタリとしていない。ほどほどなのですてきなのだ。

    そういつもくっついて一緒にいないが、一旦協力すると力強く頼もしいのは人間の関係でも普段見られることである。 

 

・新しいオノマトペ

    詩歌の作者は耳に聞いた音、自分で見た有様、止むにやまれぬ欲求から新らしいオノマトペを作り出していく。

芭蕉 ビ-(鹿の鳴き声)  憶良 ビシビシ(花をかむ音) 蕪村 ノタリノタリ(春の海) 

    日常会話で新らしいオノマトペを使うと浮いてしまうが詩歌という特殊な場では許される。

 

 

・動物の鳴き声とそれを映したオノマトペとの関係

    人間の言語は文節性であるが動物のそれにはない。文節性とは文が最小の単位に分けられること。

    非文節性の動物の鳴き声を文節性の書き方であらわすのはそもそも無理。よって作者は自分の感性でオノマトペを作り上げていく。

    詩歌で今までのオノマトペを使う方法もあるが、自分の耳にそう聞こえない時に新らしいオノマトペを作ることになる。 

 

「まとめ」

・日本語のオノマトペは具体性を表し体感的な実感を伴うものである。あるオノマトペを聞けば実感が湧くし聞いたことのないオノマトペでも感覚が伝わってくる。

 

 啄木 タンタラタラタンタラタラタン(雨の落ちる音)    中原中也  ネりりキルルハララ(火星人の動作)

 

・オノマトペの持つ実感と詩歌の持つ韻律・リズムが調和して何とも言えない魅力が生まれるのである。