140110「万葉集の魅力」

飛鳥時代から奈良時代(7世紀~8世紀)に詠まれた歌が1300年を経過して、なお読み継れているのは何故だろう。

日本最古のアンソロジ-「万葉集」の色褪せない魅力をさぐる。遥か昔に作られたものに何故感動、共感するのだろう。ここに万葉集の魅力の源泉がある。古代の人々が感じたことと、現代の私たちの気持ちが繋がるその理由は

    「1300年以上前に、生きていた人々の心と現代の我々の心の根っこの部分が同じ」だからである。

    万葉の時代に歌を詠む事は今と違って、生活そのものであった。日常の暮らしの中で生まれる喜怒哀楽がそのまま素直な言葉となって迸り出ている。

    恋・別れ・旅・死・人・動物・植物・風景への思いを歌にすることで内に秘めている心情を表している。

その例として次の歌をあげる。

 

夜のほどろ吾が出て来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ   大伴家持

・ほどろ  夜の闇が緩んでくる時間帯

・当時は妻問婚(通い婚)、訪ねて行った恋人の家から朝帰るとき、さっき別れた女を恋しく想う気持ちを歌っている。。

・相手は坂上大嬢(さかのうえのおおおとめ)  叔母 坂上郎女の娘 後妻になる

「万葉集の特徴」

・作者の中心は、天皇を中心とした身分の高い人々であるが、庶民が作った歌も数多く収められている。東北出身の防人、東国の人々の集められたのが巻14。

・万葉集は序文とかあとがきを持っていない。また奈良時代の記録に万葉集が出てこない。その為に編纂とか成立について不明の所が多い。

 

特に防人の歌に絞って(家)(家族)(恋)を選んでみる。

「家」

真木柱(まけばしら)ほめて造れる殿(との)のごといませ母刀自面(おめ)()はりせず                           

 真木柱(まきばしら)は、柱を尊んで呼んだ言葉で、立派な柱の意味。

 真木柱(まきばしら)をほめ称えて造った御殿のように、母様はいつまでもお変わりなくいらしてください。

 

庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに

 阿須波の神   敷地の神  千葉にこの歌の歌碑がある。

 庭に祀った阿須波の神に、小柴をさして私は潔斎して祈ろう。帰ってくるまでの無事を。

 

家ろには 葦火焚けども 住みよけを 筑紫に至りて 恋しけ思はも          物部真根

 家では葦火を焚いているので煤けてはいるが住みやすい。筑紫に着いたらそのことを

 恋しく思うだろうなあ。  川崎市麻生区金程万葉苑に万葉歌碑がある。

 

「家族」

唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして           他田舎人大嶋

  衣の裾に取り付いて泣く子供たちを置いてきた。母もいないのに。

 

太刀の尻鞘に、入野に葛引く、わぎも(我妹) 真袖もち着せてむとかも 夏草かるも

 (私が)立ちのシリ(後) サヤ(然や)に入野に葛を引く、わぎも(妻)。 (私に)真袖を着せようとしているかも、イヤそうではなく、夏草を刈っているかも

 

わが母の 袖(そで)もち撫(な)でて わが故(から)に 泣きし心を 忘らえぬかも 物部乎刀良

 わが母が袖で撫でては、私のために泣いた心が忘れられない

 

 防人に 行くは誰が背と問ふ人を 見るがともしさ 物思ひもせず

  防人として北九州に行くのはどちらのご主人かしら?」と周りの人たちが言っているのが

  もどかしい。夫が(防人として)行ってしまう私の気持ちを知りもしないで。

 

今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む 

   今年、新たに出かけて行く防人の麻衣の肩のほつれは誰がつくろってやるのだろう・

 

「恋」

ますらをや 片恋せむと 嘆けども 醜のますらを なほ恋ひにけり          舎人皇子

   丈夫たる自分が片恋などするはずがないのに・・と嘆いても、おろかな俺だなあ、

   やっぱり恋をしてしまったよ。

 

釼刀 身に佩き副ふる 大夫(ますらを)や 恋とふものを 忍びかねてむ  

   剣太刀を身に佩き帯びるような立派な貴族である私であるが、恋を隠しきれない。

 

 君が行く 道の長手を繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがに            茅上娘子

   あなたが行く 長い道のりを 手繰り寄せ畳み込んで 焼き滅ぼしてしまう天の火があれば

   いいのに

   中臣宅守は宮中に奉仕していた狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)と深い愛情を

  交わしていた。当時、宮中奉仕の男女の恋は禁じられていたのであろう。二人のひそかな愛はたちまちに役人達の話題となった。そして、ついに事あらわれて宅守は越前に流罪の

  身となった。

 

 ともしび影にかがよふ うつせみの妹が笑まひ 面影に見ゆ

   ともしびの光にゆれて輝く妻の生き生きした笑顔が私の目の前に浮かんできます。我が

   美しい人よ!

 

「まとめ」

電話もメールもない時代、若者たちは歌に心を託していた。