詩歌を楽しむ「万葉集の歩き方」               慶応大学教授 藤原 茂樹

 

140307海女の歌と天の行事 

万葉集の歌では都からの旅人が、海浜を見渡す時海人を好んで題材にしている。

 

礒に立ち沖辺を見れば藻刈り舟海人漕ぎ出らし鴨(かけ)る見ゆ               1237            

岩浜に立って沖の方を眺めると海草を刈り取る船を海人が漕ぎ出した様だ。鴨が飛んでいるのが見える。

 

(海人が歌われた地名)

万葉集には海人の歌は90首ほどあって、万葉集の歌に描き出された旅に於ける主要な風景となった。

田子の浦、伊勢、淡路島、明石、鳴門、難波潟、武庫の海、須磨、雑賀、鞆の浦、沖津島、志賀島、壱岐・・・     これにより日本全国に海人がいたことが分かる。

 

山の端に月傾けば(いさ)りする海人の()火沖になづさふ                      3623                          

山の端に月が入りかけて傾くと漁をしている海人の灯火が波間に見えたり消えたりチラチラしている。

 

潮干の三津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きて見む      角麻呂  293          

潮の引いた難波の海にかごをもった海女が藻を刈っている、行ってみてみよう。 

女性で潜るのは、日本だけ。韓国の済州島にいるだけ。

 

難波潟 潮干に出でて 玉藻刈る 海人娘(あまおとめ)子ども 汝が名()らさめ        丹比真人  1726      

潮の引いた難波の海で藻を刈る娘さん、あなたの名前を教えてください。

 

君を待つ松浦(まつら)の浦の娘子(おとめ)らは常世(とこよ)の国の海人娘子(あまおとめ)かも                        865          

君を待つではないけれど、松浦の娘さんたちは永遠の国の乙女かもしれないな。

 

(海女の礒笛)

海女の潜水でよく知られているのは海面に上がってきた時、呼吸調整として独特な「ヒュ-」とかいう礒笛という音を出す。どこかウラ悲しい音に聞こえる。

 

底清み(しず)ける玉を見まく欲り()たびぞ()りし(かず)きする海人                       1318          

海の底が清らかで底深く沈んでいる玉(真珠)を見つけてみたいと、千遍も願って海に潜る海人よ。

この歌は深窓の麗人を水底の真珠に例え、これを求めて恋している様子を海女に例えている。当時、海女は潜る時に唱えごとを行って潜っていた。今は、潜る前に船の右側を叩いて心の中で諸々の神に大漁・安全を祈っている。服装や行動パタ-ンは変化しているが、祈り・息継ぎなどのやり方は変わっていない。

 

志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥(くしげ)小櫛(おぐし)取りも見なくに                 278                   

志賀島の海女は海草を刈ったり、塩を焼いたりして、忙しいので櫛箱の櫛さえ手にとっていない。身仕舞いする暇もなく海女が忙しく働いている様子を歌っている。

 

鶏が鳴く 東の国に (いにし)へに ありけることと 今までに 絶えず言ひける (かつ)鹿(しか)真間(まま)手児名(てこな)が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは(くしけず)らず (くつ)をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が()やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも             高橋虫麻呂      1807  

鳥が鳴く東の国の遠い時代にあった事と今の世まで絶えることなく言い伝えられてきたこと。葛飾(千葉 市川市)

 

真間手兒奈(ままのてこな)は粗末な衣装で、靴も履かず歩いていたが美しい姫君でも及ばないほどであった。満月のように欠けた所がない顔立ちで、花のように可愛く微笑んでいると、夏の虫が火に飛び込むように、船が漕ぎ集まるように男たちが求婚した。自分を弁えていた手兒奈は、港の墓に横たわってしまった。昔の事だけど手兒奈が思われることだなあ。

この物語の魅力は、少女の持つ清らかな性質に触れようとする憧れの中にある。

 

伊勢の海女の 朝な夕なに(かず)くとふ (あわび)の貝の片思にして                     2798                

私の恋は 伊勢の海女が、朝夕、海に潜って 採るというアワビの一枚貝のように片思いなのだ           

 

(かず)く」

古代、潜ることをかずくという。伊勢志摩に海士(あま)潜女(かずきめ)神社」がある。垂仁天皇の時、倭姫命は伊勢神宮への御贄地を求めて諸国を巡幸し、国崎を訪れた。そこで海女のお弁からアワビを献上され、美味であったことから伊勢神宮へ奉納するように言った。海女の信仰を集める。

 

「底土のカマドと鵜」

 古事記によると「国譲りの大国主命の条件を受けいれて高天原の神々は出雲の多芸(た着)()浜(武志)に立派な宮殿を造り水戸の神(水門の神)の孫の(くし)八玉(やたま)膳夫(かしわで)(料理人)を掌り、姿を鵜に変え海中に入って藻や魚をとって料理し、土で器を造りもてなした」とある。ここを膳夫(かしわで)神社という。海の底土でカマドを作り清浄な火で炊き、鵜が捕った魚を料理して献上した。

・鵜は(くし)八玉(やたま)命の化身と言われ、豊玉姫の神話でも産屋を鵜の羽で葺いた。海の民には鵜の羽が出産を助ける呪力があるという信仰があった。

・土井が浜遺跡(山口)に葬られていた女性は、鵜を抱いており。熊本江田舟山古墳の鉄剣には鵜が刻まれている。これは鵜が霊的な宝を持つと信じられていた。全国に鵜のつく地名が多い。

 

年のはに鮎走らば(さき)田川(たがわ)鵜八つ(かず)けて川瀬尋ねむ.               大伴 家持   4158 

毎年鮎が躍るころになったら、(さき)()河で鵜を8匹使って、川の瀬をたどって行こう。

家持が越中の国司の時の歌。船でやる鵜飼を船鵜飼、川を歩くのを徒歩(かち)鵜飼という。

 

(くし)八玉(やたま)神」 出雲の国譲りで料理を作り献上した神。この時に、以下の呪文を唱える。
 私が()り出した火は、高天原では、神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと)の宮殿の煤が垂れ下がるまで焚き上げる火であり、また地の下では、岩盤を焚き固まらせる火です。白く長い縄を海に投げ入れて、海女が釣った口が大きく尾ひれの立派な鱸(すずき)を、引き寄せてあげて、竹で編んだ器がたわむほど、たくさんの魚料理を献上します。

これは万葉の海女がスズキを焼いて神産(かみむ)()()(かみ)に献上するときの言葉でもあった。

 

「神産巣日神」

記紀神話で天地開闢の時の造化三神の一神。女神とも言う。大国主の助命をした神でもある。最近の説では海の神の要素を持つと言われている。このことより、海女のこの神への信仰がうなずける。