詩歌を楽しむ「万葉集の歩き方」               慶応大学教授 藤原 茂樹

 

140314神代の恋と人の恋~恋の習俗の起源 

春されば卯の花くたし我が越えし妹が垣間は荒れにけるかも       2588              

春になれば卯の花を傷めて自分が越えていったあの人の家の垣根は荒れてしまったことだ。

春になると咲く卯の花(ウツギ)の垣根を勢いよく飛び越えて恋人に会いに行った記憶。その垣根が今は無残にも荒れ放題になっている。住む人も居なくなったのか手入れもせず茂りに茂っている。

 

恋しけば来ませ我が背子垣内(かきつ)(やぎ)(うれ)摘み刈らし我立ち待たむ                3455        

そんなにも私が恋しいのならおいでなさい、わが愛しい人よ。私は屋敷の柳の先の葉を摘んで立って待っていますよ。

男も女も互いに愛おしく思っている。男が女の家を訪れる風情がよく出ている歌である。

  

い香保ろの八坂の堰塞に立つ虹の(あらわ)ろまでもさ寝をさ寝てば  作者は上野(群馬)の人   3414

伊香保の幾尺とも知らない大きな土手に鮮やかに現れる虹のように人目のつく位までお前と寝ていたいものだ。虹は古代中国では陰陽の乱れとし、虹が立つのは淫欲の証左とする。

 

好きな人と朝まで居られるならばどんなに満たされると思った作者の未練が歌われている。

 

我が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜(つま)人に知らゆな     筑紫の作者     3873    

門のところで千鳥がしきりに鳴いているさあ起きて起きて、我が一夜限りの夫よ。人に知られないように帰ってね。

恋人は朝までに帰るというのがこの時代の定めであることが分かる。

 

この時代の結婚の方式は妻問婚、通い婚、夜這婚という方式であった。男が女の家に通って結婚が成立していく。

 

「結婚の起源」

  1. イザナキ・イザナミ

    この結婚の習俗の起源は日本の代表的神話のイザナキ・イザナミから始めている。二柱の結婚は天の御柱を左右から回って結婚するというものであるが、恋愛から結婚に至るという段階を踏んでいない。「あなにやしえ男を」「あなにやしえ女を」と言う言葉を発してはいるが、これを歌とは言えない。万葉人の歌の送り合い、試験をし、確かめもする結ばれる前もしくは結ばれた後も続く恋愛の段階に発展する膨大な数の恋の歌、万葉の分類では相聞に配されるが、そういう恋の歌の起源をイザナキ・イザナミの結婚に想定するのはためらわれる。

  2. スサノヲの尊   ここからは古事記の記録より

    降臨して()(また)大蛇(おろち)を退治して(くし)稲田(なだ)姫と結婚し大国主命に繋がる沢山の神々の親、祖先である偉大な神である。奇稲田姫と結婚する時に歌う歌謡は神話の中で最初なので、歌の始まりはスサノオと言われるようになった。

      八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその 八重垣を

    結婚を祝福する、いわゆる「新室(にいむろ)祝ぎ」を意味する歌である。これは後になって日本の和歌の始まりと言い伝えられている。ところが、このスサノオが我が国の恋愛の始まりに位置しているとは言えない。恋愛の段階が語られていないからである。

     

    第三の神の候補を見る前に、そもそも神の世と人の世とが繋がっているものか、それとも断絶しているのかということを考えてみる。それには中大兄皇子のよく知られた歌の一節を見るのが良いであろう。

    香久山は畝傍を()しと耳成と相争ひき神代よりかくにあるらし 古昔(いにしえ)(しか)にあれこそうつせみも(つま)を争ふらしき                                            中大兄皇子                                      

    中大兄皇子は、この世の妻争いの起源を大和三山の妻争いに求めている。神代もこうであったし、古もこうであったから。現在も人々は妻を取り合って争うらしいと歌っている。その事から知れるようにこのような事が神代から現在まで続いていると思っていたのが万葉人であった。

  3. 大己貴神と八千矛神

    広く行きわたり人々の恋愛をどの神に求めるかというと、大己(おおな)(むち)(かみ)八千(やち)(ほこ)(かみ)が候補者である。

  1. 万葉集の田辺福麻呂歌集の一節に「八千桙(やちほこ)の神の御世より(もも)(ふね)の泊つる(とまり)・・・・・・」→八千矛の時代よりここの水辺の場所は沢山の船の果てるところである。

  2. 大伴家持の長歌の一節に「大己貴神少彦名の神代より言い継ぎけろく父母を見れば貴く妻子(めこ)見れば(かな)しくめぐし空蝉の世のことわりとかくさまに言いけるものを世の人の立つる言立てちさの花咲ける盛りにはしきよしその妻の子と朝夕に笑みみ笑まずもうち嘆き語りけまくはとこしえにかくしも・・・・・・」→大己貴神少彦名の御代よりいい継いできたことは父母を見ると貴く妻子を見ると愛しくいじらしい。これがこの世の道理なのだ・・・・・。

     

    風土も道理も神から出て人はそれを受け継いでいたのである。人々の暮らす世界の構成は八千矛神つまり大己貴神・少彦名に負う所であると思っていた。万葉人とはこの神が作った世界に息づく人々であった。そして恋もであった。

     

    八千桙の神の御代よりともし妻人知りにけり継ぎてし思へば             2002                   

    八千鉾の神の御代よりずっと想い続けていたのでたまにしか会えない妻を人が知ってしまったことだ。

    これは七夕の歌。星空の仮想の恋に仮託して彦星の気持ちに寄り添って歌っているので地上の万葉人の感想を認めるには実際の生活に即さない不足がある。とは言え、この伝説を我が国の伝説と理解し直して、愛しい妻を恋し続ける事が、八千矛神の時代から続いていることだと歌っている。

     

    「八千矛神と八上比売・沼河比売」

    八千矛神、この神は古事記の神話では因幡の八上比売(やがみひめ)や越の沼河比売(ぬなかわひめ)に夜這を果たす神である。古事記の中からではなく、万葉集の中の歌から八千矛神が沼河比売と交わりあった歌を読んでみる。

    この八千矛の神、高志(こし)の国の沼河比売(ぬなかはひめ)(よば)はむとして幸行()でます時に、その沼河比売の家に到りて歌よみしたまひしく 以下 長歌が続く。

    八千矛の神は、いくつもの島からなる国を、妻を求めて歩いたが、相手を得られず、遠い遠い越の国に、賢い女がいると、お耳に入れて、麗しい女がいると、お耳に入れて、求婚しようとお立ちになり、求婚しようとお通いになり、大刀の緒もまだ解かず、上着もまだ脱がずに、お嬢さんがお寝みの家の板戸を、押し揺さぶり、俺様がお立ちになっていると、引っ張ってみて、俺様がお立ちになっていると、青山では鵺が鳴いたよ。野の鳥、雉は鳴き叫ぶよ。庭の鳥、鶏は鳴くよ。いまいましくも鳴く鳥どもだよなあ、こんな鳥どもは打っ叩いて鳴き止めさせてくれろ。・・・・

    この八千矛の神の求婚に沼河比売は返歌している。意味は以下。

     

    (八千矛の神よ、若草に似るなよなよした女の身なので、私の心は巣にいる鳥です。今は自分だけの我が儘自由な鳥ですが、後には貴方の鳥になるでしょう。その鳥の命を失くすようなことはしないで下さい。青々とした山に夕日が隠れたら濃い闇になるでしょう。貴方は(こうぞ)のように白い腕、淡雪のような若やかな私の胸をどうぞたっぷり撫でさすり可愛がり、私の玉のような手を枕にして眠りなさい。・・・)

     

     

    八千矛神は、越の国を訪れて沼河比売に歌を送り求婚するが断られる。乙女は今は叶わない身であるが、やがて貴方の物になりましょう。この夜は心を静めて下さいと歌うのである。歌のやりとりのあった後、古事記にはこうある。     (その夜は会わずに明日の晩に受け入れたと)

    恋人を訪ねる男もそれを待つ女も通い婚の習俗は遠く遥かな八千矛神の御代から続いているとそしてあの神でさえ第一夜の訪れではきっぱりと断られている。夜這い婚というのはそういうものであった。

    女の方はというと、賢し女と言われる相当な女であるためには慎ましやかで(わきま)えを持ち、かつきっぱりと断る態度を示し、また同時に相手を引きつけて離さない引力を保つことを学んでいる。

    誰に教えられなくとも、春に草木が芽を伸ばすように恋はその季節を人にもたらす。

     

    ()かしを、剣の池の、に、溜まれる水の、ゆくへなみ、我がする時に、逢ふべしと、逢ひたる君を、な()ねそと、母聞こせども、我が心、清隅(きよすみ)の池の、池の底、我れは忘れじ、直(ただ)に逢ふまでに                                           3289

    剣の池の葉にたまった水がどこにゆくのか分からないように、私もどうなるか分からないでいるときに、「逢うべきですよ」と告げられたので逢ったあなた。そのあなたと「寝てはいけないよ」と母が言うけれど、私の心は(きよ)(すみ)の池の底にじっとしているように、あなたのことは忘れません。これへの反歌

     

    古の神の時より逢ひけらし今の心も常忘らえず

    遥か昔の神の時代から二人は出会っていたらしい。今も心の深い所に貴方がいて、片時も忘れることがないのですよ。

     

    こもりくの (はつ)()の国に さよばひに 我が来ればたな曇り 雪は降り来  さ曇り 雨は降り来      野つ鳥 (きぎし)(とよ)家つ鳥 鶏も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ   入りてかつ寝む この戸開かせ                                                 3310

    山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。
     野の鳥、雉は鳴き騒ぎ家の鳥、鶏も鳴き立てる。 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。
     だけど中に入って寝るだけは寝よう。 さぁ、戸を開けてくれ  これに対する反歌

     

    これは天皇(雄略?が泊瀬の乙女を訪ねた時の物語。

    こもりくの (はつ)()小国 よばひせす 我が天皇(すめろぎ)よ奥床に母は()()たり ()(どこ)に父は()()たり
    起き立たば 母知りぬべし  出でて行かば 父知りぬべしぬばたまの 夜は明けゆきぬ 
    ここだくも 思ふごとならぬ (こも)り妻かも                            3312                 

    山深いこの初瀬の国に 妻どいされる 天皇よ母は奥の床に寝ていますし 父は入口の床に寝ています。体を起こしたら 母が気づいてしまうでしょう出ていったら 父が気づくでしょう
    そのように躊躇(ためら)ううちに夜が明けてきましたこんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること。この私は。

     

    天皇の訪れを瀬戸際で防いでいる乙女のあり方である。断りの言葉の中にお受けできないのはやむを得ない事情があってのこと、今は断るが同時にあきらめを持たないようにと誘ってもいる。そこには女性特有の言葉と心理が綾なす見定め難い奥行がある。