230205⑤「父とむすめ・親和する親子関係」

前回は母を中心に話をしたが、今回は神話に語られる父親の役割について考えてみる。家庭の中で母の影響力が大きい古代社会において、父親はどの様に語られているかを見てみる。その中でも性を異にする父と娘との関係を今回取り上げる。私の周りで見られる関係を眺めて見ても、性を異にする親子、父と娘、母と息子との関係と、性を等しくする親子、父と息子、母と娘では、その向き合い方が随分違うのではないかと思う時がある。但し親子関係と言うのはとても多様な物なので、ここで見出せる古代の親子関係と言うのも一つのモデルでしかないが、自分の周りの親子関係と比べて考えると面白いかもしれない。

 イザナキと三神の誕生  アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ

まずイザナキとアマテラスとの関係を考えてみよう。死んだイザナミを連れ帰ることが出来ず、黄泉の国から逃げ帰ったイザナキは、九州の日向(ひむか)の橘の小門(おど)のあはき原と言う所で、体についた穢れを落とす為に水に入って禊をする。禊と言うのは水を注ぐことであり、今も神社の手水で手を洗い口を漱ぐのに繋がっていて、心身を清浄にする行為である。その地で高貴な三柱の神、三貴神を生み出す。

イザナキが左の目洗うと成り出た神の名は、アマテラス、右の目からはツクヨミ、次に鼻からはタケハヤスサノヲ。

喜んだイザナキは三柱の神にそれぞれ統治する世界を振り分けて次の様に命じた。

アマテラスに向かって「そなたは神々の座す高天原を治めよ」言って、すぐさま掛けていた首飾りを外して授けた。その首飾りの名をミクラタナという。次にツクヨミには、「そなたは夜が召しあがる国を治めよ」次にスサノヲには「そなたは海原を治めよ」と仰った。

 三伸の存在の在り方

アマテラスは女神、対になるツクヨミは男神で、太陽と月が対になって神話化されている。世界の神話には太陽を男とするか女とするかどちらも見られる。太陽と月は逆の性を持っているのが一般的で、日本では太陽神アマテラスが女性で、月神ツクヨミが男性となっている。そして鼻から生まれたスサノヲは、ヲという男と言う意味が付いている様に男の神である。前にも触れたが、古代の日本では三つの組み合わせは、それほど馴染みのある話ではなかったと考えられる。この

三神の組み合わせについて、元は太陽と月を男女神の対立と言う組み合わせで語られる自然説明神話があり、その古い神話に、アマテラスとスサノヲという性格の全く別の二人の神の対立の神話が組み合わされることで、三神の組み合わせが出来たのではないか。一般的に言うと口頭で語られる神話では、三つが絡み合う場面で、どうしてもその一つが疎かになってしまい、一対一の対立が基本になってしまう。その為に、古事記では、ツクヨミの神の存在が薄くなってしまった。

 アマテラスの特別扱い スサノヲの追放

イザナキが禊で産み出した三柱の子の性格を確認したうえで、子供達への接し方を見てみると、イザナキはアマテラスに対して特別に目を懸けている様に見える。貴い神が生まれたというので、喜んだイザナキは自分の首飾りを外し、娘のアマテラスに高天原を治めるように言って首飾りを与える。所がツクヨミとスサノヲに対しては、夜が召しあがる国を治めよとか、海原を治めよと言うだけで品物を渡したりはしていない。夜を召しあがる国と言うのは、夜が支配している国という意味で夜そのものである。それは明るい太陽に対して月の性格を示している訳であるが、アマテラスに示したように、何か印の品を渡したりはしていないし、この部分を読んでみるとイザナキはアマテラスだけを特別扱いしている様に感じる。先程紹介したのに続く部分では、ツクヨミはイザナキの命令通りにするが、海原を治めなさいと言われたスサノヲは、「嫌だ、自分は母の死んだ根の堅洲の国に行きたいと言って泣き騒ぎ、最後はイザナキから、この国に住んではならないと言われて追放されてしまう。この対応の違いは明らかである。しかも高天原と言うのは神々が住まう天空の世界で、最も素晴らしい世界の統治をアマテラスが命じられと言うのも間違いない。なぜそうなるのか。そこには父と娘という関係が関わっているのではないかと思える。それに対して父と息子との関係におかれたツクヨミとスサノヲは、アマテラスのように扱われず粗略に或いは対立的に扱われている。そこに父と息子の関係が置かれているのではないか。

出雲国風土記に見る 父と娘 サメに食われた娘の復讐

 

ここで改めて古代の親子関係の内、性の異なる父と娘の関係がどの様に描かれているかを別の資料で眺めてみる。

引用するのは出雲国風土記。これは天平5733年出雲臣広島という国造(出雲の国を支配していた古い豪族)によって、編纂された資料で、意宇(おう)郡安来(やすき)の里に伝えられている伝承である。現在の島根県安来市であり、描かれているのは娘をワニ(サメ)に食い殺されたた父親が、ワニに復讐するという話である。安来の里の北の海辺に毘売〈ひめ〉埼という岬がある。飛鳥浄御原の宮で、天の下を御治めになる天皇(天武天皇)の治めていた御世、甲戌(きのえいぬ)の年713日 語臣猪麻呂(かたるのおみいまろ)の娘がその岬に出掛けて遊んでいる内に、ワニに食い殺されたしまった。その時父親の猪麻呂は殺された娘の亡骸を浜辺に安置し、大層憤慨し夜も昼も嘆き続けてその場を去らなかった。そうして何日も経った。怒りが高まった猪麻呂は武器を整え神を拝み、いう事には「天津神千五百万柱、国つ神千五百万柱、並びに当国に静まり座す399社の神々、また海神たちよ、大神の和魂は静まりて、荒々しい魂はみな残る

ことなく猪麻呂が祈っているところに依りつき、真の神霊がましますならば、私の娘の仇を殺させ給え。これが叶うなら神霊の真の威力を信じましょう。」と。

その時暫しありて、ワニが百匹静かに一つのワニを囲んでゆっくりと引き連れて寄りきて、猪麻呂のいるところに集まり、動こうともしなかった。それで鉾を上げて中央にいた一匹のワニを刺し殺した。殺し終わるとともに、百匹のワニはいなくなってしまった。殺したワニの腹を裂いてみると、娘の脛が

一本出てきた。そこでワニの体を刻んで、串に刺し道の辺に立てた。この猪麻呂という人は、今安来の里に住んでいる語臣与(かたりおみのあたえ)の父親である。

その事件が起きて今日まで丁度60年である。

 この話が本当にあったとされるための工夫  

60年前の出来事とする  現在いる語臣与の父が猪麻呂であるとする ワニの腹から娘の片脛が出てきた

以上のような話である。はっきりと事件の起こった日は記されて、それは前述したようなことで、このような形で年月日が詳しく残された他の風土記には例がなく、珍しい例である。そこに記された甲戌というのは、天武天皇の3年 674年に相当する。その年の7月13日に事件は起こったというのである。

古代の文献ではここに語られるような娘の敵討ちをする話は他に例を見ない。語臣猪麻呂は自分の持つ呪力によって、娘を殺したワニに報復したという話になっている。無論この伝承を考える為には、古代の伝承世界の語られる様式や語り口を考慮することが必要で、単純に敵討ち話として済ませることは出来ない。

例えば伝承に記された日付は、地名や日付というのは、地名や人名に使う固有名詞が使われるのと同様、語られている内容を真実の出来事として語ろうとする時の、事実譚のスタイルだと見做すべきである。だからその日時に実際に事件が生じたかというと、それはそのまま単純に信じるわけにはいかない。

「甲戌というのは、現実に事件のあった年というのではなくて、出雲国風土記の成立した今、巻末記によれば天平5年 733年2月30日から丁度60年遡った時として、この伝承における事実を保証するために選ばれた年であると考えられる。つまりそのように位置づけられることによって、この話は本当にあった話であるということが保証されていく。

干支は丁度60年で一回りする還暦となり、区切りの良い数字である。

また娘の父親、猪麻呂を説明する記事として伝承末尾に、「安来の里の人、語臣与の父なり」とある。
これも語臣与という出雲国風土記が編纂された時代に生存していた、よく知られた人物であった。

その人物のお父さんだよということで、本当らしさを強調している。

最後に殺したワニの腹を裂くと、娘の片脛の部分が出てきたと語っているが、それは殺したワニが間違いなく娘を食い殺したワニであることを保証するための証拠として必要だったのである。

 語臣の一族

そしてこの娘が毘売〈ひめ〉埼で遊んでいるうちに、たまたまワニに出会って食い殺され帰らなかったと語られているが、それは毘売〈ひめ〉埼という特別な岬で、つまり毘売〈ひめ〉が神と交わる場所である為に、毘売〈ひめ〉埼と名が付いたと考えられる。遊ぶというのは現代語の遊ぶとニュアンスが違って、古代では神とともに楽しむというのが本来の意味である。娘はここで神であるサメと交わって、そしてその場で一族のあるいは共同体の儀礼が行われる。娘はそのような祭りにかかわるシャーマンだったのだと見るべきであろう。恐らく語臣は海の神であるワニをまつる信仰を持つ一族と考えられる。

 この神話の意味するところ 父と娘の紐帯 サメは海の神→一族の始祖神

この伝承は元々語臣一族の始祖神話であったものが、語臣のシャーマンとしての呪力を宣伝するような話となることで、実際に起こった事件として語り伝えられる事になったのであろう。だから娘を殺したワニをやり返したというだけの説明では違っているであろう。基本にあるのは、語臣猪麻呂と娘の関係、そこにある一つの強いつながり、父と娘の紐帯、繫がりを、神話の中から読み取るべきである。

父は娘がワニに食い殺されたのを知って激しく嘆き怒り、そして遂に敵討ちを誓う。そこで登場する力というのは、シャーマンの力であり、そして父としての役割と考えるべきであろう。彼は復讐し、娘の敵を討ったがここに描かれている殺し方というかなり物語的である。それは父がシャーマンとしての力を持っている事と関わってくる。

例えば復讐を決意して神に祈る祈願詞とその姿には、巫者的な性格が濃厚である。その言葉の通りに神が助力をして娘を殺したワニを見つけ出して、報復したと語ることによって彼がいかにシャーマンとしての強い力を持っているかを示している。祈願詞を見ると、他の神々の最後に海若(海神)だけがことさらに唱え挙げられている。そこから見ると彼は海の神に対する信仰を強く持っていたということが分かる。とすると、ここで娘を食ったワニというのは、海の神が人の前に現れる時の姿となる。そうした関係の背後には、娘というのは神話的に言えば、海の神と交わり神の子を産む神聖な女性とみなすべき存在である。それはこの一族が海の神を祀る者たちとから考えて当然のことである。この伝承の構造としては、娘を殺したワニつまり海の神への敵討ちを百匹余りのワニ(海神)の援助によって成し遂げたと読むことができる。娘を殺したのも、父親の祈願詞に応じて依りついたのも、というどちらも海の神としてのワニであるという所に、神の二面性がよく表されている。海の神に対して祀る側(人間の側)の人間の信仰に、ある種の歪が表れていると見ることもできる。

最後の所で殺したワニを割いて、串に刺して路傍に立てた行為も、これは見せしめの為だと説明されるが、そうではなくて、自分達一族の始祖神に対する祭祀である。例えばアイヌはイヨマンテという霊送りの儀礼を行うが、それと同じように祖先の霊を神の世界に送る、そのような儀礼が、この道端に串に刺して祈る行為である。祭式的に言えば、彼が殺したワニというのは、彼らの始祖神として毎年の儀式に招かれて、丁寧に解体されてその霊魂は神の世界に帰って行く。

語臣一族が行う海神祭祀が存在したのである。

そこでは一族の娘と始祖神ワニとの神婚が一族の起源を語る神話として語られていたのである。

 紐帯の変化、弱まりで婚神神話やシャーマンの呪力を語る霊験譚の変貌

そしてそうした血縁的・共同体的な紐帯が内的外的要因によって呪縛力を弱め、両者の関係に歪みが生じてきた時、神婚型神話やシャーマンの呪力を語る霊験譚は変貌する。その結果、娘に対する父親の愛情や娘を奪う者に対する憎悪を語る世間話的な伝承へと変容していくのである。ここで取り上げた現象というのは、少なくともその様なレベルの中で語られている話だと考えて欲しい。

 

今回読んだ話では、娘を守り家を守る者としての父親の力が殊更に強調されているのである。家族に生じた危機は、
父親の力によって克服され、歪みを生じた家は父親の力で修復されねばならない、そのような認識がこの伝承の背後には認められる。猪麻呂の行為にみられるいささか狂気にも似た呪的な力は、そうした父親の意思に支えられて伝承になったのである。またここには父親のあるべき規範が語られている。母の持つ力や役割と、父親のそれとはやはり区別されるはずで、その守る力によってなのである。ここで守られているのは一人の娘であると共に一族を象徴する娘であったという所に、父親が守らねばならない理由があった。そこに古代の親子関係の一端がうかがえる。そのことは父親が常に娘の結婚に関与しているということにも無縁ではない。

 

こうした伝承から父親の娘への愛情という側面だけを抽出して読むのは適切ではない。共同体や家における娘の立場がいかなるものであったかということが考慮されねばならないからである。

しか伝承の表現はそうした社会的規範としての父親や娘との関係を超えて、家族における関係として父親と娘のあるべき姿として描かれ、そこに父親の娘に対する愛情や慈しみといった心を浮かび上がらせてくるものである。それ故に私たちは父親の行動にある種の感動を覚え、理想の父親をイメージしてしまうのである。

共同体を基盤としながら、それを超えた個々の関係性を浮かび上がらせてくる、伝承とはそういうものである。

 

今回は父親と娘との関係について話したが、もう一方の性の違う親子である母と息子の関係も、とても親密な関係として神話に描かれていることは前回話したオオナムチと母神との関係によく表れていた。死んだオオナムチを助けようとして、母はカンムスヒに頼んだり、自ら力を発揮したりしながら、生き返らせようとする。また神話ではないが万葉集の防人の歌を読むと、母との別れの悲しみが多く残されている。父親との別れなどない。

例えば万葉集巻20-4323 時々の 花は咲けども 何すれそ 母とふ花は咲き出()来ずけむ 20-4342 真木柱(まきばしら) ほめて造れる 殿のごと いませ母刀自 面(おも)変はりせず 20-4356 わが母の 袖もち撫でて わが故に 泣きし心を 忘らえぬかも

防人が母と別れて九州の防備に行く時に、母を思って歌った歌が並んでいる。
防人というのはすべて21歳以上の男子である。そういう防人がまるで少年のように、母との別れを歌っている。
そこにきわめて親密な関係にある母と息子の関係を見出すことが出来る。いつの時代も変わらないものである。

 

「コメント」

イザナキと三貴子の話は分かる。そして出雲国風土記の神話が実際にあったように変容していった経緯もわかる。

 

娘の復讐劇はいいが、それが始祖神を殺すとどう関係するのか。しかしそれが父と娘の関係ということになっていくことが分からない。もっと心理学的な面で説明しないと理解しにくい。句読点でダラダラ続く話は何とかならないか。文意をつかむのに苦労する。